山漫画の棚

〜重箱の隅の隅シリーズ

「PEAK」
原作:横山秀夫 漫画:ながてゆか 2000年

 2000年夏、週刊少年マガジンでクライミングの漫画連載が始まった。フリークライミングの漫画はそろそろどこかがやっても良いのでは、と思っていたところだったので、大きな期待を持って第1回のページをめくった。話からすると、どうやらアルパインクライミングのようである。あえてフリーではなく、(マイナーな)アルパインに焦点を当てるとはなかなかやるな、とますます期待は膨らんだ。変にブームになってしまうのは困りものだけど、おもしろい物語が読めるのは大歓迎。これは毎週水曜日(マガジンの発売日)が楽しみだ、と思っていた。
 しかし、読み進めていくうちにどうも違和感が生まれてきた。なんか違うんじゃないかなあと思う事が多い。私自身もアルパインをかじりだして、まだそれほど長いわけではない。それでも、クライミングの基本的な部分に関して「おかしいんじゃないか」というところが目に付く。
 山漫画は、リアリティ最優先である必要はない。「そんなバカな」というウソも許容されると思う。しかし、それは基本部分が正しく描写されていることが大前提である。いい加減な絵、話の中にウソが混じっていても単にそれは荒唐無稽なだけである。
 読んで行くうちに、これは山のことをまったく知らない人が、話を作り、絵を描き、編集を担当しているな、と言うのが分かった。せめてどこか1ヶ所にでも山を知り、チェックできる人がいれば、ここまでの話にはならなかったと思う。
 大きな期待を抱いただけに、大きな失望を受けざるを得なかった、歴史的問題作「PEAK」。
 この漫画に細かく突っ込みをいれていくことにする。重箱の隅の隅を突っつくようなものではあるが、その積み重ねが、全体としてこう言う作品を作り上げていることは間違いない。いったい「PEAK」のどこに問題があったのか、それを振り返りたい。


 なお、ここから先は基本的にストーリーのネタを完全に割っています。未読の方は以降の文章を読まないようが、「PEAK」を純粋に楽しめると思います。
 また、私が基本的に間違っている場合もありますので、その場合の事実誤認等がありましたら、ご指摘ください。

≪PITCH.1  山屋の血≫
 主人公「麻生龍」が登場。校舎の壁を懸垂下降し、体育館の壁を登って行く。最初の目標は剱岳のチンネ。嶋村との出会い。そして物語が始まる。
 なかなかに劇的な登場シーンである。山を知らない一般読者に対しても「これは凄い」と大きくアピールできたのではないか。しかし、そこにいきなり問題シーンがある。それは最初の懸垂下降。ハーネス、下降器等を使っていないのはいいとして、肩からザイルをたらしているだけでは、全く意味がない。このやり方だと、左手一本で体重を支えているだけ、という状態だと思われる。力尽きたら墜落確実。基本的に、懸垂下降には、下降器(エイト環、ATCなど)を使うものだ。下降器なしでボディでやる場合も、ザイルを一度またいで、尻から回して、その後で肩に掛ける、というやり方が正解である。
 体育館の壁登りは無茶ではあるが、無理とは言えないだろう。運動靴だし、フリーソロだから、落ちたら大変だろうけど。

 龍が剱岳チンネに行くことが決まる。そこに登場するのが嶋村。とりあえずは謎の男。怪しげで恐ろしげな雰囲気をかもし出す。いったいこいつは何者だろうと、興味は膨らむ。山岳警備隊だかなんだか知らないが、ピッケルにカバーもつけずに手で持ってフラフラしていると言う時点で、ろくなもんじゃないと思うのだが。
 龍のオジキである麻生誠にスポットを当てているのは、この物語の最大の特徴であろう。すでに死んでいる天才クライマーをめぐって、この先物語が展開していくのだが、その見せ方はなかなかに魅力的である。ただ、「山と勝負」と言う考え方は、同意できない。山とケンカして勝てるわけがないんだから。「カンベンしてよね。のぼらせてよ。(「北壁に舞う」P131)」と岩に向かって話しかける長谷川恒男の考え方の方が個人的には好きだなあ。人は山に対して謙虚でなければ、と思う。

≪PITCH.2  魔物が棲む山≫
 チンネを登り出す龍と大将。テラスで休んでいると落石が大将を襲う。意識を失う大将。そこに嶋村が現れる。
 左稜線のルートの表現が現実と全然違うのは、まあいいとするか。絵の見せ方の問題だ。1ピッチが遥かに長く感じるのも許容範囲。しかし、納得できないのはハーケンを打って前進している、と言うこと。チンネのしかも左稜線。超人気ルートであるから、普通に考えればハーケンを打つ必要はない。感じからして、かなり頻繁に打っているようで、まったく残置ハーケンがないのを前提にしているようだ。あるいは、現在のクライミングは基本的に残置支点を利用すると言うことをまったく知らずに話を作っているか。ううむ。
 ハーケンを打っている割に、ヌンチャクおよび中間支点の描写がひとつもないというはどうだろうか。ビレイ点からまっすぐ下にザイルが伸びている。で、「そこは迂回するんだよ」とか言ってるし。確保はエイト環なのはいいとしても、靴がまるで運動靴なのはいかがなものか。登攀中の二人のザックもやけに大きいし。
 さて、テラスで一休みしていると二人の頭上を落石が襲う。龍のパートナーの「大将」がその直撃を受けた。龍はそこからハーケンを光らせて、遭難信号を出す。
 そもそも「遭難信号」と言うのは何だ?私が知らないだけなのかもしれないが、ハーケンを光らせて、救助を呼ぶと言うのは初めて聞いた。これって常識?モールス信号でSOSを出しているということなのだろうか。でも、チンネ左稜線ほどのルートなら、絶対他のクライマーがいると思う。しかもこれは平日ではないだろうし。まあ、偶然誰もいないということもあるだろうし、それは良しとしようか。
 しかし、基本的なことなのだが、テラスとは言え壁の真中でセルフビレイ(自己確保)をはずしてしまうのは、間違っているだろう。それが原因で、荷物もザイルも壁下に落っことしてしまうのだが、普通はそんなのはありえない。落石はやむをえないとしても、その前後の対応は事故が起こっても何も言えない状況だと思う。
 その他、フリーソロでトラバースして、水を汲み行くのは無茶だとか、落ちる途中でハーケンに指を突っ込んだら、指先が千切れちゃうよ、とか、嶋村一人で救助に来るなんてことはありえない、とか、もう突っ込みどころは満載。
 今回のまとめとしては、ハーケンを打つことと、テラスでビレイをはずしてしまうこと、この2点はどう考えてもおかしいと思う。


≪PITCH.3  生と死の分岐点≫
 前回のラストで意識朦朧の大将が嶋村に向かって叫ぶ。「おまえが・・・まことを・・・ころし・・・た」。救助隊が到着し、大将は助けられる。しかし、嶋村と龍は二人残り、この先のルートを行く。
 それはともかく、「気力を支える一番の感情・・・それは−−憎悪・・・だ」と言うのはどうかな、と思う。だからといって負傷している足を踏みつけることが、患者にとって良いことだとは思えない。そんなの無茶苦茶だ。
 ヘリから縄梯子が降りてくる、というのどっかのスパイ映画か何かか?しかも、せまいテラスに5人も降りてきて、やはりセルフビレイは取っていない。

 山岳警備隊の隊長が、救助した遭難者と山を登る。しかも装備はほとんどない状態で。ありえないだろうなあ。あっいつの間にか、確保期がATCになってる。救助隊が置いていったのか。
 オジキを殺したかもしれない人間とザイルパートナーとなる、と話としては盛り上がってきたのだが。

≪PITCH.4  雲上の衝撃≫
 雷雨になった剱岳。その中を二人が登る。
 ハーケンを捨てる。雷が落ちる。雷雨にもかかわらず、雨具すら持っていない。轟々と流れ落ちる滝と化した壁を登る。いくらなんでもおかしいだろう。絶句。人間業ではない。どこをどう突っ込んでいいものか分からん。

≪PITCH.5  大勝負(リベンジ)≫
 チンネ最悪の難所「ささやきの鼻」に到着。語られる過去。厳冬期に麻生誠とチンネに来た嶋村が、自分を助けるためにザイルを切ったという。そのために誠は死んだ。果たしてそれが真実なのか?
 冷静に考えてみる。トップがフォールしたときに、ビレイヤーの身体にザイルが絡まることがあるのかどうか。絵を見ると、明らかに、確保器からトップへとのびるザイルが、身体に巻き付いている。たとえビレイヤーがぼーっとしていて、ザイルから手を離していたとしても、確保器からトップまでは、真っ直ぐピンと張られた状態になるはずだ。だとしたら、ザイルがゆるんで身体に巻き付く余地はない(自分から巻きつかない限り)。
 考えられるとしたら、地面においてあるザイルが絡まって、確保器までの間で、身体に巻き付くと言う可能性だ(それにもだいぶ無理があるが)。しかし、それならいくらトップから引っ張られたとしても、確保器から先でザイルを切る必要はない。確保をとったままでも十分ザイルをゆるめられるだろうし、たとえ切るにしても、確保器より後ろで切れば、トップには影響はない。
 やはり、この漫画の中では、中間支点というものはない、とされているようだ。オーバーハングに一箇所だけ取った支点でぶら下がった状態になっている。無理がありすぎる。

 二人でザイルをつないでいて、トップがフォールして進退窮まる、と言う状況は、小説、漫画などの物語ではよくある展開だ(現実ではどうか分からないが、映画にもなったノンフィクション「死のクレバス」でもザイルカットは出てきた。)。「岳人列伝」でも「神々の山嶺」でも出てきた。ただ、ビレイヤーがザイルを切ってしまうと言う展開は珍しく(「死のクレバス」はそうだったが)、確かにちょっと目を引く。しかし、状況設定としてもっと納得のいく方法があったのではないかと思えるのだ。麻生誠を「殺した」という理由付けとして。


≪PITCH.6  一瞬の陥穽(スキ)≫
 ザイルのトップに立つ麻生龍。大オーバーハングである「ささやきの鼻」を越える。唯一もっていたハーケンを打ちこむが、一瞬の油断で墜落してしまう。
 龍は、やはり、中間支点(ランニングビレイ)を全く取らずに登って行く。で、「ささやきの鼻」を登りきった所で、唯一のハーケンを打って、ようやく支点を取る。そして墜ちる。もう、これについては何も言うまい。現実の登攀では、残置支点があって、それを中間支点として取っていく、という知識がない、としか思えない(もちろん、古いルートや新ルートの場合は、自分で支点を作っていくが、剱のチンネという有名ルートなら、それもありえない)。
 ハーケンの打ちも浅いし、いつ抜けてもおかしくない。だいたい龍は本番ルートが初めてのはず。無謀と言うか自殺行為というか。

≪PITCH.7  チンネに眠る秘密≫
 壁に激突し、龍の右手は使えなくなってしまった。宙吊り状態から復帰するには左手一本で登らなくてはならない。疲労により徐々に意識が薄れゆく龍。幻覚が見え始め、ザイルを切ろうとしてしまう。それを助ける嶋村。そして真実が語られる。嶋村はザイルを切っていないと言うのだ。
 宙吊りから、トップがなぜか片手でロープを掴んで登りはじめる。意味が分からない。普通、ここは一旦トップをビレイ点まで降ろすでしょう。
 しかも、嶋村の確保の仕方は、どう考えてもおかしい。エイト環で確保しているようだが(あれ、さっきのATCはどこ行った?)、どうして、エイト環より前の部分を握っているのだろうか。それでは確保器の意味がないではないか。そりゃ、手のひらから血が出るよなあ、と思う。

≪PITCH.8  魂の登攀者≫
 ザイルを切ったのは麻生誠だった。自らを犠牲にして嶋村を救ったのだ。その話を聞き、龍も登る。そしてついにチンネの頂に立つ。
 結局、麻生誠がザイルを切ったのか。今までにない展開かと期待したのだが、ありきたりな方向に落ちついた感じだ。話を盛り上げるためにはそれが順当な方法だとは思うが・・・。
 今回は、ビレイヤーにザイルが巻きついているので(その時点でありえないのだが)、トップをビレイ点に降ろすことはできない。そうすると、確かに、自己脱出でトップ自身がそのロープで上に登るしかないか、と思わなくもない。でも、プルージックなどを使わずに、ゴボウで登りきってるのが、意味不明。なぜそんなことを?
 そして、最大の問題は、
、麻生は本当にザイルを切るしかなかったのか、と言うこと。宙吊りから全く動けないのならともかく、すでに岩壁近くまで、登ってきている。ハーケンにセルフビレイを取れば、ザイルがゆるむわけだから、嶋村は巻きついたザイルから解放されるはず。ビレイもやり直せるのだ。
 あそこまで登って、振り子トラバース、というのも理解できないが、やりたければ、嶋村を解放してからやればいい。
 で、なぜか麻生は「これしかねえ」と言って、ザイルを自ら切断して墜ちて行った。
これじゃ、残されたパートナーがつらすぎるだろう。
 麻生誠の最後の顔、チンネ登頂のシーンは、なかなかに印象的であるが。

≪PITCH.9  誰よりも高いところへ≫
 チンネから無事下山した龍。一つ成長し、次へと向かう。
 チンネ編のエピローグと言うことで、今回登攀要素はなし。前回のラスト(登頂シーン)で終わりにしても、十分だと思うが、このような回想を織り込むことによって、物語に深みがでてくるのだろう。「登頂なきアルピニスト」が出てきたときには、山岳救助隊の話へ進んでしまうのか、と思ったが、そうはならないようで一安心。山岳救助隊は、「山靴よ、疾走れ」があるから、わざわざ(ネタを)かぶらせなくても良いだろう。
 今回は、きれいにまとまっているし、特に言うこともないのだが、嶋村は登頂しなかったというが、ではどうやって下山したのか、がちょっと気になった。リードだけ登って、セカンドは懸垂下降?でも、懸垂下降するにはザイルがないだろうし・・・。
 とはいえ、この点に関しては、描写が少なすぎるので、何ともいえない。頂上に立っていないだけで、「ささやきの鼻」は登ったのかもしれない。(「ささやきの鼻」の突端と「頂上」は別の場所という可能性)別ルートから歩いて下れるのかもしれない。ハーケンの回収は、多分別の日という事なのだろう。せっかく感動的な回なので、あまり詮索しないことにしよう。

≪PITCH.10  夢の後継者≫
 龍は、谷川岳一の倉沢衝立岩に来た。そこで、麻生誠が残した課題”ドリーム・ルート”を知る。そして、池上陸との運命的な出会いを果たす。
 新キャラクター、新展開。舞台は、衝立岩だ。“ドリーム・ルート”とは、衝立岩を直登する『幻のルート』らしい。新ルート開拓なら、ハーケンを使うのもありなので、チンネ編よりは、話に無理はなくなるか。
 おっ、初めて中間支点を取っている場面が出てきた。しかもダブルロープで登ってるではないか。多少、それっぽくなったか、と思うが、なぜかビレイヤーの下にもザイルがのびていたりして、やっぱり意味不明。
 で、今回のクライマックス。
 壁にハーケンを打ち込む。岩壁に亀裂が走り、6−7mくらいはある岩が剥がれ落ちる。欠片が壁の下に降ってきて、それを腕のギプスで受けとめる……、というあいかわらずとんでもない話。しかし、ここまで来ると、むしろ爽快ですらある。こんな状況設定を考え出すと言うことに拍手を送りたい。
 ともかく、劇的な登場を果たした“ヨセミテのスパイダー”池上陸の今後に期待。
 ところで、“山男のバイブル”『ザ・クライミング』誌。特集は『日本アルプスリレー縦走』ってのは、ギャグなのか本気なのか。


≪PITCH.11  反撃の一矢≫
 池上陸がドリーム・ルートを登り出した。それに触発され、龍も後を追う。果たして、先に登り切るのはどちらか。
 いきなりドリーム・ルートを登り出す池上陸。フィギュア4なんか使いつつ、フリーソロで一気に登る。
 龍も後から登り出した。アプローチシューズのまま。そして風を利用しての逆立ち登り。この登り方は、谷口ジローの「K」にも出てきていたな。現実には絶対無理だと思うけど。
 ところで、彼らはあんな時間から衝立岩に取り付いて大丈夫なのかが心配。先行パーティがある程度登って(しかも落ちて)いるのだから、少なくとも時間としては昼近くではなかろうか。衝立直登をスタートするには遅すぎる。
 しかし、最大の謎は、池上の腕のギプスだ。あれは何だったのか。怪我してたのではないの?あんなに観客がいるんだから、誰か突っ込んでくれよ。(だいたいあんな観客はどこから来たのだろう。何をしているのだろう。そもそも衝立岩直下にあんなに人は集まれないぞ)

≪PITCH.12  託された光のために≫
 快調に登っていた二人に落石が襲う。池上陸の過去が語られる。かつて盲目だった池上陸は、麻生誠に角膜をもらい、夢と希望と光を得たと言うのだ。落石で目が見えない池上に、龍が手を伸ばす。麻生誠を通して、二人の心が繋がった。
 クライマーズ・ハイというのは、原作者の横山秀夫が後年、小説のタイトルに使っている。お気に入りの表現なのかもしれない。『興奮状態が極限に達して恐怖感がマヒして』いる状態を指すらしい。ハイになっているときは良いが、突然の落石などで興奮状態が解けた後、それまでに貯め込んだ何百倍もの恐怖に襲われるのが怖い、とのこと。落石を受けてもクライマーズハイが解けない麻生龍は、それだけ度胸があるということかも知れないが、怖さを感じないというのが、余計に怖いと私は思う。自分の置かれている状況を判断する能力をすでに失っているのではないか。
 それにしても、なんとものっぺりした壁だ。本物の衝立岩とは程遠い。どう
見てもこの壁はスタンスもホールドも一杯あって、登りやすそうに感じられる。未登のドリーム・ルートとは思えない。だからといって、目をつぶって登れるわけはないぞ。池上陸。
 麻生誠に角膜をもらった、という話は感動的ではあるのだけどなあ。


≪PTICH.13  大空に架ける橋≫
 ザイルを組む二人。しかし、そこに衝立の番人「人喰いハング」が襲う。
 良かった。一応ギプスのことは忘れてないみたいだ。でもどういう怪我なのかはさっぱり分からん。どういう設定なのだろう。
 龍はザックの中になぜかザイルを持っていたらしい。二人はザイルを結んだが、同時に動いたのでは意味無いだろう。何のためにザイルを組んだのだろうか。ザイルも短いし、二人で心中するためとしか思えない。二人は横に並んで並行して登っているので、普通だったら、これは別ルートとして考えられるだろう。しかも、池上陸の目は治ったようで、結局ザイル組む必要性もないような……。???
 それはさておき、麻生誠というキャラクターは本当に魅力的だと思う。主役たちを完全に食っていると思う。死んでしまった人間なのに、ほとんどセリフもないのに。このあたりの描写はまったく上手いなあと思う。ただ、麻生誠はエベレスト南西壁単独登頂したはず。でも、サポートにシェルパがついていた、と今回の話で発覚。どういうこと?

≪PITCH.14  山が教えてくれたもの≫
 人喰いハングを越えるが、そこには更なる課題が待ちうけていた。二人はそこを越え、ドリーム・ルートを完成できるのか。壁の中で麻生龍と池上陸、二人の信頼関係が生まれた。そして彼等は・・・。
 さて、最終回。人喰いハングに挑む二人。前回指摘した二人がザイルを組むという矛盾については、了解済みのことだったようだ。でも『テメェの命を相手にあずけ・・・そして相手の命もテメェで背負うことだろーが!!』という解説は、あまり説明になっていないように思う。お互いに命を預けあうってのは、確かにそうだが、自分が墜ちた時に相手も道連れにするというのが、「命を背負う」ということにはならないだろう。
 麻生誠が残した“ドリーム・ルート”という課題には意味があった。それは、『絶体絶命の状況−−−そこで生まれる究極の集中』が、『2人の同調を生み』、『最高のパートナーを作り上げるため』に存在していたらしい。この設定自体は面白いとは思うが。

 ついに、最悪の難所“人喰いハング”を越える。しかしハングを越えた先に待ち受けていたのは、『まるでカンナで削り取ったようなツルツルの一枚岩』だった。
 彼らは現場に行って、そのことに初めて気付くのだが、それくらい、事前に調べておけよ、と言いたい。
 で、スラブに挑む前に『イチかバチか』でハーケンを叩き込むわけだが、それはどういう意味なのだろうか。何が「イチかバチか」なのだろう。その後の描写が全くないので、何をしたのかさっぱり分からない。ここで一本支点を取って、コンティニュアス(同時登攀)からスタカット(隔時登攀)に移る、ということか。でもそれでは、短いザイルの生み出す『2人の同調(シンクロ)』がなくなってしまい、ちょっと矛盾してくる。話の流れからすると、このハーケンさえさされば、この壁は登ったようなものだ、と言う感じに受け取れるが、この後、彼らはどうやって登ったのか。非常に気になるところだ。

 最後の最後まで、意味不明、理解不能な物語だった。山を舞台に男の行き様を描きたいというのはよく分かる。最近クライミングもちょっとブームになっているし、現代のぬるま湯のような生活をしている若者に、熱い男の姿を訴えたかったのだろうな、というも理解できる。生死をかけて何かに挑む、というのは、ドラマを作りやすい。
 死んだ麻生誠という男を中心にしてストーリーを進めるという手法は、なかなか魅力的だった。毎週見せ場を作り、読者を飽きさせない話の進め方、もって行き方は素晴らしいと思う。印象的なシーンも多く、チンネ登頂シーンはなかなか美しかった。

 ただ、一点が足りなかっただけだと思う。
 それは、クライミングの知識。しかし、それは致命的なことだった。結局それがリアリティをまったく失わせ、このような怪作を生み出してしまったのだろう。期待が大きかっただけに、本当に残念であり、もったいないと思う。せめて、クライミングの描写をチェックできる「監修者」のような人がついていれば、また違った形の話になったかもしれない。

 後年、原作者の横山秀夫は「クライマーズ・ハイ」という山を舞台にした小説を発表した。その小説でも衝立岩を登る描写が出てくるのだが、それは非常に良くできていた。小説自体も面白く、山ヤにも十分納得できる作品だった、ということを附記しておきたい。


(初稿2000年12月29日/改稿2005年2月21日)




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