標高と寒さのためか、あまり眠れない。夜中のどが痛い。
12時、トイレのために外に出る。満天の星空。天の川が、まるで龍のように天に向かって走っていた。
起床時、頭痛はないが、吐き気がして気持ちが悪い。熱があるときのように、フラフラする感じ。脈拍を測ってみると、88回/分。普段が、60回程度なので、明らかに悪い兆候。
部屋の中でも寒く、ベッドの下に置いてあった濡れた靴は、凍っていた。
エヴェレストBCには行きたいが、無理かもしれないな、と思いつつ、朝食を摂る。油ものは避け、トマトスープとチャパティとミルクティ。食事をすると、なんとなく落ち着いたような気がする。スープと紅茶を飲んだことで、のどの痛みも治まった。
エヴェレストBCまで約3時間の行程。とりあえず、1時間だけ歩いてみて、それで様子を見ることにした。
ダウンジャケット、フリースを着た状態で歩き出す。テルモス(ブラックティ)、ヘッドランプ、地図、行動食などをサブザックに入れて持つ。歩き出しは順調だったが、ちょうど1時間経ったくらいで、歩けなくなった。どんどん先に行ってしまうプラカスを呼び戻し、「ここで引き返そう」と告げる。
空は晴れているが、ヌプチェに隠れて、陽が当たらず、手袋をしていても手がかじかんで、ストックもうまく持てない。寒さで身体も思うように動かず、しゃがみこむと動く気力もなくなった。
10分ほど、テルモスやクッキーを食べて、休んでいると、ヌプチェピーク付近から太陽が顔を出した。一気に暖かくなる。
身体も動くようになり、「もうここまでだから」と思い、BC方面の写真などを撮って、歩き回る。
歩いて、クッキーを食べて、紅茶を飲んでいると、何だか調子が出てきた。「行けるんじゃないか」という気がしてきた。
もう少しだけ、せめてBCが見えるところくらいまで、と先に進むことにした。
ゆっくりゆっくり歩くと、身体も温まって、調子も上がってきた。休み休みではあるが、少しずつBCは近づいてくる。身体のだるさ、頭の痛みもほとんどなくなった。<★エヴェレスト・ベース・キャンプへの道>
休憩したところからさらに1時間歩いて、BC到着。
墜落したヘリコプターが大破して放置されていた。遠くのほうにエヴェレストアタック中と思われるテント(アメリカ隊らしい)も見えたが、そこまで行く気力はなかった。
ここがエヴェレスト・ベース・キャンプか、と思う。幾多の歴史と伝説が生まれ、人々の運命を変え、人々の生と死を見てきた場所か。あの人も、あの人も、あの人も、エヴェレストを目指した人は、みんなここに来たのか。荒涼とした世界だが、時間の重みを感じる場所でもある。
アイスフォールが見える。あそこを縫うようにして、歩いていくのか。
サウスコルが見える。あのあたりにキャンプを張るのか。
そして、頂上稜線。デス・ゾーン。
カラ・パタールでは、世界の美しさに目を奪われたが、エヴェレストBCでは、リアリティのある山そのものに心を奪われた。
写真など撮って、10時にBCを出る。<★クーンブ氷河の縁を歩いてゴラクシェプへ戻る>
ロッジに戻り昼食。シェルパシチューのみ食べる。
このときすでに疲れきっており、椅子に座ってしまうと身体が動かせなかった。いっそここでもう一泊したい、という誘惑に何度も駆られたが、「高度を下げなくてはならない」という理性で、無理に身体を動かす。
脈拍を測ってみると、103回/分。行動したせいだが、朝よりさらに悪い。
プラカスは「ペリチェまで下りましょう」というが、それはとても無理だと思った。
1時間休んで、ロッジを出る。ザックの重さが身体にかかる。
下るはずなのに、UPが多く、ペースが上がらない。
「少しでも下らなくては」とそれだけ考えて歩く。しかし、身体はだるく、疲労は深く、一歩一歩が進まない。15分歩いては、倒れるようにその場にしゃがみこむ。
ロッジで入れてもらったテルモスのお茶を少しずつ飲む。
プラカスは、ずっと先に行ってしまった。周りを通りかかる人もいない。一人で、座り込んでいると、このまま眠ってしまいたくなる。何のためのガイドなのか、と思うが、声も届かず、どうにもならない。
高度計を何度も見るが、なかなか5000mを下回らない。登ったり下ったりを繰り返しているので、高度が下がらないのだ。とにかく、下らなくては、と思うのだが。
思考能力が落ちている。意識が飛びそうになる。頭が痛い。気持ちが悪い。身体が動かない。高度障害としか思えなかった。
3回くらい倒れこんで、動けなくなった。力を振り絞り、ザックからテルモスを出してお茶を飲む。
下るしかないんだ、という意思だけで身体を持ち上げる。
ガイドはどこに行ったのか、先を見ても影すら見えない。
ロブジェはいつになったら着くのか、高度は全然下がらない。
何パーティかに追い越されたが、彼らのペースに全く着いていけない。ガイドを呼んでもらおうかと思ったが、声が出ない。
1時間30分ほど歩いたところで、ようやくプラカスが待っていた。
倒れこむように「ガイドの意味がないではないか」ということを伝える。
その後は、後ろについてサポートしてくれた。気分的に楽になった。
5000m、4950m、と高度が下がるごとに少しずつ楽になっていく気がした。
高度計と時計を見ながら、意思の力で歩く。
「下らなきゃ、下らなきゃ……。」
頭痛、吐き気、体のだるさは変わらない。
空気の乾燥のためか、のどの痛みもある。呼吸が苦しい。声がかすれる。嫌な咳が出る。
とにかく寒い。
お茶を飲むと少し良くなるが、またすぐ元に戻る。
ロブジェが近くなり、道が平坦になると、だいぶ楽になった。歩くペースも周りの人と変わらないくらいになった。
ロブジェに着くまでは、暗くなってもいいから、もっと下ろうと思っていた。高所障害なら、できるだけ高度を下げたほうがいい。ペリチェは無理でも、トゥクラまででも。
しかし、ロブジェでミルクティを飲んで、気力が萎えた。
もういいか、次の村まであと1時間か2時間か、歩く力がない。
すでに15時だ。途中で暗くなるのは間違いない。途中で動けなくなるかもしれない。トゥクラまでには峠越えのUPもある。
それを考えれば、ここで一泊して、回復したところで下りたほうがいい。
結局、疲れて、眠くて、もう動けなくなり、ロブジェで一泊することにした。
ゴラクシェプよりは、頭痛も吐き気も気分の悪さも、ましになってきている。
しかし、とにかく疲れていた。早く横になりたかった。
もしかしたら、このまま寝たら、明日の朝冷たくなっているかもしれない、という悪い予感も頭をよぎるが、もう動く気力がなかった。
夕方、ロッジにペリチェの診療所の人が来た。明らかに、高所障害だと思ったが、申告しなかった。「高所障害です」と言われたところで、下りるしかないのは明白なので、どうしようもない。どうせ明日は下りるのだ。
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