「過信・慢心」
冬富士(敗退)

2000年12月9日(土)〜10日(日)
メンバー:大西、中村、石川、大竹、三堀、神谷(記)


午前2:30。もう耐えられないと思った。このままでは命が危ないんじゃないか。一刻も早く下山しなければ。
しかし、外は猛烈な強風。ツエルトがゴウゴウと泣き叫んでいる。
果たして、一人でこの風の中、ヘッドランプで下山できるだろうか。
だが、そんな悠長なことを言っている余裕はない。とにかく早くしなければ。このままでは埒があかない。
まず、シュラフをたたんで、マットをパッキングして・・・。

 ほぼ一年ぶりの富士山。今年もやって来た。
 今年は、去年と大きく違うところが一つ。それは、車があるということ。しかもスバルラインから、一気に五合目まで入ると言う贅沢な企画。去年と比較すると、大金持ちになった気分である。一年前は、富士吉田の駅からひたすらに歩き(途中で車に同乗させてもらったが)、3100mの太子館でツエルトビバーク。頂上を踏み、同じ道を富士吉田まで歩いて戻った。あの長い長い長い下りのことは、生涯忘れることはないだろう。つらく苦しい思い出だ。
 スバルラインは、9:00にゲートが開く。7:00頃からすでにゲート前には車の列が出来ていた。ゲートが開く頃には2、30台位はいたのではないだろうか。
 五合目に到着すると、ぽかぽかとして暖かい。拍子抜けな感じ。富士山は今年も雪が少なそうだ。
 早速歩き出す。今回の目的は、頂上ビバークと体力トレーニング。調子がよいので、ぐんぐんとスピードを上げる。
 体に負荷がかかるくらいでないとトレーニングにはならないだろうと思い、苦しくなるまで速度を上げて歩きつづける。楽に歩いても意味がない。苦しくなくては。ひたすらスピードを上げる。ほとんどMの世界。苦しさを追求している。
 2750m花小屋でジョギングシューズからプラスチックブーツに履き替える。後続との差がだいぶ開いてしまった。
 苦しければ苦しいほど、トレーニングの効果があるのではないか。なんかそんな気がして、ガンガン飛ばす。
 3000m東洋館でアイゼンをつける。そろそろ雪が出てきて滑りやすくはなってきた。しかし、雪上訓練が出来るほどの雪はない。今回は、大竹さんが雪山初体験なので、どこか雪のあるところで止まって雪訓をするのも目的の一つ。東洋館でしばらく待つが、後続の姿は見えない。どちらにしてもここでは雪訓はできないので、先を急ぐ。
 3100m太子館。昨年のビバーク地点だ。雪も増えてきたので、この辺りなら雪上訓練も出来そうだ。ここで後続を待つことにする。下方の見晴らしは良く、登ってくる人たちが見えるのだが、同流パーティの姿は一向に現れない。13:00前になり、太陽が富士山の陰に隠れてしまい、一気に冷えてきた。30分待って待ちきれなくなったので、空身で下って様子を見ることにした。5分後に合流。疲労の色が濃い中村さんの荷物を担ぎ、登り返す。
 再び太子館到着。13:40。この時点で今日の頂上ビバークは時間的に不可能と判断。明日、頂上を目指すとしても、今日のうちに高度を稼いでおいたほうが良いだろうと、もう少し登ることにする。
 中村さんの荷物を担いだまま、3200m白雲荘へ。ここの小屋の前は平らで広く、テントを張るにはちょうど良い。中村さんの荷を小屋前に残し、太子館に置いてきた自分の荷物を取りに戻る
 もしもあのまま太子館でビバークだったら、今日はちょっと物足りなかったろう。登ったり下ったりと歩き回れて、ちょっとうれしい。充実感を感じる。しかし、これが後に大きな意味を持つことを今は知らない。
 再び白雲荘着。メンバーの疲労度と時間を考えて、今日の雪上訓練も中止。全ては明日。ともかく食事を摂って寝る。もともと頂上でツエルトビバークのつもりだったので、神谷と三堀はツエルト。あとのメンバーはテントで寝る。
 消灯の時点では、風もなく穏やかで、今日はゆっくり眠れそうだと思っていたのだが。
 21:00頃から風が強まり出す。24:00を過ぎると猛烈。去年を思い出す。しかし、身体が浮き上がるほどではない。去年よりはまだましかと思う。
 日付が変わって、1:30。頭に違和感。何かおかしい。目を閉じてしばらく待つが、徐々に頭痛がひどくなってくる。風邪かと思ったが、明らかに高度障害。アップでスピードを出しすぎたか。歩いているときには、何も感じなかったが、時間差で症状が出てきたようだ。そう言えば、アコンカグアのときも行動中ではなく、登頂した日の夜に症状が発生した。あのときの苦しさが蘇る。
 2:00。あまりにも痛い。やはり高度を上げるときには慎重に行かなくてはならない、と反省しても今はどうにもならない。朝になったら一人でも下降しよう。頂上は断念するしかないだろう。昨日は調子に乗りすぎたか。ともかく、起床まであと2時間の我慢だ。
 もう、4:00くらいになったか、と時計を見るが、30分しか経っていない。2:30。痛みで呻き声が上がる。あと1時間半。でもその1時間半この痛みに耐え続けなくてはならないのか。とにかく高度を下げるしかないのではないかと思う。
 一刻も早く下山しなければ。しかし、外は猛烈な強風。ツエルトがゴウゴウと泣き叫んでいる。
 一人で下るシミュレーションをしてみる。まず、シュラフをたたんで、マットをパッキングして・・・。とりあえずシュラフから出るが、外の猛烈な風を感じ、気分が萎える。もう少しだけがんばろう、と思い、再びシュラフにもぐる。頭痛に加えて吐き気も感じる。ひたすら時間が過ぎるのを待つ。心を無にして、耐える。
 気がつくと、テントの周りが騒がしい。時計を見るとまだ4:00前だが、みんな起き出したらしい。なんだ、もう起床か。まだ眠いのに。
 あれ、そう言えば頭痛が治まっている。一時的なもので済んだのか。ほっとした。これなら行けそうだ。あとは、風だけの問題か。しかし、去年よりも風は強そうだ。空を見ると雲が多い。悪天の兆しなのだろうか。ここは慎重にならなくてはならない。そんな中、体力的な都合により中村さんは頂上往復をやめ、テントに残ることになった。また、大竹さんも初めての雪山でこの強風はかなり厳しそうだ。判断の結果、石川、三堀、神谷で、本八合(3400m)まで空身で往復し、富士山の強風をちょっとだけ体験し、そこで登頂は断念。
 空には黒い雲がかかってきた。低気圧が来ているようだ。強風の中、テントをたたんで下山。風が弱まり時間もあるので、途中の斜面で雪面の登下降の練習。1時間ほど練習したが、天気はますます悪くなり、頂上付近は完全に雲の中に入ってしまった。
 ちょっと雪が舞い始めたかなあ、と思っていると11:00頃、いきなり猛烈な吹雪になった。横殴りの叩き付けるような雪。顔が痛い。視界がほとんどきかない。急いで駐車場まで下る。
 ここで下りが終わりだというのがうれしい。去年は、この後富士吉田まで3時間半も歩きつづけたのだ。
 車の中で吹雪を見つつ、今朝頂上に行っていたら大変だったろうなあ、と思った。さっさと下って正解だった。

 冬の富士山は、去年に続けて2回目。やはり強風に悩まされた。昼間はそれほどでもなかったが、夜中と朝の強風は猛烈である。油断していると体が持って行かれそうだ。
 雪は、去年の12月26日と同じくらい。上部に行けばアイゼンが必要になるが、雪上訓練を思いっきり出来るほどには積もっていない。
 ともかく今回は、高度障害である。ほとんど何も考えずに、ガンガン登ってしまったのはまずかった。今回の宿泊地点は、3200m。それほど高いわけではないが、それでも症状は発生するというのを身体で感じた。幸運にも一時的な頭痛と吐き気で治まったが、油断は禁物。今後、気をつけなくてはならない。



12月8日(金)

24:00 新宿駅

12月9日(土)

2:00 スバルライン入口
3:30 消灯
7:30 起床
9:00 ゲートオープン
9:30 五合目駐車場着
9:55 駐車場発
10:55−11:20 花小屋(2750m)
11:50−12:10 東洋館(3000m)アイゼン着
12:40−13:10 太子館(3100m)
13:15 合流
13:40 太子館
14:05 白雲荘(3200m)
14:15−14:25 太子館
14:55 白雲荘
18:00 消灯

12月10日(日)

4:00 起床
6:45 出発
7:10−7:15 本八合(3400m)
7:25 白雲荘
7:50 出発
8:00−8:50 雪上訓練
9:35−9:45 東洋館
11:10 駐車場


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