「その差は紙一重、なのか」
鹿島槍ヶ岳 北壁取付〜天狗尾根

2005年3月19日(土)〜21日(月)
メンバー:朝岡、佐野、神谷(記)
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<正面尾根核心部付近>

昨年の夏、キレット小屋で働きながら、ほとんど毎日その壁を眺めていた。
鹿島槍ヶ岳北壁。
夏、全く雪のない状態で見るその壁は、とても登れそうには見えず、大きく立ちはだかり、黒々とそびえていた。
ルート図を持って来なかったことが悔やまれた。
正面ルンゼはあのあたりか、直接尾根はこっちの方か、具体的な位置は分からないまま、ラインを想像しながら、見つめていた。<★晩夏の北壁><★晩夏のカクネ里>
そして、壁を見るたびに思ったものだ。
春になったら、必ず登りに来よう、と。

そしてチャンスは来た。
3月三連休。
天気予報は最高だった。直前の予報では、三連休は三日とも晴れ、と告げていた。
ただ、今年はどの山域も雪の状態が読めないのが不安材料ではあった。

年末の剱岳はいきなり雪が増えた。
甲斐駒も上部は予想以上に雪が多かった。
錫杖は雪(氷)が少なくて登れなかった。
谷川岳も例年になく雪が多いらしい。
どこの山(壁)も例年とは違うコンディションで、なかなか登れず苦労させられている。
鹿島槍は、果たして多いのか少ないのか。

北壁には、2002年に一度来ている
そのときは、4月20日という遅い時期だったこともあり、雪がなさすぎ、取付まで行っただけで、何もできずカクネ里を下降した。

今回の登攀ルートは、正面尾根か直接尾根を考えていた。
ここ数日降雪が続いており、ルンゼ系ルートは危ないと予想していた。


3月19日
簗場駅で仮眠をとり、サンアルピナ鹿島槍のスキー場方面に車を走らせた。が、除雪されておらず、大谷原まで入れない。仕方ないので、いったん大町に戻り、爺ヶ岳スキー場方面から回り込む。
林道入り口にはゲートと雪上車が停まっており、そこから先には進めないようになっていた。
駐車場に車を停めて歩き出す。
すでに10台以上の車が停まっている。おそらくほとんどが鹿島槍に登る登山者だろう。北壁をねらっているのは、そのうちどれくらいか。

なんだかんだとやっていると、駐車場を出発するのは9時すぎになってしまった。
多くのパーティがすでに出発しており、アプローチはずっとトレースがついていた。
徒渉は二箇所。しかし、それもアイゼンをつけて飛び石で渡れば、問題はなかった。<★徒渉>
前回パンツまで脱いで渡った吊り橋後の徒渉点は、吊り橋を渡らずに、右岸をトラバースするトレースがついており、それに従って進むと、徒渉なしですんだ。

第一、第二クーロワールも特に問題なく通過。<★天狗尾根を行く>
歩き出しの頃は、陽射しも強く、暑くて汗をかきながら歩いていたが、森林限界を越えると、猛烈な風が吹いており、耐風姿勢からしばらく動けなくなることもしばしばあった。体感気温も一気に下がる。
15時前に天狗の鼻に到着。
すでに5-6張りのテントが並んでいた。大盛況である。<★テントサイトと北壁>

北壁を見ると、雪が多い。目指す正面尾根の上部は、相当な積雪があり、苦労させられそうだ。白山書房「冬期クライミング」の写真と比較すると、明らかに雪が多い。同書の正面尾根の解説には、下部が核心で、上部はそれほどでもないように書かれている。しかし、現状を見る限り、下部よりむしろ上部の雪の処理に手間取らされそうに見える。登りだしてしまえば下降は不可能に近いだろうし、壁の途中でビバークできそうな箇所もない。<★北壁全景><★正面尾根核心部>
これは厳しいか……。
「冬期クライミング」の写真との比較(画像が粗くてすみません)

ともかく、明日は早朝から取り付き、雪の状態を直接見てから考えるしかなさそうだ、という結論に落ち着いた。

3月20日
2時起床。満天の星空。身も切れるような寒さに気合いも入る。
少々時間がかかったが、4時45分テントを出る。まだ暗い。
すでに動き出しているパーティもあり、最低コルからのトラバースにはトレースがついていた。
しかし、何か様子がおかしい。
引き返してくるパーティがいた。
ルンゼルートを考えていたが、状態が悪いのでやめた、とのこと。
いやな予感がする。

取付まで様子を見るだけでも行ってみるか、とトラバースを開始。
が、なんかもう、明らかに状態が悪い。
サラサラ、フカフカ、スカスカの雪。
私は、雪の状態判断に関して、それほど経験も自信もあるわけではないが、それでも、この雪質は危ない、と思った。
二人組がトラバースの途中で止まっていた。
「雪の状態悪いですね。危ないですね。」
などという会話を交わす。
止まっている彼らを追い越すと、トレースがなくなった。
ラッセル。
最初は膝くらい。そして腰まで埋まるようになった。<★こんなラッセルが続いて…>
これはどうにも……。
少なくともルンゼルートは無理だ。
正面尾根も難しいか。
だとしたら、主稜にするか。
今後のためにも、取付の確認だけでも行ってみよう、とトラバースを続けるが、雪はどんどん深くなる。
明らかに危ない。
荷重がかかりすぎるのを防ぐため、ひとりひとり間を開けて進んでいく。
しかし、弱層とかそういう状態以前の問題で、もう、いつ雪崩れてもおかしくないんじゃないか、と思える状況。
トップでラッセルをしていた朝岡さんが、もう限界だ、という顔をして振り向いた。

引き返そう。
陽が当たり、雪がゆるみ出す前に、一刻も早く引き返そう。
もう、それしかなかった。

蝶型岩壁までもたどり着けぬまま引き返す。<★もう限界!引き返す>
もたもたしていると、全員カクネ里の雪の下にうずもれる!

そのうちに、陽が昇り始めた。
美しい。<★陽が昇る>
すばらしく美しい世界だ。
しかし、見とれている場合じゃない。

キレット小屋がよく見える。<★雪に埋もれたキレット小屋>
夏は毎日あそこからこちらを眺めていた。
今は逆にこちらからあっちを眺めている。
不思議な感じだ。
などと感慨にふけっている場合じゃない。

急げ急げ!
陽が当たり、雪がゆるみ出す前に引き返すのだ。

結局ほとんどのパーティが引き返した。

3月中旬とは思えない雪の量、そして寒さ。まるで正月のようだ。

いったんテントに戻り、ギアなどを置いて体勢立て直し。
壁が無理でも、天狗尾根の往復くらいしておこう。

大盛況の天狗の鼻キャンプ地だったが、半分以上は、天狗尾根を登るパーティのものだった。続々とツアーグループが出発していくのを横目で見ながら、ゆっくり準備する。
テントを置いて、北峰の往復だけのパーティもあれば、稜線を縦走して、赤岩尾根方面から下山するパーティもあるようだ。
いまさら慌てて行っても、渋滞に捕まるだけだ。
お茶を飲みつつ、のんびり構えて、6時30分再出発。<★北峰へ向かう>
テントの外に出ると、なんだか雲が多い。今日は快晴かと思っていたのだが。そういえば、日の出の時の朝焼けが美しかった。つまり、朝から雲が増え始めている、ということだ。予報が変わったのだろうか。

ゆっくり歩いていたにもかかわらず、あっけなく先行パーティに追いついてしまった。
前の方を行く、ロープをつけた8人くらいのグループが全然進まない。
ぞろぞろ連なって登っているようだが、どうなっているのかよく分からない。ともかく動かない。

隣の東尾根を見ると、あっちも大渋滞で、何パーティも順番待ちをしているのが見える。
何度か休憩を入れつつ、焦らず待って、ようやく頂上到着。
稜線に出ると、風が強くて、非常に寒い。<★強風の頂上稜線>
キレット小屋にいたときは何度も登った鹿島槍ヶ岳北峰なのだが、感慨にふける余裕もない。
5分もたたず、すぐに下降。

次回のことを考えて、天狗尾根の下降点を確認しておこう、と思っていたが、非常に分かりづらい。今は、視界があるし、トレースもついているので、間違えようがないのだが、暗くなっていたり、吹雪の中だったら、下降点を見つけるのは至難の業のように思えた。
目印になりそうなものもなく、間違えて、東尾根を下ってしまう可能性も高そうだ。

下りで一箇所懸垂下降。
古いフィックスロープを掘り起こし、根本にあったハイマツにスリングを残置して、支点とする。
あとは一気に下ってテントサイトに戻る。

北壁を見ると、主稜を登ったとおぼしきパーティが上部雪壁にいた。
あの雪の状態で登ったのか。
ある意味すごいことだと思う。
今日は予想に反して、雲が多い日だった。太陽が隠れ、気温が上がらなかったことも彼らにとっては幸いだったのだろう。小さな雪崩は起きていたが、大きなものは起こらなかったようだ。
それを見ると、少し悔しく思う。我々も登ろうと思えば登れたのか。
いや、そうじゃない。我々の判断は間違っていなかった。彼らはたまたま運が良かっただけなのだ、と自分を納得させる。

16時前から雪が降り出した。
ちらつく程度だろう、と軽く見ていたら、大雪となった。
テント周りの四方にブロックを積んでいたのだが、それが裏目に出た。
ブロックの入り口から入り込んだ雪が、行き場を失ってテントに積もっていった。
ブロック入り口と反対側の部分だけ大量の雪が降り積もる。
0時と4時半の二回雪かきをした。
そうしなければ、テントがつぶれてしまいそうだった。

3月20日
朝方、雪はやんだものの猛烈な風。
テントの中で風雪に耐えていたときは、下山は、すごいラッセルになるんだろうな、と思っていたが、稜線上の雪は風で吹き飛ばされており、ラッセルはほとんどなかった。
ブロック内部のテント付近だけが局地的豪雪地帯になった模様。
ブロックとテントの隙間が狭すぎたのが悪かったようだ。もう少し間を空けてブロックを積めば、あれほどまでの積雪にはならなかっただろう。

新雪が降ったあとの山はまた格別の美しさだった。これを見られたのなら、それだけで、ここまで来た甲斐があったといえるだろう。空気は澄み、白い峰が蒼い空によく映える。<★爺ヶ岳方面>

ほとんどのパーティが降りてしまってから、ようやく動き出した。
第一クーロワールでロープを出して懸垂下降。<★下降は急な箇所も多い>
下に降りたときは、すっかり春山。
雪が融けて、三日前とはまるで様子が変わっていた。


今回、北壁の取付までも行けず、トラバースの雪の状態を見て引き返すことになった。
その判断は間違っていなかったと思う。
あの雪は明らかに危なかった。
全面的に雪崩れてもおかしくない状態に見えた。
あのとき、北壁をあきらめたのが4-5パーティ。たぶん、みんな同じことを思い、同じ判断を下したのだと思う。

しかし、それでも、2パーティが主稜を登り、無事当日中に下降してきた。
話によると、雪の状態は最高で、一気に登れたとか。

無事登れれば、勇気ある成功者。
もし失敗すれば、無謀登山。
その差は紙一重だと痛感した。

たまたま今回は、雪崩が起こらなかっただけかもしれない。
一つ間違えれば、吹っ飛ばされていたかもしれない。
予報では快晴になるはずだった空に、雲が多かったのも、
運も実力のうち、ということなのかもしれない。

先日の錫杖1ルンゼで我々が登れなかった場所を、別のパーティがあっさり登ってしまったのは、明らかに技術的(もしくは精神的)な実力の差だっただろう。
今回も、我々が登れなかった(登らなかった)ところを、別パーティが登ってしまった。結果は同じだが、それの持つ意味は全然違う。

彼らが登ってしまった後で考えても、我々の今回の状況判断は間違っていなかったと思う。
結果だけ見れば、彼らは登れて、我々は登らなかった。
どちらが正しかったのか、というのを判断するのは難しい。

登れたかもしれないし、登れなかったかもしれない。
雪崩が起こったかもしれないし、起こらなかったかもしれない。
運か運命か。
それは分からない。
チャンスを生かして登るか、登らないか、それは非常に難しい決断だ。

今回、予報に反して、雲が多く、気温が上がらなかったのは、登ったパーティにとっては幸運な材料だっただろう。ただ、その日の夜、大雪になるというのも前日の予報からは考えられなかったことだ。もし、壁中ビバークになっていたとしたら、まるで身動きが取れなくなっていた危険性もある。
雪の状態が良く、スピード登攀ができたのも幸運材料(もちろん、実力が伴って、であることは言うまでもないが)だったろう。

冬壁は、あらゆる意味で難しい。


3月19日(土) 晴れ
9:10 駐車場発(3℃)
10:50 天狗尾根取付(5℃)
13:20 第一クーロワール(-4℃)
13:50 第二クーロワール(-5℃)
14:50 天狗の鼻着(-9℃)

3月20日(日) 曇り、夕方から雪
4:45 テントサイト発(-6℃)
5:55 引き返す(-9℃)
6:30 テントサイト着(-5℃)
8:05 テントサイト発(-4℃)
11:15 鹿島槍ヶ岳北峰(-2℃)
13:15 テントサイト着(0℃)

3月21日(月) 晴れ

10:25 テントサイト発(-1℃)
12:50 天狗尾根取付(2℃)
13:50 駐車場着(5℃)

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