山漫画の棚
 山の話は、小説よりも、絵にしたほうが、山を知らない人たちには伝わりやすいと思います。確保だ、カラビナだ、と言ったところで、文字で書く場合には、一つ一つ説明が必要になりますが、漫画だと、それが一目でわかるからです。
 しかし、漫画の描けるクライマーがそれほど多くいるわけではありません。取材のみで描く漫画家さんの苦労はいかほどかと思います。いかげんな描写は困りますが、どこまで「ウソ」をつけるか、というのも山漫画の魅力のひとつだと私は思います。リアリティの中に、ほんのりと「ウソ」が混じる物語、そんな話が私は好きです。

「PEAK」 原作:横山秀夫 漫画:ながてゆか
    ※↑別ファイルにて、各話ごと解説。
「岳」 石塚真一
「神々の山嶺」 原作:夢枕獏 作画:谷口ジロー
「山靴よ疾走(はし)れ」 紅林直
「ホワイトアウト」 原作:真保裕一 漫画:飛永宏之
「THE BIG WALL(ビッグ・ウォール)」 作:横溝邦彦 画:鎌田洋次
「捜索者」 谷口ジロー
「告白〜コンフェッション〜」 原作:福本伸行 作画:かわぐちかいじ
「学習まんが人物館 植村直己」 監修:中出水勲 まんが:本庄敬 シナリオ:滝田よしひろ
「ゴルゴ13シリーズ 『白龍昇り立つ』」 さいとう・たかを さいとう・プロ作品
「岳人(クライマー)列伝」 村上もとか
「K」 画:谷口ジロー 作:遠藤史郎
「氷壁の達人」 神田たけ志 ※GIGA-COMICS版とダイソー版の比較
「蒼き氷河の果てに・・・−植村直己物語−」 島崎譲
「おれたちの頂(いただき)」 塀内真人(夏子)
「こちら愛!応答せよ」 上原きみこ

「魔の山」 手塚治虫

「岳」  (1巻〜)
石塚真一 小学館ビッグコミックス 2003年〜
【bk1】/【amazon】


山岳遭難救助ボランティアの三歩が、北アルプスの山で救助活動を行う話。

傑作。
一話一話で完結しており、短い中に内容が凝縮され、クオリティは高い。
遭難事故が起こり、三歩が出てきて、(生死はあるが)救助して終わり、というパターンがほとんどだが、それでも毎回しみじみと心を打つ。
それは、救助する側にもされる側にも、それぞれのドラマが描かれているからだろう。山に来て事故に遭ってしまう人間も、それなりの理由がある。単に無謀登山で訳もなく遭難してしまうのではない。その裏側・背景が、ちゃんと突っ込んで描かれるのが良いと思う。

人の死を描けば、重い話になりがちだが、主人公のキャラクターがそれを救っている。
三歩という男は、ひょうひょうとしているようで、芯にはまっすぐ一本強い信念を持っている。常に冷静な判断を下すことができ、また暖かい人間愛も兼ね備えている。「救助ボランティア」という立場も、組織に縛られず、単独で自由に動けると言う点で、非常に効果的である。
彼がいるからこそ、この物語はかなり救われているように感じる。
そして、彼と対比するように描かれるのが、県警救助隊の久美。彼女は、山にほとんど興味がないままに救助隊に異動になってきた。「山はなんて怖いところなのだろう」「そんな山になぜ登るのか」という疑問に対し、久美というキャラクターを通じて、少しずつ答えを見いだしていく。その辺の描写がまた素晴らしい。

山岳救助ものの山漫画は、すでに何作もあるが、明らかにこの作品は、傑出した完成度を持っていると思う。何度も泣かされた。
第3歩「写真」で、「俺、感動した。助かった君に感動した」というところ。
第4歩「イナズマ」で、死んだ遭難者の父親に三歩が謝罪するところ。
第5歩「頂上」で、遭難者が死んだとたんに重く感じるようになるところ。そして、そのあと久美が北穂に登るところ。
みんな印象的で、心が揺さぶされる。

装備や技術なども、かなりリアルに描かれていると思う。多少の違和感を感じたとしても、それは物語の素晴らしさに対しては、何の瑕にもならない。
ついでに言うと、漫画的なテクニックというか、見せ方も素晴らしく、とてもこれが作者のデビュー作だとは思えない。
ともかく、立ち読みでも何でもいいから、一話だけでも読んでほしい。きっと、もっと読みたくなるはずだから。
クライミング・ブック・ニュース4月27日付から転載。)

「神々の山嶺」(全5巻)
原作:夢枕獏 作画:谷口ジロー 2000年〜2003年
 夢枕獏氏の山岳小説「神々の山嶺」の完全漫画化である。原作と話の展開が少しずつ異なる。大筋では同じなのだが、物語の順序が入れ替わっていたりする。あいかわらず谷口ジローの絵は素晴らしい。圧倒的な迫力。山漫画の一つの頂点と言える。原作は、毀誉褒貶いろいろあったが、原作を好きな人も嫌いな人もぜひ読んでほしい作品。
 BE-PAL(2000年9月号)のインタビューによると、谷口ジローは、まったく山をやらないそうである。すべて写真や活字からイメージを膨らませて、想像で描いているそうだ。それで、あれだけリアルな絵が描けるというのは、まったく凄いことだと思う。

「山靴よ疾走(はし)れ」(全5巻)
紅林直 集英社ヤングジャンプコミックス 1999年〜2001年
 2000年7月まで週刊ヤングジャンプに連載され、その後増刊号などで話が続いた。
 「北アルプス警備隊」という架空の山岳救助隊を舞台にした物語。剱岳の単独登山中に遭難してしまった医大生・鹿賀晶が、新人女性警備隊員・嘉門ハルカに救助されることから物語は始まる。三年後、晶も警備隊の隊員になり、さまざまな事件を通じて、ハルカとともに成長していく様が描かれる。
 クライマーではなく、救助する側の話ではあるが、そこには「登頂なきアルピニスト」の「正真正銘のアルピニズム」の姿がある。良い意味での誇張はあるが、基本的にリアリティのある物語なのが好感が持てる。物語の展開もスピーディだし、感動的である。主人公の過去の物語等も語られ、奥が深い。
 個人的には、美樹さんに泣かされました。
 こう言う話なら、山を知らない人でも十分楽しめると思う。下界だとしらけてしまうような熱い男(女)の心意気も、山で語られると無理がないように感じられる。
 エベレスト編は、展開にかなり無理があるような気がしたが(ハルカさん、高度順化なしにそんなところで走ったら死んでしまうよ)、話としては面白かったので、満足。増刊号での単発ものの話も一つ一つドラマティックで良かったけれど、やっぱり長い話のほうが、読み応えがあってさらに良い。
 いくらでも話は作れそうなのだが、唐突に終わってしまったのが残念。

「ホワイトアウト」(全3巻)
原作:真保裕一 漫画:飛永宏之 講談社KCDX 2000年
 基本的には小説に忠実な漫画化ではあるが、細部で小説とはまた違ったアレンジがなされている。漫画ならでは、の飛躍的な「ウソ」もあり、物語を盛り上げる上では効果的となっている。太白ダムへの侵入シーンなど、小説はもちろん、映画でも表現できないだろうと思う。
 ラストシーンもオリジナルで、(話としてかなり強引だと思うが)ドキドキさせる展開となっている。でも、いかんせん絵がちょっと・・・。上手い下手はともかくとして、少なくとも私好みではない。やりたいことは分かるんだけど、何か迫力に欠ける部分が目に付く。致命的なのは、この物語の影の主役とも言える「雪」の描写が甘いこと。寒さも厳しさもイマイチ伝わってこない。作者にとっては、これがデビュー作のようなので、その辺は大目に見なくてはならないのだろうか。全体的には、見るべきところもあるが、今一歩パンチ力が足りず、損をしている作品。山岳色も非常に低く押さえられている。(原作小説の感想はこちら。映画版の感想はこちら

「THE BIG WALL(ビッグ・ウォール)」(全1巻)
作:横溝邦彦 画:鎌田洋次 文藝春秋ビンゴコミックス 2000年
 アルパインクライマー山野井泰史が、題材やアドバイスに関わったという作品。山野井自身も「人が山に挑むことの意味がこの作品に隠されているかもしれない。」というある意味微妙なコメントを寄せている。
 大学の美術の先生、千手泰史は3年前のエベレストでパートナーの深田を失った。彼が死んだのは自分のせいではないかと自分を責める千手は、何かに憑かれたように山に向かう。彼をめぐる7つの山の風景の短編集。
 かなり本格的な山漫画。山野井泰史が監修しているだけあって、技術や山の描写はかなり細かい。クライミングシーンも迫真で、ストーリーもバラエティに富んでいる。でも、何かが物足りない。熱くなれない。こちらの気持ちに訴えかけるものが少ない。手に汗握るドキドキ感がないのだ。視点が、一歩引いた感じで描かれているのが原因かもしれない。主人公千住のキャラクターの問題かもしれない。
 最終話「彼方へ」は、結構ゾクゾクした。こっちの方向でもっと長い話がよみたいと思った。

「捜索者」(全1巻)
谷口ジロー 小学館ビッグコミックスペシャル 2000年
 1999年5月から11月にビックコミックに連載されていた作品。
 南アルプス甲斐駒ヶ岳の山小屋の主、志賀は、今は亡き山岳パートナー、坂本の一人娘が失踪したことを知る。ダウラギリで死んだ坂本は、志賀に「妻と娘を頼む」というメッセージを残し死んだ。亡き友の約束を守るため、志賀は山を下り、娘を探し渋谷の街を彷徨う。
 ストーリーとしては、街での調査が中心で、山に登るシーンはほとんどない。しかし、典型的な山男として描かれる志賀のキャラクターが生きており、渋谷の若者との対比が面白い。「今時珍しい」「不器用な」志賀の生き方。そして、何としても友との約束を守り、娘を助けようとする一途な想いが熱い。しかし、渋谷での調査はすんなりとは行かない。高層ビル群を前に「今・・・ルートを見失い、巨大な岩壁の下にたったひとり取り残されてしまった時のような焦燥感だけが残った。」と考える志賀の背中は寂しげで印象的である。
 そしてクライマックス。高層ビルをダウラギリに見立てて登攀していくシーンは、谷口ジローの真骨頂といった感じがして、読み応えがある。
 山男を街に降ろして、読者を広げている所にこの作品の意味があると思う。山岳漫画(小説)の新しい方向性も感じる。

「告白〜コンフェッション〜」(全1巻)
原作:福本伸行 作画:かわぐちかいじ 講談社アッパーズKC 1999年
 浅井と石倉の二人で雪山登山中、不測の事故により石倉は滑落。左足を負傷した。天候が悪化し、小屋の在処も分からない。このままでは二人とも死んでしまう、という状況の中、死を覚悟した石倉が重大な告白をする。しかし、その時眼前に山小屋が出現し、二人は一命を取り留める。そして・・・。
 ストーリーは全く知らない方が楽しめる、そんなタイプの話。原作の福本氏は、「カイジ」や「アカギ」を書いている方。心理戦を描かせたら右に出るものはいないと思われる。この話も二人の男の、山小屋という密室空間での心理戦をうまく描いている。その話に「沈黙の艦隊」「ジパング」のかわぐちかいじ氏の絵が当てられている。絵にリアリティがあるだけに、緊迫感も伝わりやすい。二人の男の表情の変化は見物である。とはいえ、ストーリーは完全に福本チックなので、「ざわざわ」という例の擬音が聞こえてきそうな場面も多い。
 密室空間として、場面に山小屋が選ばれているだけなので、登攀シーンなどは皆無。山の男の生き様、というようなものもない。山の話を期待すると肩透かしを食うが、それとは関係なく単純に面白い話だと思う。

「ゴルゴ13シリーズ 『白龍昇り立つ』」(ビッグコミック増刊 vol;120収録)
さいとう・たかを さいとう・プロ作品 小学館 1996年6月(雑誌掲載)
 パンチェン・ラマの生まれ変わりとしてチベットに住むラモンを収容所から救い出す、という依頼を受けたゴルゴ13。転生祭の混乱に乗じて逃げ出したラモンとともに、チョモランマ・サウスコルを越える山岳ルートでの脱出を図るが、そこは7000mを超える死の地帯であった。
 チョモランマでの、ゴルゴ(ラモン)と、それを追う中国山岳部隊の追跡劇である。山岳色は濃く、山漫画としても非常によくできている。物語の展開としても、チョモランマという設定をうまく生かしており、読み応えがある。
 ただ、セリフが大変説明的なのが気になる。「むだだ。表層雪崩は時速二〇〇キロで、爆弾並みの破壊力だ。・・・一瞬で窒息死か、埋まればマイナス三〇℃で、五分で死ぬ。生存の可能性はない。」など、勉強になるなあと思うし、資料をよく調べていると思う。でもやっぱり会話としては不自然だと思う。その分野に疎い人間でも理解しやすいという利点はあるのだろうが。
 ゴルゴ13の他の作品を読んでいる訳ではないので、シリーズ内の位置付け等はわからないが、なかなか面白い作品だと思った。

「学習まんが人物館 植村直己」(全1巻)
監修:中出水勲 まんが:本庄敬 シナリオ:滝田よしひろ 小学館 1996年
 野口英世、宮沢賢治、ヘレン・ケラー、エジソンなどと並んで、伝記漫画の一作としてこの「植村直己」がある。
 クライミングの緊迫感とか生と死の狭間の緊張感、などというものは皆無だが、植村の一生を小学生にもわかりやすくコンパクトにまとめていると思う。「努力は必ず報われる」「山男の友情は美しい」「夢はきっとかなう」・・・そんなメッセージが多く読み取れる。子供たちに夢と勇気を与える一冊になるかもしれない、とは思えてくる。

「岳人(クライマー)列伝」(全1巻)
村上もとか 文春文庫ビジュアル版 1996年(文庫化)
 エベレスト南西壁、ドリュ北壁、グランド・ジョラス北壁、K2北西稜などに挑むさまざまなクライマーの物語。
 絵自体は古臭く感じるが、その分逆に妙なリアリティを感じる。物語も非常に泥臭く、熱すぎるほどの山の男たちの心情が描かれている。リアル系山漫画としては谷口ジローと双璧をなしているように思えるが、谷口ジローとはまったく違う魅力がここにはある。
 お気に入りは、第八話「K2」。単なるエゴイストのアメリカ人、ドイツ人の話なのだが、「命を張ってでも、ちょいとやりすぎてみたい」瞬間というのも良いと思う。「裁くのはK2(こいつ)だ!!」というラストも印象的。

「K」(全1巻)
画:谷口ジロー 作:遠藤史郎 双葉社 1993年
 ネパールでポーターを営む謎の日本人K(ケイ)に関する5つの物語。
 谷口ジローの緻密な絵で描かれる山の姿は、その寒さもその恐ろしさも痛いほどに伝わってくる。汗の一粒一粒で、その緊張感がこちらにも感じられる。
 エベレストの南西壁バットレスを風の力で逆立ちしながら進むなどという「いくらなんでもそれは無理だろう」という話もあるが、彼の絵で見ると何だかリアリティが感じられるから不思議である。
 私のお気に入りは、第3章の「エベレスト」。話自体は荒唐無稽に感じられるが、Kの人間らしさが一番現れた傑作だと思う。

「氷壁の達人」(全3巻)
神田たけ志 主婦と生活社GIGA-COMICS 1991年
 山学同志会の小西政継の軌跡を描くノンフィクションコミック。中学で初めて山を知った小西が、マッターホルン北壁を登頂するまでが描かれる。
 時代背景も織り交ぜながら丁寧に書かれているので、とても好感が持てる。なにより小西政継の強烈な個性がこの物語を大きく引っ張っている。あくまでも熱く、より困難を求めるその姿には、感動を覚えずにはいられない。原典となっている「凍てる岩肌に魅せられて」では分かり難い山岳描写も、漫画という手段を通すことで、読者に直接的にアピールして来、小西の凄さが際立ってくる。ノンフィクションであることが、話に重みをもたらしている。山漫画の中では一押しの傑作である。
 →2002年ダイソーコミックシリーズとして、1-2巻が刊行。GIGA版との比較は、別ページにまとめました。(2003年2月24日追加)

「蒼き氷河の果てに・・・−植村直己物語−」(全1巻)
島崎譲 講談社少年マガジンコミックス 1987年
 植村直己のエベレスト日本人初登頂までを、大学山岳部の親友、小林との友情という観点からみた物語。コミックスには、この物語のほかに、サッカーとバスケの話も弊録されており、実際の植村の話は、四話分、コミックスの半分くらいでしかない。
 植村直己を描くのに、こう言う切り口もあるのか、と目からウロコな感じがした。同期で明大山岳部に入部した植村と小林。二人は深い友情で結ばれていたが、彼は残念ながら交通事故で亡くなってしまう。植村がエベレストの頂上に小林の写真を埋めたのは有名な話であるが、植村の業績からすると、そこは最初の一歩であるように思われる。しかし、そこまでの部分を丁寧に描いているのは、とても好感が持てる。ただ、やはりこれだけではあまりにも短すぎる。うまく描かれているだけにもったいない気がする。
 話とは関係がないが、絵が「おれたちの頂」によく似ている。植村直己が少女漫画のキャラクターのように描かれているのは、ちょっと納得できないかも。

「おれたちの頂(いただき)」(全2巻)
塀内真人(夏子) 講談社少年マガジンコミックス 1984年
 サッカー漫画の「Jドリーム」などを書いている作者の初期(昭和58年)の作品。もう山の話は書かないのだろうか。
 小学生で山を知った少年が、厳冬期エベレスト南西壁を登るまでになる成長記。顔がだんだん大人っぽくなっていく様子が、印象的。週刊連載の少年漫画だけあって、話の盛り上げ方がすごい。主人公たちをアクシデントが次々に襲い、ぐいぐいと読ませる物語になっている。これだったら、山を知らない人間にも命を賭けた友情物語として読ませられるのかもしれない。
 ただ、ちょっと話を急ぎすぎているように感じるのが残念。一つの山について語られるのが1話から2話分しかないので、あっけない感じがする。物語の進み方は早いが、もっとじっくりと読ませてくれればと思う。週刊連載だけにいろんな事情はあったのだろうが。

「こちら愛!応答せよ」(全7巻)
上原きみこ 小学館ちゃおフラワーコミックス 1984年〜1987年
講談社漫画文庫版(全4巻)2003年

  高校山岳部の小林愛が織り成す、愛と青春と山の「きらめきの青春グラフィティー」。
 いわゆる少女漫画で、目がキラキラ輝いているし、突然背景に花が出てきたりして、慣れない最初は読むのが結構つらかった。それに、出だしが極甘ラブストーリーで、読んでいるこっちが恥ずかしくなってきてしまった。
 しかし、愛が徐々に山にのめり込みだす2巻以降、俄然面白くなってくる。恋愛とクライミングをうまく組み合わせたストーリー展開は、なかなか読ませる。
 山用語やクライミングの描写も正確で、納得できる部分も多い。「岩かげから/ひょこんと/パートナーが顔を出す/この瞬間が好き!」なんて、山を知らなきゃ言えないよな、と思う。何より、主人公愛の「山が好き」「クライミングが好き」という気持ちが、うまく表現されていて、こちらに伝わってくるのがよい。
 ラストをエベレストではなく、(わりとマイナーな)K2にもってくるというのも憎い。さらにそれを松濤明で締めくくるというのがまた渋い。
 絶版だけど、古本屋を駆け巡って探すだけの価値はある。
 (後日知ったのだが、著者の上原氏は、趣味で登山をするそうだ。納得である。人づての話では、ここまで描けないと思った。)
 (さらに、余談だが、84年〜87年まで、「こちら愛…」「蒼き氷河…」「おれたちの頂」と女性の描く山漫画が多い。女性登山ブームだったのだろうか?)

「魔の山」(手塚治虫漫画全集「ボンバ」収録)
手塚治虫 講談社 1979年
 "漫画の神様"手塚治虫の本格的山岳漫画。
 熟練クライマー間ケンが、パートナー佐佐木小次郎と遭難者の救助に向かう。そこは屈指の難所「多良魔岳」の「牛の舌」。苦労して、命からがら遭難者のもとに辿り着くが・・・。
 さすが手塚大先生である。山なんかまるで知らないだろうに、ここまでの話を描けてしまうのだから、素晴らしい。「あとがき」によると「山男の体験談を聞くだけで」この話を作ってしまったそうだ。山の描写はそれなりに正確だし、山男の心情にもリアリティがある。結末も本当にありそうな話で、胸に来る。30ページのほんの短い物語であるが、きれいにまとまっている。
 何より、純粋に山の話であるのがうれしい。スパイであるとか、ゲリラであるとかを出すことなく、山そのものを描いているのが、とても好印象。
 漫画の神様はやっぱり違うなあと、あらためて思った。その才能には舌を巻く。


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