「登れざる者」
錫杖岳 前衛壁 1ルンゼ(4ピッチ目まで)

2005年2月11日(金)〜12日(土)
メンバー:石原、神谷(記)
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<5ピッチ目 この薄い氷柱が登れず……>


錫杖の1ルンゼに行ったのは、4年前の秋。そのときのことを思い出しても、あのルートが冬にどんな状態になっているのか、という具体的なイメージは湧いてこなかった。氷の雪のミックス。夏は快適なルートだったが、雪があると、様相は一変するだろう、と思っていた。
東京を23時に出て、現地に着いたのは朝4時。仮眠して6時に起床。全然寝た気がしないが、今日の行動を考えて、早めに出発する。

2月11日
アプローチは、先週のものと思われるトレースがうっすら見える箇所もあるが、ほとんどは消えてしまっており、時々出てくる赤布が頼りとなる。積雪量はそれほどでもないのだが、ワカンがないと、はまってしまい苦労する感じだ。<★樹林帯を行く>
クリア谷に入り遠望する1ルンゼは、最上部が細く凍っているが、全体に氷は少なそうに見える。果たして登れる状態なのだろうか。難しいミックスを強いられそうな予感がする。

朝から雲が多い天気で、視界は時折閉ざされた。そのせいか、アプローチを間違えてしまった。
錫杖沢だと思った沢は1本手前の西尾地沢で、その沢を越えたあたりで左斜面に取り付くと、登ってみても壁が出てこない。しばらく右にトラバースして、ルート間違いに気付いた。これでだいぶ時間をロスしてしまった。
一旦、錫杖沢に降りて、そこから壁まで詰めていった。沢から壁までの斜面は、ひざくらいのラッセル。前夜ほとんど寝ていない身体にはきつい。

ワカンなどの余計な装備はデポするが、壁中ビバークの計画なので、幕営用具は背負って登攀開始する。

前衛壁1ルンゼ<★前衛壁全景><★中央が1ルンゼ>

1ピッチ目【石原、神谷リード】
無雪期は凹角左のフェースから取り付くところだが、ルンゼの方が雪が詰まっていて登りやすそうに見えたので、石原さんがまずそちらからリードすることにした。<★取付のルンゼ>
しかし、ルンゼは見た目よりずっと悪かった。
薄いベルグラ状の氷にフカフカの雪が乗っかっている状態。叩くと雪も氷もはがれて落ちてくる。中間支点も思うように取れない。
最初はザックを背負って登っていたが、思った以上に手ごわいので、一旦降り、空身になって再スタート。<★ザックを背負って登ってみるが>
薄い氷にスクリューを決め、側壁も上手に利用しながら、そっと登っていく。
ふたつ目の支点としてエイリアンをセット。さらに薄い氷を登る。氷がスカスカで、バイルもなかなか決まらないようだ。ちょっと叩くだけで氷がはがれるので、下から見ているだけでも緊張感が伝わってくる。

と、そのとき、バイルを決めた部分の雪(と氷)の大きな塊がドサっと落ちてきた。
ビレイは、落氷ラインから外れた部分で行なっていたので、「ああ、大きいのを落としたな」と落ち着いて見ていたが、次の瞬間に一気にロープが引かれた。落氷の衝撃で、トップが氷からはがされてフォールしてしまったのだ。<★このあと大きく氷がはがれる>
幸いエイリアンとスクリューで止まったが、ほとんどグランドフォール寸前だった。

ケガはなかったが、ルンゼラインをこれ以上登っても、氷をはがすばかりで、とても進めない。となると、残置ピトンのある左壁の無雪期のラインのほうが、まだ登れる可能性がある。
ルンゼラインに取った支点はそのまま残置して、懸垂で降りるときに回収することにした。
すでに一時間以上このピッチにかかっている。荷揚げもあきらめ、今日は空身で行ける所まで行って、そこでフィックス、という方針に変更。
トップも神谷に交代した。

左のフェースも楽ではない。中途半端に雪が付いていて、残置支点が見つからない。バイルを打ち込んでも岩を叩くだけ。アイスを期待して、バイルもアイゼンもしっかり研いできたのだが、すぐに刃を潰してしまった。
アブミを出したり、カムを使ったり、クラックにバイルをねじ込んだり、とあらゆる手を使って、何とか登る。
ビレイポイントを発見してほっとするが、下を振り返るとまだ15mほどしか登っておらず、相当時間がかかっているのに、距離的には全然進んでいないというギャップに愕然とする。ピッチを切るには早すぎるので、ビレイポイントを通過して先に進む。
残置ピトンを見つけ、フェースラインから右のルンゼに移る。さらにその先、左のフェースにボルトが見えるが、そこまでが遠い。ルンゼは薄いベルグラで支点は取れそうもない。
行きつ戻りつ、いろいろ試してみたが、残置ピトンからの一歩がなかなか出せない。ルンゼを行くにも、フェースを行くにも支点が取れそうにないのがあまりにも怖い。
結局、さっきのビレイポイントまで戻り、石原さんを迎えて、トップ交代。<★1ピッチ目最後の壁>

2ピッチ目【石原リード】
ルンゼに入るが、やはり氷が薄い。1ピッチ目でのフォールのこともあり、このまま登るのは躊躇しているようだ。ピトンを一本打ち足して、中間支点とするが、浅撃ちにしかできず、フォールを止めてくれるかは不安が残る。
一旦降りて、左のフェースラインを探るうちに、雪の下から残置ピトンを発見。さらに、フェースのリングボルトも使い、「一応これなら止まるだろう」という状態を作って、再度ルンゼラインにチャレンジ。
ベルグラの途中では、支点はまったく取らず、20mくらいのランナウト。支点を取るために手間取るよりも、スピードで切り抜けたほうが安全、ということか。<★ルンゼを登る(ここからランナウト)>
40mほど登ったところで、ビレイ解除のコール。
フォローで登っても、いつ崩壊するかわからないような氷の状態で、非常に怖かった。
残置支点が見つからなかったようで、カムと、クラックに突っ込んだバイルで、ビレイ点としていた。

3ピッチ目【神谷リード】
残置支点がないのは、ルンゼを登ったことで、夏のラインより右に寄り過ぎているからだろう。無雪期ラインに復帰するため、雪壁を一旦左へトラバース。
10mほどランナウトしたところで、残置ピトンを発見。
しかし、その先は、だいぶ上のほうにリングボルトが見えるが、ただ雪が乗っかっているだけの凹角が続いている。手当たり次第に、手とバイルで雪を払ってみるが、支点は全然でてこない。
一旦登り出したら、下りるわけにもいかず、だましだまし、壁を進む。夏ならフラットソールですいすい行けるのだろうが、と思いつつ。<★傾斜は緩いが支点のとれないフェース>
なんとかボルトまで登り、凹角を抜けると雪壁になっていた。支点は取れないが、バイルもアイゼンもバッチリ決まるので、ここまでよりは全然まし。後半15mくらいはランナウトして登ると、残置カラビナまであるビレイポイントに到着。

この先を見ると、左のルンゼの奥のほうに細い氷柱が見える。あれ、登れるのだろうか。さらにその上も、もっと細い氷が続いている。うーむ。

すでに15時になっており、これ以上は時間切れ。ちゃんとした下降点もあることだし、今日はここまでとした。ロープをフィックスして懸垂下降。
50mを2本連結して降りる。1本だけだと、わずかに3mほど足りなかった。結び目の通過は、エイト環を使えば問題なくすり抜けることができた。

壁の基部付近で整地してツエルトビバーク。
夜8時。シュラフに入っていると、街の方から大音量のスピーカーが。
新穂高温泉 中尾かまくらまつり』らしい。
「まずは花火でスタートでーす!」どーん、どーん
「次は、餅つき大会でーす!」「そーれ、よいしょー」「そーれ、よいしょー」
「続いて、○○(なんか楽器だった)演奏でーす!」ぴーひゃら、ぴーひゃら
司会のおじさんの声がうるさくて、山の雰囲気台無しなんだけど、今自分たちが置かれている状況とのギャップが大きすぎて、逆になんか笑えてしまった。
1時間くらいそれが続いた。


2月12日
夜降り出した雪は、朝になってもまだちらついていた。
準備をしていると、別のパーティがやってきた。1ルンゼを登るらしい。
朝の登り出しはこっちのほうが遅かったが、フィックスがあるので、ユマーリングで先行する。
氷とか雪とか落としそうなので、下から登られるのは怖いなあ、と思ったが仕方がない。

4ピッチ目【神谷リード】

まずは雪壁。ひざ上くらいのラッセルで進む。左のルンゼラインを見ると、やはり氷が薄そうだ。右に目を向けると、残置支点が見えた。とりあえず支点のある右から取り付いてトラバースするか、と右へ向かう。
しかし、右はスカスカの雪で、掘っても掘っても取っ掛かりがない。
どうしようもないので、一度戻って、やっぱり左のルンゼを行く。<★左のルンゼへ>
傾斜はないが支点もない。支点を探そうと、雪をバイルで払うと、雪の下の氷まではがれてしまう。氷がはがれれば、バイルが使えず登れない。矛盾とジレンマ。<★中途半端な氷と傾斜>
落ちたら外れるだろうスクリューを、わかっちゃいるけどセットする。「支点をとったから大丈夫」と自分を納得させるために。
その上で、カムを決められたので、少し安心。
5m上に見えるリングボルトまでがんばってランナウト。
このピッチだけに限らないが、時折、上部からスノーシャワーが来る。上を向いて登っていると、いきなり視界が奪われるので怖い。中途半端なランナウト状態のときは、たとえ押し流されるような勢いでなくても、バランスを崩されそうでもっと怖い。
ボルトの先は、傾斜もさらに緩くなって、バイルがちゃんと効く雪壁。15mくらい一気に登ってビレイ点へ。<★ルンゼ出口>

5ピッチ目【石原、神谷リード】
見るからに薄い氷をまずは石原さんが行く。
氷の手前に残置支点があって、とりあえずそこでランニングビレイ。
「これ登るのかー」
とつぶやくのが聞こえる。<★これ登るのかー>
遠めに見ると、氷は繋がっているし、行けるんじゃないか、と思えるが、実際は相当悪そうだ。
スクリューをひとつ決めて、登りはじめる。
バイルを叩くたび、ボコボコ氷が落ちてくるが、まずまず順調に登っているように見えた。<★順調に登っていたが>
中間部くらいまで登り、バイルにフィフィをかけて、二本目のスクリューセットをしていたそのとき……。

バイルが外れて、石原さんが吹っ飛んだ。
ひとつ目のスクリューは外れて、その下の残置ピトンで止まった。
止まったといっても、グラウンドフォール。足をひねった、と言っていたが、雪面だったので、それほど大きなケガにはならなかったようだ。

石原さんはこれ以上登る気をなくしている。
私も、これはもう無理かも、と思う。
でも、このまま何もせずに降りるのは、納得できない。
無理かもしれないが、一応私もチャレンジしてみることにした。

トップを交代して氷柱の下へ。
思ったより傾斜が強く、上部はほぼ垂直に近い。
まず一本スクリューを決める。
少し登って、もう一本、と思ったが、氷がスカスカで、全然決まらない。せめて側壁にカムかピトンが決まる場所がないか、と見回すが、まるで見当たらない。
核心となる垂直部分は5-6mくらいだろう。純粋に技術的な問題で考えれば、登れなくはないと思う。
先日の大谷不動のほうが、よっぽど傾斜は強かったし、長さもあった。
しかし、あそこは確実に支点が取れたのだ。
ここは、支点が取れない。墜ちることは絶対に許されない。
さっきの石原さんのフォールのことを考えると、一本目のスクリューはたぶん効いていない。墜ちたとしたら確実にグラウンドフォールだ。石原さんは無事だったが、同じように墜ちて、また無事である確証は何もない。
氷の状態も悪い。叩けばすぐ岩にぶち当たる。スカスカでボロボロの氷。あまり叩くと、氷が全部はがれるかもしれない。
登るべきか、登らざるべきか。

右へ逃げる方法も考えてみた。無雪期のルートは、右のフェースを行くもので、残置ピトンがひとつだけ見えている。そちらは雪も氷もほとんど付いていないので、純粋に岩登りの世界だ。無雪期グレードでIV+。傾斜もそれほどでもない。とは言え、今見えているただひとつの支点の次は、たぶん見つからず、ランナウトするのは間違いない。
フェースはだめだ。登るならこの氷しかない。
でも……。

登るべきか。登らざるべきか。
脳裏には、さっき墜ちた石原さんの映像が浮かんでくる。
落ちなきゃいいんだ。一気に登ってしまえばいいんだ。
そう何度も自分に言い聞かせてみる。
一歩踏み出す決意をした。
バイルを一撃、叩き込む。
スカスカだ。
石原さんが打ち込んだバイルの穴に引っ掛かっているだけ。
足は、側壁を使って、一歩上がる。
そして、バイルをもう一撃。
やはりスカスカ。
すっぽ抜けるかもしれない。
ミックスクライミングとは、引っ掛けの連続。まあこんなものさ、と思い込んでみるが、次の一歩はなかなか出せない。
手足合わせて四つの接地点のうち、確実に決まっている部分はひとつもない。全部、乗っかっているだけ。一箇所でも外れたら、全部外れて、壁から引き剥がされるだろう。頼みの綱のランニングビレイは、ずっと下のほうだ。さりとて、次の支点は取りようがない。
もう、限界だ。
この状態で、これ以上進む勇気はない。

ビレイしている石原さんのほうを振り返り、言葉もなく頭を振る。
“これ以上は無理です”と、無言で訴える。
そして、慎重にクライムダウン。

どうしようもない。あとは、もう降りるしかない。

そんなことをして時間を食っているうちに、後続パーティが追いついてきた。
我々が一日以上かけて登ってきたところを、ものの2-3時間で上がって来てしまったのだ。
すばらしく速い。
彼らなら、この氷も登ってしまうかもしれない。
後学のために、しばらくビレイ点で待ち、彼らの登りを見せてもらうことにした。

スクリューは最下部にひとつだけ取り、あとは一気にさくさくっと登ってしまった。
悪いなー、と言いつつも、あっという間に、すぱすぱっと登ってしまった。
バイルの一撃一撃は確実に決まり、なんだかとても簡単そうに見えてしまう。

躊躇も恐怖も逡巡もないのだろうか。
あんなにあっさり登られると、かえって気持ちがいいくらいだ。
明らかな力の差を見せ付けられた感じだ。

氷柱を越え、トップの姿が見えなくなったので、彼らの健闘を祈りつつ、懸垂下降に入った。
降りる我々。登る彼ら。
その差を噛み締めながら。

1ピッチ降り、次のビレイ点についたときだった。

上部から氷が崩れる音と、叫び声が聞こえた。
墜ちた!
姿は見えないが、さっきのパーティのトップが墜ちたのは間違いない。
あっと思って、見上げると、なんとバイルが降ってきた。
2-3回バウンドしながら、ほとんど眼の前にバイルが飛んできた。
トップは、リーシュレスではなかったが、体とバイルの連結はしていなかった。
墜ちた拍子に、バイルだけ飛んだのだろう。
すでにこちらは1ピッチ分降りてしまっているので、彼らの状況は分からない。
大丈夫か、助けはいるか、と聞いてみると、とくに問題はない、との返事。
墜ちたトップの声も聞こえて、大事には至っていなさそう感じがした。
しばらく様子をうかがっていたが、問題はなさそうなので、そのまま下降することにした。眼の前にバイルが落ちているのが気になるが、我々にできることはない。

10時20分、無事、取付に戻ってきた。
無念の途中下降ではあったが、ともかく無事であることを喜びたい。
生きていれば、ケガさえなければ、またきっとチャンスはある。


登れる者と登れざる者(登らざる者)。
その差はどこにあるのか。
同じ場所なのに、我々は降り、彼らは登っていった。(そのあとで墜ちていたけど)

たぶん、技術的な問題ではなく、精神的な問題なんだと思う。

支点が取れたら登れたのに。
フォローだったら登れたのに。
トップロープだったら登れたのに。
結局、登れない、ということにおいて、それらは何も変わらない。
トップで登る、というプレッシャーの中でどう動けるか、それが問題だ。

たかだか数メートルのことだ。
ムーブでいえば、十手くらい。
そこを我慢してランナウトできるか。
確実に墜ちることなく自信を持って登れるか。

これは、冬壁に限ったことではない。
夏の岩だって、沢だって、ゲレンデでのフリークライミングだってそうかもしれない。

ランナウトに負けない精神力、それは、確実に登れる、という自信と実力があってこそ生まれてくるものだろう。
今回はそれが足りなかった。

昨年同時期の記録を見ると、同じ場所とは思えないほど、氷がしっかり張っている。
1ルンゼ全体が氷で繋がっているし、我々が登れなかった4ピッチ目など、一面氷が張っている。
この状態だったら登れるのに、と思ってしまうが、それは言っても仕方のないことだ。

アイスクライミングも冬壁も、状況によって、難度は全然違う。
今回はそれが良く分かった。

登れなくて悔しいのは、もちろんだが、自分の実力不足であるのだから仕方がない。
きっぱり降りる判断をして、無事帰って来れたことを良しとしたい。
実際、2回フォールしていて、2回ともケガにはならなかったのだから、それだけでも運が良かったといえる。

氷や雪の状態も確かに悪かった。
それにしても、力不足を実感した今回の山行であった。

---ランナウトの恐怖感を取り除く秘訣は?
「恐怖を抱くのは大切なことで、過度な恐怖が無駄であるということです。だからその恐怖が必要な恐怖か不必要か、恐怖を抱くごとに考えるといい。ケガや死を感じる場面では恐怖は当然。それでなければ抱くことは不必要となります。まずはここからでしょう。」(平山ユージ Rock&Snow No.17より)


2月11日(金) 曇り時々雪
7:00 駐車場発
10:45 1ルンゼ取付(0℃)
11:35 登攀開始(-5℃)
-13:40 1ピッチ目(-4℃)
-14:25 2ピッチ目(-5℃)
-14:50 3ピッチ目(-6℃)
15:30 下降開始(-7℃)
16:05 取付(-6℃)

2月12日(土) 曇り時々雪

6:50 ユマーリング開始(-4℃)
7:25 登攀開始(-8℃)
-8:35 4ピッチ目(-4℃)
9:45 下降開始(-2℃)
10:20 取付(-4℃)
11:00 テント撤収、下山
12:25 駐車場(5℃)

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