ネパール・トレッキング概要
クーンブ編

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ネパール・トレッキング詳細

10月15日(水)
関西国際空港〜カトマンドゥ

 ネパール行きの詳細を確定させたのは、約1ヶ月前のことだった。「Himalayan Activities(ヒマラヤン・アクティビティーズ)」という現地ネパールの旅行会社を選び、トレッキング中のガイドを依頼してあった(→見積比較)。航空券は別途購入。ロイヤルネパール航空の関西国際空港発カトマンドゥ直行便。羽田〜関空までの航空券も含めて、129,000円。
 関空を約2時間遅れて飛び立ち、20時にカトマンドゥ到着。すでに真っ暗。飛行機を出ると、独特のにおいが鼻についた。そしてむっとする熱気。
 旅行会社手配の車でホテルへ向かう。ホテルのロビーで最終的なトレッキングの打ち合わせと支払いを行う。19泊20日で$950。この中にルクラ往復航空券、国立公園入域料、ロッジ宿泊代、食費などは全て含まれるため、トレッキング中の出費はほとんどない。

10月16日(木)[曇り]
カトマンドゥ〜ルクラ(2840m)〜パクディン(2610m)

 朝、ホテルにガイドのプラカス(Prakash Magar)が迎えに来る。23歳、ガイド暦5年。あまりの若さに驚くが、日本語は達者。
 フライトは1時間遅れて、9時カトマンドゥ発。ルクラへの機内から見えたヒマラヤの山脈(やまなみ)は、まるで幻のようだった。
 ルクラで食事後、10時40分、トレッキング開始。ルクラから下り気味の道を降りていく。天頂は快晴で暑いくらいだが、遠くの山には雲がかかり、雪の山は見えない。足元だけ見ていると、奥多摩を歩いているのと変わらないような気分になる。
 本日の宿泊地であるパクディンまで、4時間の行程を2時間で来てしまった。少しペースが速いかもしれない。高所に行ったら、もっとゆっくり歩かなくては、と思う。

10月17日(金)[晴れのち曇り]
パクディン(2610m)〜ナムチェ・バザール(3440m)

 朝は快晴。モンジョの村にチェックポイントがあり、入域証を確認される。プラカスが対応して、まだ持っていないけど、ナムチェの入口で払う、みたいなことを話すと、素通り。
 ナムチェまで一気にUP。確かにこの最後のUPはきついけれど、富士山の8合目以降の登りを考えれば、それほど変わらないように感じる。今回、このトレッキングのために、8月以降富士山に4回登ってきた。頂上付近では2泊した。それが効いているのか、それほど苦しくは感じない。
 ナムチェ入口のチケットセンターでパスポートを見せ、入域証を取得。Rs1000をガイドが払う。
 ロッジを決め、一休みしてから、ナムチェを歩き回る。「ナムチェ・バザールにいる」ということがまだ信じられない。ナムチェといえば、ヒマラヤを舞台にした話では、カトマンドゥと並んで、必ず名前の出てくる地名。今まで、書物の中のものでしかなかった土地に自分が立っている、というのは、ある種不思議な感動がある。SFやファンタジーの小説に出てくるような架空の地名と変わりのなかった名前が、現実に存在しているのだ。まるで物語の主人公になったような気分になってくる。
 午後になると急に雲が増えて、15時にはナムチェは真っ白なガスに包まれた。

10月18日(土)[晴れのち曇り]
ナムチェ・バザール(3440m)〜ホテル・エヴェレスト・ビュー(3880m)往復

 今日は、ナムチェで高所順応のためステイ。シャンボチェにあるホテル・エヴェレスト・ビューを往復するだけの予定。
 今朝も快晴。ホテル・エヴェレスト・ビューのテラスからは、エヴェレスト、ローツェ、アマ・ダブラムが素晴らしくきれいに見える。自分がヒマラヤに来ているんだ、ということを再認識させられた。写真で何度も見た世界が、今、眼の前にある。
 ナムチェに戻るが、時間があるので、街はずれまで歩いてみる。14時ともなると雲が多く、朝きれいに見えたタムセルクも、わずかな間その頭を雲間にのぞかせては、すぐにまた見えなくなってしまう。一瞬しか見えないだけに、見えるその一瞬一瞬のその美しさにため息が出る。
 はるか下に見える、ナムチェ・バザール。チベタン・バザールの赤と青など色とりどりの衣類の色が鮮やかだ。ここには、バザールの喧騒はない。吹き抜ける風、眼の前を過ぎてゆく雲。3440mのナムチェでの穏やかな一日が暮れていった。

10月19日(日)[晴れのち曇り]
ナムチェ・バザール(3440m)〜ドーレ(4200m)

 今回の日程は、まず、ゴーキョ・ピークに登ってから、一旦ポルツェに戻り、カラ・パタール、エヴェレストBCを目指すというもの。
 キャンジュマまでは、山腹をトラバースしていくほぼ平坦な道のり。そこから、カラ・パタールへの道を右に見て、ゴーキョ方面に向かう。ゴーキョ方面に行くのに、クムジュンを通るルートが、ガイドブックにはたいてい書かれているが、今日は、クムジュンを通らず山腹を回りこむルートを行く。
 モン・ラで見覚えのある風景が目に入った。特徴的なチョルテン(仏塔)の向こうに見える、これもまた特徴的なアマ・ダブラム。「さかいや」のホームページから携帯電話用の壁紙をダウンロードして、1年半。携帯のディスプレイで毎日ずっと見続けてきたのが、まさにこの角度から見たアマ・ダブラムであった。ここからの景色だったんだ、と初めて知り、驚きと感動を覚えるとともに、またも物語の中に入り込んだような気分になった。
 今日も朝から天気が良い。森林限界までは、枯葉の舞い散る、まるで日本の秋山を歩いているような感じがした。森林限界を越えた所からトラバース道となる。遠くにチョ・オユー(8201m)を見ながら歩く。今のところ高所障害の症状はなく順調。

10月20日(月)[晴れのち曇り]
ドーレ(4200m)〜パンカ(4480m)

 4000mを越えているので、朝の冷え込みは厳しい。いつものように、朝は快晴。天気は、朝は晴れ、だんだん雲が増えて、午後には曇り、夕方はガスの中で、夜中になるとまた晴れる、といった流れで毎日が過ぎてゆく。
 ドーレから2時間で宿泊予定地のマッチェルモ到着。あまりにも早いので、今日中にでもゴーキョまで行けそうな勢いだ。しかし、ドーレ〜ゴーキョだと、一日で1000m近くの標高差を登ることになる。行動時間はともかく、高所障害を考え、今日はここから30分ほどのパンカまででやめておくことした。マッチェルモからパンカへの道は、なだらかに踏み跡が続き、そこを歩くトレッカーと、その先に見えるチョ・オユーが、とても画になる。
 この先、森林限界を越えているので、薪はない。燃料となるのはヤクの糞だ。ヤクは、肉も乳も毛皮も、無駄なく、全て使われているものだと感心する。

10月21日(火)[晴れのち曇り]
パンカ(4480m)〜ゴーキョ(4790m)〜ゴーキョ・ピーク(5360m)往復

 朝、快晴。パンカからチョルテン(仏塔)まで一旦登り、湖を2つ越えると、ドゥード・ポカリとゴーキョの村はもうすぐ。
 早速、ゴーキョ・ピークの丘へ。登るうちに徐々に頭を見せてくるエヴェレストは、大きく雪煙を巻き上げていて圧巻。南西壁〜北面がはっきり見える。ほかにも多くの山が見えているのだけれども、眼はエヴェレストに釘付け。世界最高峰だから、というよりも、その姿がとても目立っていて、見るものを惹きつけるからだろう。何度も何度も写真で見てきた光景が眼の前にある、という感動のせいかもしれない。
 振り返ると、ゴーキョの湖、ロッジ。その先には、タムセルク、カンテガ。三つの湖のエメラルドグリーンが美しい。そして、ゴーキョ・ピークの頂の先には、チョ・オユー、ゴジュバ・カン、ギャチュン・カンが横一列に並んでいる。
 降りてから、昼食。ゴーキョは、「湖畔のリゾート地」といった感じがする。ロッジも多い。チョ・オユー、タムセルクなどを見ながら、ここでゆっくりするだけでも、とても気持ちの良い場所である。陽射しはあるが、風が冷たく、外にいるとちょっと寒い。でも、ロッジに付属のサンルームに入っていると、ぽかぽかと眠くなってくる。

10月22日(水)[晴れのち曇り]
ゴーキョ(4790m)〜ゴーキョ・ピーク(5360m)往復〜マッチェルモ(4410m)

 ゴーキョ・ピークで日の出を見るために、4時にロッジを出る。満天の星空。月は新月。ヘッドランプを消しても星明りでかすかに明るい。星空の下の登行は、4年前のアコンカグアの頂上アタック時を思い出させた。天へ向かってひたすら歩を進める。空を見上げると、流れ星。頂上までに三つの流れ星を見た。今望むことは、このトレッキングの成功のみ。予定通り、無事全ての日程を歩きとおせればよいが。
 徐々に東の空が白みはじめ、星々が消えていった。昨日より、少し時間がかかったが、頂上到着5時40分。
 日の出を見てからロッジに下り、朝食。落ち着いたところで、マッチェルモまで戻る。マッチェルモの沢で洗濯、洗顔、洗髪など。今日も天気が良いので、洗濯物は、ロッジ近くのカルカ(放牧地)の石組みの上に干す。夕方、日が陰るまでには乾いていた。

10月23日(木)[晴れのち曇り]
マッチェルモ(4410m)〜ポルチェ(3810m)

 マッチェルモからポルチェ・タンガまではもと来た道を引き返し、ポルチェまでUP。
 ポルチェから一段上がったところで、タムセルク、カンテガが恐ろしいほどの迫力で迫ってきていた。タムセルクの切り立った壁と、天に突き刺さるような鋭角的な頂上稜線に、思わず恐怖で身がすくむ。穏やかな村の、畑の向こうにそびえる、鋭角的なタムセルクの姿。毎日こんなところで生活するのはどんな気分がするのだろうか。
 今日は、15時ころにはガスで真っ白になった。今までよりガスが来るのが早い。

10月24日(金)[曇りのち雪]
ポルチェ(3810m)〜ディンボチェ(4410m)

 朝起きると、一面のガス。外に出てみると、みぞれのような雨がかすかに降っている。晴れるのが当然だと思っていただけに、この天気は、思いがけないことだった。陽射しがないだけに、気温も低い。手袋をして歩く。雨は、降ったり止んだりを繰り返し、行動中、全く山は見えず。
 12時30分。ディンボチェ到着と同時に激しい雪。このまま降り続けば積もりそう。
 明日の行動は、天気次第。雪のことは考えていなかったので、靴は丈が低いジョギングシューズみたいなものだし、スパッツも持っていない。積もってしまったら歩けないだろう。

10月25日(土)[雪のち曇り]
ディンボチェ(4410m)停滞

 起きたときから雪。空は暗く、降り止む気配はない。多くのグループが行動を開始(ほとんどが下降)したが、こちらは全く動く気になれず、今日は停滞(ステイ)と決める。
 一日、食堂と外と自室を行ったり来たりして過ごす。午後になっても湿った雪が降り続けた。積もっている場所では10cmくらい。この調子だと、明日もここで停滞かもしれない。明後日はどうなる。その次は……。考えてもどうしようもないが、天気のことは頭から離れない。
 ずっと降り続くのかと思われた雪は、17時になり、ようやく止んだ。
 アマ・ダブラムが、アイランド・ピークが、ローツェが、山々がだんだん見え始めた。
 そして、夕焼け。
 凄い。燃える山、燃える雲。燃える空。雪で白く沈んだ山が、陽に照らされて赤くなっていく。それは、あまりにも美しい世界だった。全ては、このときのためにあったのではないか。今日の雪、今日の停滞は、この素晴らしい光景のための舞台装置だったのではないか、そう思えるほどだ。この日の夕景のことは、このトレッキングの中でも、忘れられない想い出の一つになるだろう。

10月26日(日)[曇りときどき雪]
ディンボチェ(4410m)〜ロブジェ(4910m)

 朝から快晴、とはならなかった。降ってはいないが、雲が多い空の下出発。ディンボチェ裏の平原は、一面雪で真っ白。トレースはしっかりと踏み固められているが、全体では30cmほどの積雪。
 トゥクラに向け、ゆっくり進んでいると、雲の量がまた増えてきた。9時ころからは、小さな塊のような雪がボツボツと降り出した。そのうち、雪は止まないまま、陽が射してきた。まるで夏に照りつけるようにまぶしい太陽だった。雲も夏によく見る形をした積雲。夏の陽射しの中、雪が降る。幻想的な雰囲気。
 降ったり止んだりしている雪の中歩き続け、12時すぎロブジェ到着。
 夕方になり、雪も止んで晴れてきた。ヌプチェやポカルデ・ピークなどが見えはじめた。明日こそすっきり晴れてくれるのではないか、そう期待させてくれる夕暮れだった。

10月27日(月)[晴れのち曇り]
ロブジェ(4910m)〜ゴラクシェプ(5140m)〜カラ・パタール(5550m)往復

 ロブジェからゴラクシェプまでは意外に遠かった。途中、雲が出たり、切れたりして、はっきりしない天気。ロブジェを出ると、もう周りは山ばかりである。いや、山がある、というよりも、山しかないというべきか。
 昨日、一昨日に降り積もった雪で、山々の白さは増している。世界最高峰エヴェレストから流れ落ちる巨大な氷河の縁を、小さな人間が列になって歩いている。今までとは、全く違う世界がここにあった。人が足を踏み入れることのできない、神々の領域のほんの入口を垣間見ることができているように思えた。
 ゴラクシェプで軽く食事をして、早速、カラ・パタールに登る。
 さすがに苦しい。このトレッキング、最高所となる歩行。足元も、雪が多く滑りやすい。トレースのついていないところでは、積雪は30cmほどもあろうか。
 11時45分。5550mのカラ・パタールの丘に立った。
 空が蒼い、青さが濃い。群青というか、濃紺というか、黒さに近い空。ここが、神々の世界か。これが、ヒマラヤの山々か。タウチェが大きい。プモ・リは、このままリッジ通しに登っていけそうだ。そして、エヴェレスト、ローツェ。数え切れないほどの白い山々。
 雲が次々に流れる。静かで、美しく、気高く、静謐な世界。白い雪、濃い青の空、茶色い岩。空の色も、一定ではない。天頂は紺で、スカイラインは青みが増して見える。見えるもの全てに魅了され、圧倒された。
 約1時間30分、頂に留まって、降りた。
 17時、頭痛。山頂に長く居すぎたか。身体もだるい。明らかに高所障害の症状に思える。ここまでは、ほとんど問題がなかったのに。

10月28日(火)[晴れのち曇り]
ゴラクシェプ(5140m)〜エヴェレスト・ベース・キャンプ(5364m)往復〜ロブジェ(4910m)

 起床時、頭痛はないが、吐き気がして気分が悪い。熱があるときのように、フラフラする。
 エヴェレストBCまで約3時間の行程。迷ったが、歩き出すとそのうちに調子が出てきて、2時間でBC到着してしまった。
 ここがエヴェレスト・ベース・キャンプか、と思う。幾多の歴史と伝説が生まれ、人々の運命を変え、人々の生と死を見てきた場所か。荒涼とした世界だが、時間の重みを感じる場所でもある。向こうにアイスフォールが見える。あそこを縫うようにして、歩いていくのか。サウスコルも見える。あのあたりにキャンプを張るのか。そして、頂上稜線。デス・ゾーン。
 カラ・パタールでは、世界の美しさに目を奪われたが、エヴェレストBCでは、リアリティのある山そのものに心を奪われた。
 ロッジに戻ると、疲れきっており、椅子に座り身体が動かせなかった。いっそここでもう一泊したい、という誘惑に駆られたが、「高度を下げなくてはならない」という理性で、無理に身体を動かす。
 長い道のりを何とかロブジェまで下り、宿を取る。

10月29日(水)[晴れのち曇り]
ロブジェ(4910m)〜タンボチェ(3860m)

 朝から、のどは痛いし、頭は痛いし、身体はフラフラする。一晩寝たが、昨日とほとんど体調は変わっていないような感じだ。
 タンボチェ目指してひたすら歩くが、標高が4000mを下回っても体調があまり変わらず、ここでようやく、もしや、と思い始めた。もしかしたら、これは高所障害ではなく、ただの風邪かもしれない。風邪なら、発熱、頭痛、のど痛、寒気などの症状にも納得がいく。
 13時10分、タンボチェ着。ロブジェから一気に下ってくると、ここはもう「人間の世界だ」という感じがする。樹も茂っているし、人もヤクも多い。タンボチェは、確かに眺めもいいし、良いところなんだけど、何か人工的なにおいがする。個人的には、ロブジェからゴラクシェプまでの白くて山しかない世界のほうが好ましく思える。

10月30日(木)[晴れのち曇り]
タンボチェ(3860m)〜ナムチェ・バザール(3440m)

 夜はわりとよく眠れた。寒さもそれほどでもなかった。
 体調はあいかわらずだが、ペースは順調。支尾根を曲がるたびに後ろを振り返り、だんだん小さくなるエヴェレストとアマ・ダブラムへの名残を惜しみながら歩く。
 ナムチェ・バザールのチベタン・バザールは、変わらないにぎやかさを見せていた。ゆっくり見ていたかったが、体が動かず、結局部屋で寝ていた。寝るのなんか、明日でもカトマンドゥでもできるのに、と思いつつ。

10月31日(金)[晴れのち曇り]
ナムチェ・バザール(3440m)〜パクディン(2610m)

 今日も体調は万全ではない。夜中にせきをして、何度も起き上がる。朝も起きるのが億劫。
 道中、暑いはずなのに、とても寒く感じる。途中でダウンジャケットを着る。周りの人は、半袖半ズボンで歩いているのに、一人で寒がっている。これは、明らかに風邪だな、と思う。
 パクディンに着くと、すぐベッドへ。夕食のために起きたが、気分が悪く食欲もない。トレッキングを終えた、欧米系グループが、飲んで唄って大騒ぎ。こっちも明日一日で終わりなので、ビールの一杯でも飲みたいところだが、とても、そんな状態ではない。早々に部屋に戻ってまた眠る。

11月1日(土)[晴れのち曇り]
パクディン(2610m)〜ルクラ(2840m)

 今日で歩行は最終日。体調はあいかわらず。多少はましか、という程度。最後くらい気分よく歩きたいが、頭も身体もフラフラする。
 ルクラから意気揚々と登ってくる人たちと、たくさんすれ違う。行く人と戻る人。彼らはこれからどんな経験をするのだろうか。どんな思いを抱えて、この道を戻ってくるのだろうか。まさにここは運命がすれ違う道だな、と思った。
 10時ルクラ着。17日前、不安と期待に胸を膨らませて、真っ暗な店内で初めてのモモを食べたあの店に帰ってきた。カトマンドゥへのフライトは明日なので、今日はここで宿泊。
 夜、やめておけばいいのに、最後だと思ってビールを飲んだ。これが決定的に悪かった。夜中、トイレと部屋を何度も往復した。

11月2日(日)
ルクラ(2840m)〜カトマンドゥ

 風邪というより、二日酔い的な症状で、朝から気持ちが悪い。やっぱりビールはやめておけばよかった。
 軽く朝食を摂り、空港へ。しかし、カトマンドゥでのマウンテンフライト(遊覧飛行)の客を優先させるので、1時間は遅れるとか。結局、7時30分の予定が、10時過ぎになって、ようやくフライト。行きとは違って雲が多く、山はあまり見られなかった。眼下のどこまでも続いている段々畑のほうが印象的だった。
 山はどんどん小さくなり、街が少しずつ大きくなってきた。カトマンドゥのあの独特のにおいが近づいてきたような気がした。



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