山小説の棚(その1)

[山小説インデックス

☆「日高」立松和平 新潮社 2002年
☆「天空への回廊」笹本稜平 光文社 2002年
☆「遭難」松本清張 新潮文庫 1959年
☆「月に呼ばれて海より如来(きた)る」夢枕獏 徳間文庫 2001年
☆「北壁の死闘」
ボブ・ラングレー 海津正彦訳 創元推理文庫 1987年
☆「狼は瞑(ねむ)らない」樋口明雄 角川春樹事務所 2000年(文庫2003年)
☆「ミッドナイトイーグル」高嶋哲夫 文藝春秋 2000年
☆「遥かなり神々の座」谷甲州 ハヤカワ文庫 1990年(文庫1995年)
☆「ダック・コール」稲見一良 ハヤカワ文庫 1991年(文庫1994年)
☆「飢えて狼」志水辰夫 講談社文庫 1981年(文庫1983年)
☆「ホワイトアウト」真保裕一 新潮文庫 1995年(文庫2000年)
☆「遭難者」折原一 角川文庫 1997年(文庫2000年)

「日高」→【bk1】
立松和平 新潮社 2002年

 大学山岳部4年生の小田桐昇は、リーダーとして幌尻岳を目指し、上札内から札内川を遡上する計画を立てた。行動9日、予備4日の日程だった。初日は順調に進むが、天気図をとると寒気が流入しており、明日以降は天気が荒れることが予想された。二日目、十の沢の出合に進み、雪洞を掘る。しかし、その夜雪崩が発生し、昇たちはデブリに埋められてしまう。

 『私、個人的には遭難してもいいんです。先輩といっしょだから』
というところを読んで、まず引いてしまった。その先も、学生らしいとも言えるこういった気恥ずかしいような描写が続くのだが、読み進むと、これらの生(性)の営みを綿々と綴ることこそが、この死と向き合っている状況の物語の中で、大きな意味を持っていることが分かる。
 雪の中でもがく現在の自分と、幸せな家庭を築いていく未来の自分。この二つが交互に描かれることにより、死と生、幻想と現実、そのギャップが鮮やかに対比される。その中で、人は極限の状況の中で何を思うのか、と言う命題に対して、正面から向き合っている点は評価したい。

 また、山の描写、装備の説明などがくどいほど語られるのだが、これも山を知らない一般読者に向けての丁寧な説明、と言う意味だけではなく、ひょっとすると、しつこいほどの描写の積み重ねによって、主人公のおかれている閉塞感、周りの雪からの圧迫感を表現しているのかもしれない。
 雪や山の描写はさすがに立松和平だけあって、リアリティを感じられる。北海道には行ったことがないのだが、その雪の怖さを存分に思い知らされた。
 実際の事件をモデルにしたそうだが、物語のほとんどが幻想(妄想?)で占められており、シチュエーションを借りただけのフィクションなのだろうというのは分かる。
 山を描いた小説の中では、今までに(少なくとも私は読んだことの)ない形であり、一読の価値はあると思う。(2002年4月7日)


「天空への回廊」【bk1】
笹本稜平 光文社 2002年

 チベット側の北稜ルートからエベレスト冬季無酸素単独登頂を果たした真木郷司は、下降中、巨大な火の玉が北西壁に墜落するのを目撃する。BCに戻ると、以前のザイルパートナー、マルク・ジャナンが火の玉墜落の衝撃による雪崩に巻き込まれ、消息不明となっており、墜落したのはなんとプルトニウムを積んだ米国の軍事衛星であった、と言う話を聞く。郷司は、衛星回収のための米国のプロジェクト<天空への回廊作戦>に参加し、マルクの救助に向かうことを決意する。

 冒頭、エベレスト登攀の描写が非常に丁寧で驚く。著者は山をかなり知っているのか、とプロフィールを見てみるが、そのあたりのことに関しては全く触れられていない。単なる装備の使い方や高所の登り方、などという点にとどまらず、クライマーの心情、山への想いという内面的な部分にもとてもリアリティを感じる。例えば、エベレストに登頂したときに以下のような記述がある。
 『神々しい蒼穹にとり囲まれた静寂の中で、魂に永遠が浸透してくるような感覚が彼を捉えていた。なぜここを去らねばならないのか。本当はここにとどまるためにやってきたのではないか半ば朦朧とした意識の中で自らに問いかけた。』
 山を知らなくては、なかなかこうは言えないと思う。もしも、著者が山を知らず、取材や資料などでここまで書けたというのなら、驚異的なことだ。この著者の力に恐れ入るしかない。
 衛星回収、マルク救出というのは、単なる序章に過ぎず、物語が進むに連れ、裏に潜む国家レベルの陰謀が明らかになっていくという展開も面白い。

 「山で捜し物」「下界では真相究明」を交互に描くというのは、高嶋哲夫『ミッドナイトイーグル』でもそうだったのだが、それぞれのシーンが緊張感を保ちつつ、テンポよく話が進んでいく。また、多くの人物が登場するが、それぞれのキャラクターが緻密に描かれており、各人それぞれが魅力的に感じられる。
 後半の畳みかけるような展開には圧倒される。厳冬期のエベレストでそこまで行動できるものか、とか、あの薬はインチキじゃないか、とか、そういう細かいことは、吹っ飛んでしまうようなパワーがある。

 そして、単なる追跡劇では終わらないクライマックス。山岳小説はこうでなくては、と思えてくる。息詰まる登攀。吹きすさぶジェットストリーム。まさにその臨場感が溢れてくるような描写。逆転、また逆転。ラストは泣けます。
 質量共に非常に読み応えのある一冊。ただ、贅沢を言うと、もっと山の描写が多ければ、と思う。ここまで書けるんなら、真正面から「山に登るんだ!」という話を是非書いて欲しい。作中で出てきた、アンナプルナI峰南壁の新ルート開拓の話とか、アルプス三大北壁冬季単独を一週間で成功の話とか、も面白そう。
 今後にも大いに期待したい。(2002年3月28日)


「遭難」(「黒い画集」収録)
松本清張 新潮文庫 1959年

 意外にもしっかりした山岳ミステリ。
 松本清張は初めてだったし、それほど期待していなかったのだが、物語として十分楽しめる内容。
 どういう経緯で松本清張が山岳ミステリを書くことになったのかは知らないが、山での描写も、トリックも現実味があって、山を知らない人が書いたとは思えない。予備知識なしで読んだので、単なる遭難事故の話かと思っていたら、意外な真相で驚いた。
 叙述トリックかと思ったら、そうでもなかった。
 ちょっと偶然に頼りすぎているんじゃないか、とか。○○の手記は、素人にしては文章がうますぎる、とか、気になる点はあるが、それを補ってあまりあるほどの良品。短い作品なのだが、展開というか見せ方が巧いので、読み手をぐいぐい引き込ませる。
 松本清張の山小説はこれだけなのだろうか。他にもあるなら読んでみたい。(2002年1月19日)


「月に呼ばれて海より如来(きた)る」
夢枕獏 徳間文庫 2001年

 ヒマラヤ・アンナプルナ山群のマチャプチャレに無許可でアタックした麻生誠。しかし、そこは生易しい世界ではなかった。吹きすさぶ雪崩の中、高山病にかかった仲間は死んでいった。ほとんどの装備、食料を失った麻生だったが、何かに憑かれたように一人頂上へ向かう。そして、そこに麻生は螺旋を見た。この世で最も美しく、完璧な螺旋−オウムガイの螺旋−を。東京に帰ってきた麻生は、あの螺旋を求めて、水族館に通っていた。オウムガイの水槽の前で何度も立ち止まる麻生。オウムガイを、螺旋を求めるうちに、麻生の周りが変化し、麻生自身も変わっていった・・・。

 「神々の山嶺」「上弦の月を喰べる獅子」の原点ともいえる作品。序象のヒマラヤのシーンは、まさに「神々の山嶺」。「何故山に登るのか」「何故生きるのか」という問いが繰り出される。「むき出しの宇宙」が見えるヒマラヤの空、「体力の、最後のひと滴まで」使い切ってでも、頂上を目指す主人公の姿には感動する。
 そして、第一象からの螺旋に宇宙を見るという描写は、「上弦の月を喰べる獅子」である。同じような螺旋を持つ、オウムガイとアンモナイト。しかし、アンモナイトは滅び、オウムガイは現代にも生き残っている。それは何故なのか。そのあたりの話はなかなか面白かった。
 この話は未完である。螺旋、宇宙、輪廻、進化、それらの事柄には解決がついていない。著者はあとがきで語っている。

 『(”宇宙とは何か”という問いに答える)物理的な方法を、ぼくはそのための武器として持ってはいない。ぼくの持っている武器は、唯一、言葉である。もうひとつには、山だ。』
 ぜひ、山を通して、宇宙を語って欲しいと思う。(2001年7月7日)

「北壁の死闘」【bk1】
ボブ・ラングレー 海津正彦訳 創元推理文庫 1987年

 ある日、アイガー北壁で氷漬けになったナチ軍人の死体が発見された。その喉元には、「エーリッヒ・シュペングラー、1942年1月」と刻んだ勲章があった。この数十年、アイガー北壁で行方不明のままの者はいないはずだ、この遺体は何なのか。「エーリッヒ・シュペングラー」とは何者か。
 舞台は、1944年のドイツから始まる。ナチ本部から突然呼び出されたシュペングラーは、将校に特進し、第五山岳歩兵師団に配属。特殊任務につくことになる。その任務というのは・・・。


 はっきり言って、私は翻訳小説は苦手である。直訳調の独特の分かり難い言い回し、全く覚えられないカタカナ登場人物の名前と地名、よく分からない時代背景・・・。私には、要求される力が高すぎて、物語に集中できないのだ。
 もちろん、「北壁の死闘」の存在は知っていた。山岳小説の傑作だというのも良く聞いていた。何年も前から本棚にはあったのだが、最初の数ページで拒否反応を起こして、何度も諦めていたものだ。しかし、ふとしたきっかけで今回読み出したのだが・・・。
 これが面白い!夢中になって、貪り読んでしまった。何故今までこの本を放っておいたのかと、後悔したほどだ。第一部の軍隊による登山研修課程から、第二部のアイガー北壁の登攀まで、息つく間もないほど怒涛の展開が繰り広げられる。登攀シーンに非常にリアリティがある。翻訳家の方が、岩壁登攀を知っている人だということもあり、翻訳された文章にも原文の迫力がそのまま残っているように感じられる。

 逆転に次ぐ逆転の展開。特に後半3分の1を使って描かれるアイガー北壁登攀シーンは圧巻。戦争だ、スパイだ、と出てくるが、そんなのが段々どうでも良くなってくる。最初は任務のために登りだした北壁だったが、徐々に極限に追い詰められ、最後には自分のために攀じる主人公の姿がとてもよい。
 これこそ山岳小説の傑作。確かにみなが絶賛するのもよく分かる。(2001年7月7日)

「狼は瞑(ねむ)らない」
樋口明雄 角川春樹事務所 2000年
(ノベルズ2002年→【bk1】・文庫2003年→【bk1】

 佐伯鷹志は、警視庁のSP(セキュリティポリス)をしていたが、ある事件がもとで、現在は山岳警備隊の仕事についている。彼の父は仲語と呼ばれる山岳ガイドをしていた。山で死んだ父の姿を追っているのか、黙々と警備隊の仕事をこなす佐伯であった。超大型の台風が近づいたある日、山小屋に奇妙な登山者がやってきた。それと前後して、警備隊のもとに、警察庁から4人の男がやってきた。佐伯に重大な疑惑があり、調査しているというのだが。

 久々の山岳小説の登場である。佐伯鷹志という人物像が、子ども時代から丁寧に描写され、少しずつ積み上げられていく様子は見事である。後半、山岳警備隊に入ってからは、第三者の視点から、無口で得体の知れない男として描かれるが、前半の積み重ねがあるので、なぜかそんな彼が魅力的に見えてくる。
 山岳警備隊に関しても、良く取材しているようで、細かいところまでリアリティを持って感じられる。救助の様子なども、(具体的には良く知らない私でも)なるほどなあと思われる。クライミングギアも一般の人にも分かるように説明がなされており、苦労の跡が見える。

 舞台として「北アルプス」とはなっているが、架空の山域を創造し、それが物語の中で上手く意味をもってくるのもなかなかに素晴らしいと思う。下手に現実にある山でこう言う話を作り上げると、どうも粗が見えてしまうものだが、架空山域なら、それもありか、と思える。
 前半部分は、佐伯子ども時代の山登り、山岳救助隊の活躍、など読ませる部分が多い。が、後半になって話は急展開。大アクション活劇になる。スパイだ、”組織”だ、裏切りだ、ってなんで山でやるのかな。そんなのは下界でやってくれ、と思ってしまう。確かにアクションシーンは面白いし、話の展開にもわくわくする。でも、前半の山岳描写を上手く生かして、もっと純粋に山の話にして欲しかった。佐伯のキャラクターを利用して、山岳警備隊で純粋に活躍して欲しかった。ただし、そうなると読者は限られてくるだろうが。
 一読の価値はあると思うが、ちと惜しい作品。(2000年12月29日)

「ミッドナイトイーグル」
高嶋哲夫 文藝春秋 2000年(文庫2003年)

 冬の北アルプスで報道カメラマン西崎勇次は、彷徨っていた。天狗原に消えた火球の招待を追い求めるため。同じころ、「週刊トゥデイ」の契約記者松永慶子は、横田基地へ侵入し銃撃戦を巻き起こした北朝鮮の工作員を追っていた。二人は夫婦だが、すでに離婚も間近であった。この二つの事件は、一見まったく別のものと思われたが、思わぬ展開を見せ・・・。

 北アルプスの雪山と、東京での記者の取材が交互に描かれていく。双方ともに息をもつかせぬ展開を見せ、相乗効果で、ページを繰る手を休ませない。危機に次ぐ危機、怒涛の展開、エンターテインメントの王道を行く作品である。
 山岳における登攀要素は薄いが、雪山の描写は精緻で、山を知るものにも十分納得できるものになっている。雪山の寒さや恐怖は十分に伝わってくる。
 登山家にも、そうでない人にも十分に楽しめる、お勧めの作品である。

「遥かなり神々の座」
谷甲州 ハヤカワ文庫 1990年(文庫1995年)

 登山家滝沢育夫は、5年間に7回の遠征を繰り返すが、自分がサミッターになることはなく、8人の仲間を山で死なせてしまう。「死神」というあだ名までつけられた滝沢は、冬期ガルワール・ヒマラヤの失敗で山をやめようかと考え出す。そんな時、林と名乗る得体の知れない男からマナスル登頂を目指す登山隊の隊長になってくれ、との依頼を受ける。反対できない事情のある滝沢は、現地に向かうが、いつの間にかチベットゲリラの紛争に巻き込まれ・・・。

 青年海外協力隊としてネパールで3年間を過ごした経験を持つ著者だけあって、山岳描写は素晴らしい。冒頭の登攀シーンは、現地の寒さがこちらにまで伝わってくるようである。日本に帰ってきた主人公が、東京の街で「帰ってくるべきではなかった・・・。」と思うシーンにもリアリティがある。
 とくに、素人同然の登山隊を率いて中国側への越境、そしてニマとの逃避行のシーンは緊迫感に溢れ、ぞくぞくしながら一気読みをしてしまう。

 ただ、頭の弱い私には結局のところ、「どことどこが闘っているのか」というのが理解不能だった。中国、ネパール、チベット、カムパ、テムジン、イシラマなど、どこが協力してどこが裏切ったのだろうか。何度もどんでん返しがあったので、さっぱり分からなくなってしまった。「すべてがわかってしまうと、どうしようもなく馬鹿らしくなってきた。」といわれても何が何やら分からない。今回は再読だったので、そのあたりをじっくり理解しようとしながら読んだつもりだったのだが、やはりだめだった。基本的なネパールに関する知識が欠けているのが原因かもしれない。
 とはいうものの、そのあたりを全く無視しても十分楽しめる物語あることは確かだ。

「ダック・コール」
稲見一良 ハヤカワ文庫 1991年(文庫1994年)

 最初に断っておきますが、この本は山を舞台にした作品でもないし、登山家も出てきません。
 1年がかりのプロジェクトを台無しにしてしまうということも忘れ、幻の鳥にカメラを向けてしまう青年の話。海を漂流する青年が、「カメの枕」にしがみつきながら思い出す少女との心の交流。など野鳥や狩猟をテーマにした6つ中短編が詰まった作品集。第4回山本周五郎賞受賞作。「このミステリーがすごい’98」の「過去10年のベスト20」で第3位。

  一つ一つの作品が輝きを持っている。まさに「珠玉の」という枕詞がぴったりの作品集。読後感は最高。心の中を爽やかな風が流れていく。

 私にお気に入りは、第三話「密猟志願」。ガンに冒された中年の男が、森でパチンコ名人の少年と出会う。男は少年からパチンコを習い、狩猟を始めるようになっていき・・・、という話。狩猟というと野鳥を撃ち落とす残酷なイメージがあり、私にはそれに対する抵抗が少なからずあった。しかし、そもそも人間は狩猟により生きてきたわけであるし、現在でも見えてない(見ようとしていない)だけで他の生物を殺して生きているのは事実である。 稲見が描く狩猟の姿は、著者自身の十数年間の狩猟経験を生かし、野生生物、野外自然への暖かい眼差しが貫かれており、非常に好感の持てるものとなっている。主人公は単なる趣味でやたらと野鳥を撃ちまくるわけではなく、自らの決めた紀綱(コード)に従い、「美しく」密猟を行っている。
  密猟に関して主人公が語る場面があるので、少し引用してみたい。
『密猟!この言葉を目にする時、耳にする時、また口にする時、私はいつも遠い荒野の呼び声を聞いたように戦慄し、心はたちまちにして昂揚する。そもそも、狩猟と戦争ほど男を夢中にさせるものがあるだろうか。狩りと戦いほど男の五感を刺激するものはない。男達は視る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れるという五感のすべてを全開して、これに向かう。』
 と、大いに興奮気味に語るのである。私には狩猟の経験はないが、この作品を読むとそこに興味を抱かずにはいられなくなってくる。この作品の魅力は狩猟部分だけではなく、中年男と少年のコンビネーションにもある。ふたりのコンビはとても微笑ましく、面白い。そして二人は、ある密猟大作戦を計画、実行して、美しいラストシーンへと向かう。そこがまたたまらない所でもある。
 著者は94年に亡くなっており、新作がもう読めないのが残念である。

「飢えて狼」
志水辰夫 講談社文庫 1981年(文庫1983年)

 著者のデビュー作。
ある日渋谷に、奇妙な男達が訪ねて来る。岩壁の写真を見せて、ここに登って欲しいというのだ。400−500mの高さ。垂直の壁。しかも未登攀。しかし、渋谷はすでに現役を退いていた男だった。数年前友人を山で死なせてからは、もっぱら海を舞台に活躍していた。渋谷はその依頼を断るが、その日から彼の周りでおかしな事件が起こり始める。

 登攀シーンを期待していたのだが、あっさり裏切られた。実際岩壁を攀じるのはほんのちょっとの場面しかない。物語としては、冒険スパイ小説で、畳み掛けるような事件の連続。そして裏切り、逃避行。デディールに凝っているし、文章にも緊迫感がある。択捉島の逃避行の場面は、緊張の糸が張り巡らされ、息を抜く間もないほどである。
 ただ、人間関係が複雑で、誰がどっちの味方なのか分からなくなる話は、個人的に苦手で、後半は少々混乱した。山とはほとんど関係なかったが、それなりに楽しめた一冊。

「ホワイトアウト」
真保裕一  新潮文庫 1995年(文庫2000年)

 日本最大の貯水量を持つ奥遠和のダム運転員、富樫輝男は登山が趣味であった。ある年の冬、不審な登山者を追って山に向かうが、その際に事故に逢い、同僚を失ってしまう。同僚の死は自分のせいだと思い込む富樫であったが、そんな時、テロリストによってダムが乗っ取られてしまう。富樫は、人質となった同僚と亡き友の婚約者を救うため、要塞と化したダムに一人立ち向かう。

 「日本版ダイ・ハード」と評される作品だけあって、ハリウッド映画を見ているようなスピード感と緊張感がある。七人のテロリストに対して、一人で闘いを挑んでしまうのは、普通に考えるとどう考えても無理があるのだが、どうしても自分が闘わなければならない、という動機付けがしっかりしているからだろうか、不思議と納得出来てしまう。何度も死にかけるが、その度に生き延びてしまうところは、まさにブルース・ウィリスである。「そんな無茶な」と思いつつも、わくわくしながらページを捲ってしまう魅力がある。
 主人公が雪山経験のある登山家というだけあって、雪や山に関する描写は素晴らしい。特に雪に関しては、もう一人の主人公とさえ言えるほどだ。視界を遮る雪、歩行を妨げる雪、雪崩として襲いかかって来る雪、さまざまな雪が登場し、物語を盛り上げる。雪の寒さ、山の寒さがこちらに伝わって来る。

 終盤で明かされる「隠された真相」も魅力的で、物語の面白さのキーポイントだと思う。ラストシーンもなかなか印象的である。2000年に映画版も公開された。こちらも出色の出来具合。小説とはまた違うホワイトアウトが楽しめる。(映画版の感想はこちら。漫画版の感想はこちら

「遭難者」
折原一  角川文庫 1997年(文庫2000年)

 北アルプス不帰ノ嶮で滑落した笹村雪彦の死の真相に迫るミステリ。

 著者の折原氏は本格ミステリで有名な方。手紙や手記、日記などさまざまな文体を組み合わせた「叙述トリック」に定評がある。
 この作品は遭難者の追悼集の冊子を忠実に再現した、非常に凝った作りになっている。いわゆる「問題編」となる笹村雪彦の遭難に関する事故報告をまとめた冊子と、「解決編」であるその後の真相を描く別冊の2冊組。「地の文」は全くなく、すべてが追悼集の中で語られている。地図、事故報告書、絵葉書、手記などあらゆる角度から雪彦の遭難を見つめていくうちに、これは事故ではないのでは、という疑問が湧いてくる。

 単なる山岳ミステリとはその構成から一線を画し、(おそらく)登山に関する知識のない作家が書いているわりには、登山の描写はわりと良く出来ている。しかし、これだけさまざまなデータを提示しておきながら、その結末があまりにもお粗末。細かいデータの中に伏線が張り巡らされているのでは、と真剣に読んでいくと肩透かしを食ってしまう。ラストシーンはあまりにも唐突であるし・・・。本の作りも構成も非常に良く出来ているだけに、惜しい作品である。二度と同じ事は出来ないだろうが、もう一捻りほしかったと思う。

 ちなみに私は彼のほかの著作も多く読んでいる。「沈黙の教室」「異人たちの館」「倒錯シリーズ」など、逆転に次ぐ逆転、世界がどんどん崩れていく感じ。好き嫌いは分かれると思うが、個人的には大好きな作家の一人であることを付記しておく。(ちなみに山を舞台にした作品は本作以外にはありません)




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