ネパール・トレッキング(クーンブ編)
10月20日(月)[晴れのち曇り]
ドーレ(4200m)〜パンカ(4480m)

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6:00 起床 4℃ [脈拍70回/分]
7:55 ロッジ発
9:10-9:35 休憩(ルザ(Luza・4360m)) 13℃
10:00-11:40 休憩(マッチェルモ(Machhermo・4410m)) 15℃
12:10 パンカ(Phang・4480m)Fanga View Point Lodge 10℃
18:30 夕食
20:00 就寝

 4000mを越えているので、朝の冷え込みは厳しい。ただ、ダウンジャケットを着て寝たので、寝ているときは、それほど寒さを感じなかった。
 いつものように、朝は快晴。トレッキングをしている感じでは、朝は晴れ、だんだん雲が増えて、午後には曇り、夕方はガスの中で、夜中になるとまた晴れる、という天気のパターンになっているように思われた。
 ロッジから出ると、周り一面が山、というのは、なんとも気持ちがよいものだ。空気も澄み渡っている。
 ドーレから、尾根まで一気にUP。朝イチで苦しいが、高度はぐんぐん上がる。
 ルザで一服。そこからは水平のトラバース道。少しずつ登ってはいるが、背後のタムセルク、カンテガ、眼下のドゥード・コシ(河)、前方彼方のチョ・オユーが素晴らしく、快適なトレッキング。<★振り返ると、歩いてきた水平道がずっと見えている>
 ドーレから2時間で宿泊予定地のマッチェルモに着いてしまう。あまりにも早いので、今日中にでもゴーキョまで行けそうな勢いだ。しかし、行動時間はともかく、ドーレ〜ゴーキョだと、一日で1000m近くの標高差を登ることになるので、高所障害を考えてやめておく。
 で、マッチェルモの次のカルカ(放牧地)のパンカまで行くことにして、ここで昼食。
 昼食を摂っている間に、プラカスが、他のガイドとカードゲーム(トランプ2セットを使ったキティというゲームらしい)に夢中になって、動く気配がない。まあ、別にここで泊まってもいいし、と思い、放っておくことにする。
 1時間30分近く遊んで、ようやく戻ってきた。「Rs350勝ちました!」とうれしそうに言われると、返す言葉がない。待たせて悪い、とかそういう認識はないようだ。それもまたネパール流か。
 11時40分再出発。目の前の支尾根を登り、トラバースに入ると、もう目的地パンカのロッジの屋根が見えた。なだらかに続く踏み跡、そこを歩くトレッカー、その先に見えるチョ・オユー、とても写真栄えのしそうなポイントだ。雪崩発生地点
 マッチェルモから30分、パンカに到着。
 ここのテントサイトは、1995年11月に日本人13人、ネパール人12人が雪崩で亡くなった場所。今は、"Japanese Camp"とも呼ばれているそうだ。時期は今とほぼ同じなのだが、斜面に全く雪はなく、どうしてこんなところで、と思わざるを得ない。とても雪崩が起こりそうな場所には見えない。
 ロッジを決めて(パンカには2つしかロッジがないけれど)、お茶を飲んでもまだ12時30分。マッチェルモには水があったが、このあたりはどれも涸れ沢。ロッジの真下にドゥード・コシの流れが見えるが、直接降りるとかなりの急傾斜となる。
 今日はほとんど行動していないので、いろいろ歩き回って、結局ゴーキョ方面に10分ほど行ったところから沢に降りる踏み跡を発見。水流のあるところまで降りて、洗顔などして戻る。
 すぐそばのマッチェルモが大きな村なので、あえてここで泊まる人は少ないようだ。ここからゴーキョまでは、約3時間。明日も行動時間は少なそう。高所順応のためには、これくらいでちょうど良いか。
 ここは、森林限界を越えているので、薪はない。燃料となるのはヤクの糞だ。ヤクは、肉も乳も毛皮も、無駄なく、全て使われているものだと感心する。ヤクを見ていると、ものすごく小さな草を食んでいるのが分かる。無心で黙々と食べ続ける。食べつくすんじゃないかと思えるくらい、ずっとずっと食んでいる。ただの芝生にしか見えないような草をもそもそ食べて、良くあの巨体を保てるものだと思う。
 雲が眼の前にあって、踊っている。4年前のアコンカグアのときを思い出す。またこういう世界に来たのだと思う。
 4500m近いのに、予想外に調子がいい。富士山に3回登ってきた成果か。まだこれからなのか。ゴーキョルートは、一気に高度を上げるから、障害が出やすいと聞いていたが、それほど急激なUPはなく、むしろトラバースが多いような印象を受けた。


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