「記録的な大雪の年に」
北アルプス 剱岳 早月尾根往復

2005年12月28日(水)〜2006年1月1日(日)
メンバー:佐野、船山、朝岡、神谷(記)
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<風雪を越え、頂に向かう>


当初の計画は、赤谷尾根から剱本峰経由、早月尾根下山というものだった。
これは、昨年の年末山行、東芦見尾根支稜〜ブナクラ谷下山に連なるものであり、そのために今年5月には同ルートを歩き、状況を把握にも努めた。
11月に入ると山では雪の便りが聞こえ始めた。
12月になると、何かおかしい、と気づき始めた。
連日の冬型。日本海側では、ひたすら雪が降り続き、テレビでは大雪のことをトップニュースで取りあげていた。
富山県警に計画書を出す締め切りは過ぎていた。
しかし、まだ迷っていた。
赤谷尾根は無理かもしれない。では、小窓尾根か。
メンバーの一人が、かつて正月に小窓尾根を2泊3日で抜けたことがある、と言った。それなら、多少雪が多くても、プラス2-3日で抜けられるか、と思った。
五六豪雪のとき、剱に入っていた、という人の話も聞いた。今では想像もできないような雪の量だったようだ。
ここ数年は暖冬続き。昨年の正月も入山時は馬場島での積雪はほとんどなかった。「上市から馬場島までラッセルで3日かかった」とか「一晩に降ったドカ雪でテントが完全に埋もれたしまった」などという話も、もう伝説のようにしか感じられていなかった。
しかし、今年は何か違う。

ともかく、計画は小窓尾根で出しておき、天気予報と現地の状況を見て、最終的な判断を下そう、ということにした。
11月中旬に行った五竜岳では、予想外の積雪で頂上を踏むに至らなかった。
12月頭に予定していた甲斐駒ヶ岳黄蓮谷も、突然の大雪で、行く気にすらならなかった。
そして、直前に行った谷川岳西黒尾根は、腰ラッセルの連続で、頂上はるか手前で時間切れとなってしまった。
冬になって、まともに登れた山はひとつもなかった。

果たして、剱の積雪はいかなるものなのか。
最も取り付きやすい早月尾根でさえ、登頂が難しいのではないか。
いっそ、安全策をとって、全く別の場所に転進した方がいいのではないか。

毎日、天気予報とにらみ合っていたが、日本海側の大雪は、一向に収まる気配がない。
年末年始の予報も、それほどいい傾向にはない。
不安は募るばかり。
それでも、行ってみたかった。
たとえ頂上にたどり着けなくても、「本物の剱の雪の量」を体験してみたかった。
地球温暖化、暖冬傾向、と言われて久しい。
「剱の大雪」はもう二度と来ないと思っていた。
しかし、今年はそれがある。
だったら、見てみたい、行ってみたい、体験してみたい、もがいてみたい、苦しんでみたい。
ダメでもともと、やれるところまでやってやる、という気分で、12月27日の夜、東京を出発した。

12月27日付けで出された富山県警「冬山情報第2号」には、以下の情報が掲載されていた。

>立山・剱岳を中心とする山岳地帯の積雪状況は、12月26日現在、
>○ 室堂平(標高2,450m)  5.9m(昨年 1.8m)
>○ 大観峰(標高2,316m)  4.8m(昨年 1.2m)
>○ 黒部湖(標高1,450m)  3.3m(昨年 0.12m)
>○ 馬場島(標高750m)   3.2m(昨年 0.1m)
>と昨年に比較して約3倍の積雪量となっています。


少なくとも、昨年の比ではないことが判った。

12月27日
最初から良くない知らせを受けた。
23日から早月尾根に入山していた学生パーティ(中にはYCCの会員を含む)が、凍傷のため、早月小屋から下山して、入院した、というのだ。
話によると、馬場島までもラッセル(途中で雪上車に乗せてもらう)で、その先も連日、腰以上。場所によっては首まで埋まるような状態。降雪が続いているため、自分たちのトレースも消え、下山するだけでも大変だったという。
凍傷者が出たパーティだけでなく、同時に入山していた他大学パーティの助けも借りて、一日がかりでようやく馬場島に下山したらしい。
http://juac.web.infoseek.co.jp/sankoukiroku/turuhuyu/tu.html
我々は今からそんなところに行こうとしているのか。
ますます不安は募るばかりだが、ここは行ってみるしかない。高速を一路富山に向けて走り出す。
始めは順調に走っていたが、北陸道に入り、2車線あるはずの道路が、中央の1車線分しか除雪されていなかった。当然、速度規制も厳しい。さっぱり先に進まない。
そのうち、日付が変わり、1時になり2時を過ぎた。
なんとか上市まで、と思っていたが、それは無理な話だった。
高速を途中で降り、道の駅で仮眠を取る。あまりの寒さに気力が萎える。

12月28日
再び高速に乗り直し、上市を目指す。判っていたことではあるが、昨年と比較すると考えられないほどの雪の量だ。
上市市街でギア分けをしながら、落ち着いて今後の日程と計画を考え直す。
結果、小窓尾根は断念。早月尾根に転進を決定。登攀用のギアをかなり減らしていくことにした。
日程が2週間くらい使えるならともかく、好天が期待できないこの状況下では、早月尾根しか選択肢はなかった。

伊折の集落まで車を入れる。昨年、車を停めたスペースは雪に埋まっていた。ラッセル車の転回スペースが何ヶ所かあったので、そこのひとつを拝借させてもらう。

14時20分。伊折を出発。<★伊折から歩き出す>
すでにこの時間であるし、今日は最初から馬場島泊まりの予定。
昨年は、この林道も全く雪がなかったのに、今年は雪上車でないと入れないくらいの状態だ。途中のゲートも頭だけが見えている。まるで別の場所のようだ。<★途中のスノーシェッド>
17時。馬場島着。積雪3mほど。馬場島警備派出所で話を聞き、ヤマタンを受け取る。<★派出所>
現在、入山しているのは3パーティ。早月尾根で粘る学生1パーティ、赤谷方面に1パーティ。今日登って早月を目指す1パーティ。
登山届出条例適用区域には計22パーティ83人で、昨年同期は24パーティ93人となっていた。
12月に入り雪が降らなかった日は2日しかなく、すでに例年の1年分の雪が積もっている状態だという。早月尾根への変更を告げるが、頂上に行けるかどうかも大変だろう、という話。
もう、それでも行くしかないのだ。
隣の馬場島荘は、一階が完全に雪に埋もれ、かまくらのように入り口だけ穴を開けて入れるようになっていた。<★馬場島荘入り口>
水とトイレは使っても良い、とのこと。水作り用の燃料・時間が節約できるのはありがたい。
屋根のあるところにテントを張り、明日の行動を思いつつ、シュラフに入る。夜、松本CMCのパーティが来て隣にテントを張った。

12月29日
朝早くから起床したが、雪が降っており、太陽が出ないので、暗くて行動できない。出発準備だけして、馬場島荘でしばらく待機。馬場島荘に泊まっていたパーティは、赤谷尾根から赤谷山往復するそうだ。
6時20分。明るくなるのを待ち、ワカンをつけて出発。雪も小降りになっていた。
最初は順調。トレースがついていた。ペースも上がり、これなら楽に早月小屋まで行けるのではないか、と思っていた。<★最初はトレースがあったのだが>
しかし、甘かった。
松尾平にテントがひとつ。その先でトレースが消えていた。
ここまでのトレースは、彼らが付けてくれたものか。
そこから、本当のラッセルが始まった。
基本は腰くらい。急斜面では、雪を削って押し固めて、じっくり進む。<★ラッセル!><★ラッセル!!><★ラッセル!!!>
先行した学生パーティのトレースは全く見えなかったが、足元には、踏み固められた感触があり、それをはずすと首まで埋まる感じ。悪天の中この雪を突き進んだ彼らの苦労が忍ばれる。
そのうち、後ろから松本CMCのパーティが追いついてきた。我々が4人。彼らが3人。合計7人でラッセルを交代しながら進む。4人のときとは格段に楽になりスピードも上がった。<★松本CMCと合流>
このラッセル、トップがひたすら大変で、セカンドが踏み固めてくれれば、3人目以降は、ほとんど苦労しないで進める。CMCのメンバーもかなり強力で、ガンガンラッセルしてくれたので、ずいぶんと助かった。<★樹林帯をゆく>
空は、徐々に晴れ始めた。一日曇りか雪を覚悟していただけに、この晴天は嬉しかった。<★青空が!>
1700mを超えると、ラッセルは楽になった。学生パーティのトレースも見えるようになった。このあたりに来ると、風で雪が飛んでしまうのかもしれない。
左を見ると、昨年登った東芦見尾根がでっかく見えた。ここから見ると、よくあんなところ登る気になったものだ、と思えるほどに長大な尾根だ。赤谷尾根も小窓尾根も雪をまとってきれい見える。来年こそ、あちらの尾根を目指したい。
そうこうするうち、尾根の先に早月小屋が見えてきた。トレースがなくなり、ラッセルが始まったときには、今日中に早月小屋に到着するのは無理かもしれない、と思っていたのだが、案外順調で、これなら余裕で小屋まで行けそうだ。
空は快晴と言えるほどになり、本峰の姿も見えてきた。思わず見とれるほどの美しさ。

13時半には、早月小屋到着。<★埋もれた早月小屋>
早月小屋は二階まで雪に埋もれていた。しかし、風向きのおかげだろうか、小屋の前にはぽっかりとスペースが空いて、雪に囲まれたテント場を確保できた。
小屋は年末年始、開いているものと思っていたが、残念ながら無人。
天気も良いので、のんびりとテント設営などした。

夜、ラジオで天気予報を聴く。
寒気を伴った低気圧が、前線を引き連れて日本海から東北地方を横断。北陸・東北では大荒れになるとの予報。(「気象人」による30日の天気図
富山の平地の予報は、午前中は曇りで、午後から雪。
さらに、年明けになると、南岸を低気圧が通過し、太平洋側でも荒れた天気になると言っている。
この予報で、今後の行動を考えた。
もし、この低気圧が、太平洋に抜けた後、発達して冬型が決まったら、当然剱は大荒れ。行動できる状態ではなくなるだろう。
今日晴れたのは、本当に偶然でしかない。この先、いつ晴天が期待できるか判らない。一旦荒れはじめれば、下山さえ危うくなるかもしれない。
さりとて、ここまで来て、明日下山、というのももったいない。食糧、燃料はまだ充分にある。しばらく停滞してもまだなんとかなる。
結果、明日の行動をこう決めた。
平地より山の方が悪天は早く来るだろう。それでも午前中は行動できるのではないか。空身で行けるところまで行って、10時を目安にテントに戻ることを考えよう、ということにした。
このときは、明日行動しないと、今度いつ行動できるか判らない、と思っていた。
この日、早月小屋には3パーティがテントを張った。我々とCMCと後から登ってきたもう1パーティ。

12月30日
午前1時頃から風が強まってきた。風の音で目が覚める。予想以上に悪天は早く来るかもしれない。
真っ暗ななか、隣のテントのCMCが動き出す気配を感じた。時計を見ると3時。彼らも今日、なるべく早く勝負を決めてしまおうと考えているようだ。それにしても、3時から動き出すとは気合いが入っている。
我々は4時半に起床。行動するにしても、明るくなってから、と考えていた。
起きた時点ですでに雪が降っていた。これは動けないだろう、と思っていながら、朝食準備をしていたら、CMCが戻ってきた。
稜線上は風が強くて、とても行動できない。今日は無理だ、とのこと。
それはそうだろうな、と思いつつもほっとした。これで、彼らが登ってしまったら、なんか悔しい気がする。
CMCが戻ってきたことで、我々も安心して停滞を決め込む。
昼が近くなると、徐々に風は強さを増してきた。テントを押し潰さんばかりの風だ。雪も間断なく降り続けている。
仕方がないので、外に出て、ブロックを積んだり、除雪をしたりする。叩きつけるような風雪で、眉毛が凍って痛い。凍傷になりそうだ。メガネも凍って役に立たない。こんなことなら、天気のいい昨日のうちにちゃんとブロックを積んで、態勢を整えておくべきだった。
風の音を聞きながら、一日過ごす。雪の壁に囲まれた小屋周りでさえこの風なら、稜線上は相当なものになっているだろう。
ラジオを聴いていると、「年末年始を剱岳で過ごす人たちが伊折を出発しました」というニュースをやっていた。去年は馬場島で取材していた。今年は報道がそこまで入れなかったのだろう。
この天気の中、早月小屋まで登ってきたパーティがあった。また、唯一先行していた学生パーティ(慶応山岳部)が、頂上アタックに成功して降りてきた。彼らは23日から入山して、1週間かけて無事登頂したようだ。
http://home.netyou.jp/cc/lhooq/public_html/frame.html

ラジオの天気予報を聞くと、明日は天気が回復するらしい。
低気圧が抜けた後の冬型が心配されたが、天気予報と16時に取った天気図から考えるに、低気圧は東北の東に抜け、大陸から移動性高気圧が張り出して来るようだ。明日明後日は好天が期待できる。しかし、その後はまた天気が崩れる可能性がある。(「気象人」による1日の天気図
チャンスは二日間。
今日降ったの雪で、どれほどのラッセルを強いられるかが不安だが、明日、行けるところまで行って、トレースを付け、頂上に到達できなければ一旦小屋まで戻り、明後日、さらにそのトレースをのばして、頂上を目指す、という戦略で臨むことにした。

夜になっても風雪は収まらない。
壁側が雪の吹きだまりになって、テントの一方だけ、雪が積もってくる。それが自分の寝ているところだから始末が悪い。テントがどんどん迫ってきて、押し潰されそうになってくる。風雪の降りしきる中、やむなく、22時頃外に出て除雪。

12月31日
雪は2時頃止んだ。これ以上降り続いたら、朝までにもう一度除雪をしなければならないか、と思っていたが、ギリギリのところで収まったようだ。
4時半起床。まだ多少、雪が降っているが、風は収まった。6時50分出発。行動食、ヘッドランプ、その他、少々の登攀具を持つ。ロープは4人で1本。
CMCは30分ほど前に出発していた。<★小雪の舞うなか出発>
CMCのトレースを追いながら歩いていく。30分ほど歩いたところで、傾斜が急になってきたので、ワカンからアイゼンに替える。
空は徐々に明るくなり、雲は切れていった。
頂上方面に上がる雪煙が気になったが、このときは、風が強そうだな、と漠然と思っただけだった。<★行く手には雪煙>
2500mあたりでCMCに追いつく。コルからの登り返しでラッセルがきつく、手間取っているようだ。
その先は、細いリッジになっており、雪が不安定なこともあり、彼らはロープを出すという。
我々もハーネスを着け、いつでもロープが出せるようにした。
トップは腰以上のラッセルで、不安定な雪に苦しんでいるようだが、一旦トレースがついてしまえば、後続は、なんと言うこともなく通過できてしまう。我々はロープを出さず、CMCの後に付いた。<★ここのコルからロープを出す><★風雪を越えて>
しかし、このあたりから、風が猛烈に強くなった。目出帽をして、フードをかぶっているが、マツゲが凍り付いて、ツララができる。視界が狭まり、前が見えなくなってしまうのには参った。歩きながら、頻繁にマツゲの氷を払っていないと、さっぱり進めない。
先行パーティがスタカットでロープを出しているので、こっちはじっと待っているしかない。メンバーの顔には、氷が張り付いている。手も足も寒くて仕方がない。その場で足踏みしたり、指先を動かしたりして、凍傷にならないよう気をつける。<★先行するCMC。待つYCC>
気温は、-17℃〜-20℃。風速は20m/sほど。とにかく寒い。
さっさと進みたいのに、進めないのがもどかしい。
雪がクラストし始め、ラッセルの必要がなくなったあたりで、CMCはロープをしまった。
その間に、我々がトップを交代した。
ラッセルが減ったとはいえ、風はあいかわらず。マツゲの氷もあいかわらず。<★ラッセルはなくなったが>
それでも、時間が経つにつれ、すこしずつ、風の強さはゆるんでいくように感じられた。<★トレースは続く><★頂上はまだか>
すぐそこに見える山頂だったが、いつまで経っても近づいてこない。<★まるで映画のワンシーン><★頂を目指し黙々と進む><★ただ黙々と>
と、道標が見えた。剱沢方面との分岐。いよいよ頂上稜線だ。<★あそこが頂上だ>

11時35分。剱岳山頂。
祠は、頭だけを少し雪の上にのぞかせている。

真っ青な空。はるか遠くまで見える、澄んだ空気。白馬方面も槍ヶ岳も、遠くには、富士山も南アルプスも見える。富山の街は雲の下か。<★後立山><★槍ヶ岳>
まるで日本離れした光景。
ヒマラヤの8000m峰にいるかのような感じがする。<★まるで8000m峰を登っているかのよう>
素晴らしい。あらゆるものに目を奪われてしまう。
降雪直後の晴天、という気象的な要因があるのだろう。
自分たちでトレースをつけてきた、という心理的な要因もあるのだろう。
例年にない雪の量、という物理的な要因もあるのだろう。
ともかく、すべてがそろって、この充実感がある。

たかが早月尾根、なんてとても言えない充実ぶりだ。
あきらめずに登ってきてよかった。
頑張ってラッセルしてきてよかった。
昨日の嵐を耐えてよかった。
ほとんど奇跡のようだが、今日、こんなよい天気になってくれて本当に嬉しい。

12時を過ぎると、風はすっかり弱まった。
あの、風雪吹き荒れるコルは、あいかわらずであったが、それ以外は、穏やかなものだ。
結局、登りでも下りでもロープを出すことはなかった。
テントに戻って一息つく。

CMCの人たちは、今日中に降りてしまうという。
確かにまだ14時だ。登頂はしたし、時間的には、降りようと思えば、今日、馬場島まで降りられなくはない。
しかし、それほど慌てて降りる必要もない。我々は残ることにした。

この日、下から登ってきたパーティは4-5パーティくらい。
今日、明日で登る人たちはラッキーだ。トレースはしっかりついているし、明日も天気はよい。今日のように風も強くはないだろう。おそらく、なんの苦労もなく登れてしまうのではないか。

テントの中で、自分の手を見てみると、両方の中指と薬指に水ぶくれができていた。とくに両手中指は白い。顔面もやられたようだ。こっちは黒くなっている。他のメンバーもどこかしら凍傷を負っている。さすがにあの風の中では、どこかしらやられてしまうか。とくに佐野さんの状態は悪く、右手中指の爪が黒く変色するほどになっていた。三度に限りなく近い二度の凍傷。

凍傷は負ったものの、充実した気分のまま2005年は暮れようとしていた。
ラジオで、紅白や格闘技を聴いていたが、さすがに今日の疲れがたまっており、カウントダウンを待つことなく眠りに着いてしまった。

1月1日
2006年は早月小屋で迎えた。
昨日上がってきた人たちは、早朝から続々と頂上を目指し登っていった。
我々はもう下るだけ。
のんびりと片付けなどして、下山準備にかかる。
昨日のトレースはしっかり残っており、下りはあっという間だった。
昨日よりもさらに天気はよく、富山湾を見下ろしながらの下山は、気分がよかった。<★富山湾を見ながら下山>
登ってくるときは、このあたりは猛烈なラッセルで苦労させられたな、と振り返りながら、駆け下りるように高度を下げていった。<★馬場島から剱岳><★ゲート>


12月で雪が降らなかったのは、二日間しかなかった、という話を聞き、入山中も連日雪になるだろうと覚悟していた。しかし、幸運なことに、一日停滞しただけで、三日間の晴れを使って、登頂に成功することができた。
確かに、豪雪で、大雪で、猛ラッセルではあったが、それでも案外順調に進めた。とくに初日に早月小屋まで行けたのは大きい。当初の考えでは、小屋まで二日はかかるだろう、と思っていたからだ。
登る前は、たとえ早月尾根からでも、登頂すら難しいだろう、と思っていた。風雪の中、毎日雪にまみれながらラッセルを繰り返し、最後は時間切れか、今後の好天は見込めないから、という理由で下山することになるだろう、と思っていた。
今回、無事登れたのは、もちろん、天気がよかった為でもあるが、パーティの力量がそろっていたことも挙げられるだろう。いくら天気がよくても、腰以上のラッセルが続いたら、どこかで力尽きてもおかしくない。途中で合流した松本CMCのメンバーも強力で、お互い助けながら、ときに競い合いながら、登ることができた。あらためて彼らにも感謝したい。

凍傷を負ってしまったことは、反省しなければならない。事前に入山したパーティが凍傷で下山した、という話を聞いていたにもかかわらず、この有様だ。風が強くなるまで、薄手の手袋をしていて、途中でもう一枚重ねた(薄手2枚+オーバーミトン)のだが、厚手の手袋にすればよかったかもしれない。意識して、手足の指先は動かしていたつもりだったが、それでもダメだった。やはり、冷たいピッケルを持っている指先が最も弱いようだ。もっと厚手の手袋にするか、頻繁にピッケルの持ち替えを行うべきであった。
水疱になる二度の凍傷は初めての経験。今後は気をつけたい。

それでも、大雪を越えて、頂に立ったとき見えた光景は、生涯忘れ得ぬものになるだろう。
あの、真っ白で清冽な美しい世界。
それは未だかつて見たことのないものであった。
やはり、剱は何かが違う。
日本の山には違いないが、他の山にはない、別格の何かがあると思った。
とくに冬の剱には、絶対的な美しさがある。
だから、いくら厳しくてもつらくても、何度も雪の山に向かってしまうんだろうな、と思う。
きっとまた来年も。



12月28日(水) 雪
14:20 伊折集落発
15:15 ゲート(1℃)
17:00 馬場島(-3℃)

12月29日(木) 曇りのち晴れ
6:20 馬場島発
7:30 松尾平(-5℃)
13:25 早月小屋(-3℃)

12月30日(金) 風雪強し
一日停滞

12月31日(土) 曇りのち晴れ
4:30 起床
6:50 早月小屋発
11:35-12:00 剱岳山頂(-13℃)
13:50 早月小屋着(-3℃)

1月1日(日) 晴れ
8:00 早月小屋発
10:10-45 馬場島(0℃)
12:05 ゲート(1℃)
12:55 伊折集落(1℃)

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