夜はわりとよく眠れた。さすがに4000mを切っているので、寒さもそれほどでもなかった。
5時30分に起きて、静かにロッジを出る。快晴。
裏の山から日の出を見るつもりだった。しかし、なかなか日が出ない。
ナムチェ方面はとてもきれいで、奥の山は白く、見栄えがする。
逆に、エヴェレスト方面は、雪の付き方が少なく、黒っぽいので、陽が当たってもあまり美しくない。北面と南面の違いだろうか。
アマ・ダブラムがきれいに見えているが、ちょうど裏側から陽が当たっているようで、「赤くなる」という感じではない。
遠くの山々は明るくなるのに、谷間に位置するタンボチェの日の出は遅い。6時45分まで待ってみたが、日の出の気配がないため、ロッジに戻る。
食事後、下山。
あいかわらず、のどが痛く、身体は少しフラフラするが、ペースは順調。3800mを下回れば、富士山の高度を切ったことになる。もう自分のテリトリーに入った。酸素の濃さを実感し、多少のUPは苦しくない。
プンキ・テンガの集落の端に沢があったので、そこで、久々の洗顔、洗髪など。
ゴーキョルートとの分岐に着くと、行きに会った「このあたりの道を一人で修繕したんじゃ」という老人はまだいた。確かに、この辺は石組みなどもしっかりしているし、道も広い。石切をしている人たちもいる。お金を集めて、さらに人を使って、道を整備している、というのも全くの嘘ではなさそう。
アマ・ダブラムの眺めがいいキャンジュマで昼食を摂り、ナムチェ・バザールへ。支尾根を曲がるたびに後ろを振り返り、だんだん小さくなるエヴェレストとアマ・ダブラムへの名残を惜しむ。
ナムチェでは、行きに泊まった宿へ。プラカスが部屋はあるかと聞くと、何やら主人ともめている。「またか」という感じがした。結局、2人分を払うことで決着したようだ。そんなに日本人は嫌いですか?前に泊まったとき何かしたかな(何もしていないと思うが)。もう三泊目なんですけど。
プラカスによると、ここはいつも決めている常宿とのこと。こんなの「もう二度と日本人をつれてくるな」と言われているようなものではないか。どうも納得いかんな。
ナムチェ〜ゴラクシェプまでの大きな宿は殿様商売だと思う。ガイド付きのツアーだと、泊まる村も宿も決まっているし、何もしなくても人は来る。それは、同じ泊めるのなら、お金をたくさん落としていく人間を泊めたほうが良い、というのも分かるけど。何だかすごくイメージが悪い。
そういえば、ゴーキョで会ったガイドなしの一人歩き日本人は、小さな村を選んでいけば、ほとんど泊まっているのは、自分ひとりだけだった、と言っていた。ゴーキョのほうの小さい村の小さいロッジは、とても親切だったし、アットホームな感じがした。選べるなら、そういうところに泊まったほうがいいんだろうな、と思った。(カトマンドゥに下りて、日本料理店の情報ノートを見ると、トレッキング費用節約のため、下からラーメンを持って行って、かまどを使わせてもらって作ったほうが安く済む、という話が書いてあった。そんなことしてるから、日本人が嫌われるんじゃないか?ラーメンなんか、ロッジで食べてもRs60(約100円)くらいなんだから、そんなところで節約しなくてもいいと思うのだが。かまどをわざわざ使わせてもらう薪代のほうが高くつくような気がする。)
プラカスがチベタン・バザールでダウンジャケットを買っていた。ノースフェイスがRs800(約1280円)だとか。でも、縫合が甘いので、自分で縫い直して使わないといけないそうだ。それにしてもダウンジャケットがRs800とは。安い。
ナムチェももっと見ていたかったが、体が動かず、結局部屋で寝ていた。寝るのなんか、明日でもカトマンドゥでもできるのに、と思いつつ。
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