1月29日(土)快晴のち雪<キャンプ1〜ベースキャンプ>【14日目】
7:00起床 [脈拍82回/分] 7:00-8:00朝食(きぬさや汁(FD)、クノール「Sopa Facil(GALLINA味)」、紅茶、砂糖) ※ イブA神谷2錠 8:00-9:00待機 9:00-9:45出発準備 9:45キャンプ1(5900m)出発−8℃ 10:55ベースキャンプ(5000m)着8℃ 11:00-11:30間食(マギー「Sopa Lista(GALLINA味 )」、オレンジ各1個) 14:00-14:30昼食(ジフィーズ「炒飯」) 18:30-18:50水汲み 18:50日の入 18:50-20:30夕食(α化米(白米)、ジフィーズ「八宝菜」、ユッケジャンスープ(FD)、紅茶、砂糖) ※エスファイト各1錠、パンビタンハイ各3錠 21:15消灯5℃ 【行動1:10 実働1:10 水2.71リットル】 |
夜中の1時頃から急に吐き気と頭痛に見舞われる。いてもたってもいられない。寝ながら体勢を変えてみるが、効果なし。右を下にして横になっていると多少楽であるが、しばらくすると再び激痛が走る。頭痛だけならともかく、吐き気の方が厄介。胃の中をかき回されているような気分。昨日のアタックの影響が時間差で出てきたのだろう。夜中に起きだすのも三堀に悪いと思い、朝まで何とか我慢する。7時になって三堀が起きたところでスープを飲み、胃に物を入れてから鎮痛剤を服用。朝食はきぬさや汁と白湯だけにする。座った体勢は腹部が圧迫されてきついので、横になっているしかない。三堀も今朝4時ごろから頭痛があったが、朝食の紅茶を飲んで回復したとのこと。 どうにも身動きが取れないので、しばらく休む。テントの外では昨夜からの風がまだ強く吹いている。雪はやんで天気はよいようだ。昨日降った雪は風で飛ばされてしまったのか、積もっている様子はない。 本来の計画では、今日は一度BCに下り、装備を全て持ってそのままC1に上がってくる予定だった。C1で泊まり、明日ノーマルルートへトラバースしようと考えていた。しかし、今の状態では不可能だ。今日またC1で泊まって、寝られなかったら身体がもたないだろう。日程的には余裕があるので、今日はBCで1泊することにした。 1時間ほど休んで、薬が効いてきたのか、楽になった。高所障害なら、なるべく早く下った方がいい。手早く準備を整え、BCへ降りる。 BCへの道はこれで3回目。そして、今日が最後。見える景色の全てがいとおしく感じられる。吐き気は残っているが、なるべくゆっくり噛み締めながら下っていく<★苦しいけれど、この景色も見納め>。 BCに着く頃には、体調はだいぶ回復した。その代わりに、朝食をほとんど摂っていない分、おなかが減ってきた。どちらにしても、BCに残っている食糧はなるべく減らしておかないと、C1に持って上がれない。まずはラーメンを作る。その後ジフィーズ(炒飯)も食べる。 BCの心地よさを実感する。C1とは雲泥の差。C1では強風が吹き荒れ、テント内のマットが凍り付くほどの寒さだった。それに比べBCはすばらしい。柔らかい陽射し、暖かい風、濃い空気。なんとも快適な場所である。ここも最初にたどり着いたときにはとても苦しい場所だったのに。人間の順応能力はすごいと思う。しかし、明日でここともお別れ。さびしい気分だ。 14時をすぎた頃からBCでも雪が降り出す。風も強くなってきた。雪は17時30分頃まで降っていた。 夕食はα化米(白米)とジフィーズ(八宝菜)、あまった食糧をどんどん消費していく。おなかはいっぱいになったが、そろそろ形のある物が食べたいと思う。遠征も後半になるとテント内では必ず食事の話になる。下山したら何を食べるか、何が食べたいか。食べるとしたらやっぱり肉だよなあということで落ち着く。肉のことを考えるだけで目が血走ってしまう。肉が食べたい。
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1月30日(日)快晴のち雪<ベースキャンプ〜キャンプ1(少し移動)>【15日目】
7:30起床 気温―10℃[脈拍68回/分] 7:30-9:00朝食(クノール「Sopa Facil(GALLINA味)」、パスタ少量、紅茶、砂糖) 9:00-10:25テント撤収、出発準備 10:25ベースキャンプ(5000m)出発 8℃ 12:00-12:10R1(Ameghino(アメヒーノ)コル、5380m)9℃ 13:00-13:10R2(5530m)6℃ 14:00-14:10R3(5690m)2℃ 14:35-14:40R4(5735m)5℃ 15:30キャンプ1(5900m)着3℃ 15:30-15:45移動 15:45-16:00テント設営 16:15-16:45間食(クノール「Sopa Facil(GALLINA味)」) 17:45-18:00水汲み6℃ 18:40-19:45夕食(α化米(白米、五目ご飯)、マギー「CREMA DE LENTEJAS CON TOCINO」、紅茶、砂糖) ※エスファイト各1錠、パンビタンハイ各3錠 21:00消灯 【行動5:05 実働4:30 水3.1リットル】 |
久々にぐっすり眠った。夜中に時計を見ることなく朝を迎えたのは何日ぶりだろうか。7時半になって、もう朝かと思った。さわやかな目覚めである。 天気はよいようだ。雲のない快晴。いい一日になりそう。 朝食後、短い間だったがお世話になったBCを撤収する。日程的にも余裕があるので、ノーマルルートからの下山を決行する。ノーマルルートへトラバースする道は、C1から延びている。そのためBCの装備は全てC1に上げなくてはならない。BCからなら時間的に考えると、C1に上がり、そのまま装備をピックアップして、ノーマルルートへトラバースし、ニド・デ・コンドレスまでは行けるだろうと考えていた。明日は、プラサ・デ・ムーラスまで行く予定だ。テントや食糧、燃料などをパッキングすると、一人16kgくらいだった。頂上アタックが終わったのに荷上げをするというのも変な感じだが、今日一日のこと。がんばろう。 歩き出すと、いつもと違う苦しさを感じた。肩の荷が重い。体力的には問題なく、体は動くのだが、呼吸がついてこない。まるで頂上稜線の再現だ。10歩と続けて歩けない。このルートを歩くのは4回目だが、今回が一番辛いかもしれない。しかしこの苦しみも最後である。登り切ったらもう下るだけだ。この高所の苦しみを決して忘れないようにしよう、と考えながら登った。
C1には何とか着いたものの、これから荷物をまとめてニド・デ・コンドレスへ降りようという気力は失せていた。どちらにしても、明日はプラサ・デ・ムーラスまで行ければよいのだ。今夜は最後の5900mをじっくり味わうとしよう<★眼に映るすべてのものがいとおしい>。 BC用の大きいテントを持ち上げたので、今までの小さいテントを畳んで、張り替えることにする。そうなると、今までの場所ではせまいので、少し移動することにした。氷河からは遠くなるが、広くてテントがいくつも張れるような場所に移り、再びテントを設営する<★この高度の夜は最後>。 C1に着いた時にはすでに氷河上に雲がかかっていた。17時になるとまた雪が降り出した。風はそれほどでもない。いまだ悪天周期のままのようだ。 間食にラーメン。夕食はα化米2食分と、ベーコンスープ2.5人前(5人前を2人で食べる)。減らせるものはどんどん減らしておかないと明日が怖い。すべての装備をパッキングしたら30kgは超えるのではないだろうか。果たして動けるのだろうか。
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1月31日(月)快晴のちときどき雪<キャンプ1〜プラサ・デ・ムーラス>【16日目】
7:00起床(日の出) 気温−12℃[脈拍78回/分] 7:00-8:20朝食(マギー「Sopa Lista(CARNE味)」、餅、乾燥野菜、紅茶、砂糖) 8:20-9:20テント撤収、出発準備 9:20キャンプ1(5900m)出発 10:10-10:20R1(5790m)−5℃ 11:15-11:25R2(5865m)−5℃ 12:00-12:15R3(5960m)−5℃ 12:30Berlin Camp (ベルリン・キャンプ、5950m) 13:10-13:25R4(Nido de Condres(ニド・デ・コンドレス)、5365m)0℃ 14:00-14:10R5(5055m)7℃ 14:30-14:40R6(4725m)10℃ 15:05Plaza de Mulas(プラサ・デ・ムーラス、4230m)着 15:05-15:20テント設営10℃ 15:40-15:50間食(粉末しるこ、オレンジ各1個) 18:30-19:50夕食(ジフィーズ「牛飯」、ジフィーズ「鶏飯」、クノール「Sopa Crema de Choclo」、紅茶、砂糖) 22:00消灯 【行動5:45 実働4:35 水2.375リットル】 |
夜中にテントを出てみる。立っていられないほどの強風。頭上には降るような星空が広がっていた。そんな中、東の方角(メンドーサ方向)の空が時々光っている。山の稜線のあたりが全体的にピカッと光る。人工的な光とは思えない。強風による放電現象だろうか。不思議な明るさだった。 それほど呼吸が苦しいとも感じず、寒いとも思わなかったのだが、なぜか眠れない。やはり高度の影響なのか。 朝起きると、まだ風は強い。氷河上にはすでに雲がかかっている。今日は早めに天気が崩れるかもしれない。 朝食後、テントを撤収して全ての荷をパッキングする。二人とも100リットルのザックなのだが、入りきらない。サブザックなどにも荷物を入れ、それを大きいザックの外側にくくり付ける。予想通り30kgは超えている。バランスも悪く歩きにくい。下界だったとしてもこの重さは堪えるものだろう。しかもここは5900mの世界。不安は募るが、今日は下るだけであるというのが唯一の希望である<★こんな荷物で5900mを歩くとは>。 C1(5900m)からニド・デ・コンドレス(5365m)へのトラバースルートは、明確ではない。あまり歩く人がいないのか、トレースやケルンなどは見当たらなかった。標高を考えると、下っていくのであろうと予想されたが、あまり下ってしまうと、間違えたときに登り返すことが怖く、なるべく水平方向への移動を心がけた。 しかし、それが裏目に出たのだろうか。しばらく歩いてトレースを見つけたと思ったが、それは上へ上へと向かっている。下る道はない。ザックは重く肩にのしかかる。呼吸は千々に乱れる。しかし行くしかない。今更戻るのは嫌だ。一歩一歩踏みしめながら登る<★この道はなぜ登ってゆくのだろう>。 12時、5960m。どうやら最高地点のようだ。先の方をのぞくと、小さな小屋が見える。ノーマルルートのどこかの小屋だろう。何とかたどり着いたな。 小屋はベルリン・キャンプ(5950m)だった。どこで間違ったのか、ずいぶんと上部に着いてしまった。ニド・デ・コンドレスとの標高差は585m。その分余計に登ったということだ。 しかし、ここからは間違いなく下り。ノーマルルートをただ下るのみ。プラサ・デ・ムーラスへ急ごう。
ニド・デ・コンドレス(5365m)、キャンプ・アラスカ(5212m)、キャンプ・カナダ(4877m)を次々に通過していく。高度が下がるにつれ、気温は上がり酸素は濃くなる。快適さは増すものの、下りの連続で足はだんだん痛くなってくる。それにノーマルルートの人の多さといったら…。夏の富士山のようにぞろぞろと人が連なって登ってきている。世界中から集まってきているのだろうか<★プラサ・デ・ムーラスはもうすぐそこ>。 フラフラになりつつ、プラサ・デ・ムーラス(4230m)に到着。プラサ・アルヘンティーナとは比較にならないくらいテントの数が多い。すごい場所だ。人とテントは多いのだが、プラサ・デ・ムーラスは気持ちよい場所だ。周りを山に囲まれてどちらを向いても飽きることはない。アコンカグアの西壁は立派、カテドラル山の氷河は見事。遠くオルコネス川の向こう側はアルゼンチンとチリとの国境なのかと思うと感慨深い。空気は濃いし、しばらく滞在したくなる場所である。 14時くらいから雲が増え始めた。プラサ・デ・ムーラスに着いて、15時30分くらいからは雪が舞いだし、1時間降り続いていた。雲を見ていると、C1の5900mから見た雲とは全然違うことに気付く。手の届かないところにある雲を見て、旅の終わりを感じた。再びあそこまで雲に近づける日は来るのだろうか。 明日、このまま一気に下界に降りてしまうのはもったいないので、途中のコンフルエンシアで一泊しようと考えていた。食糧にも余裕があるし、急いで下る必要もない。しかし、ムーラを使って下山する場合、途中で一泊すると別料金を取られるとのことである。今日の行動を考えると、すべての荷を自分たちで持って下るのは、(不可能ではないが)かなり厳しい。ムーラに頼まざるをえないとすると、一気に下山がするしかない。 突然、今夜が最後の夜になってしまった。言いしれない寂しさを感じた。
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2月1日(火)晴れのちくもり<プラサ・デ・ムーラス>【17日目】
6:00起床 気温8℃ [脈拍66回/分] 6:00-8:00朝食(クノール「Sopa Facil(GALLINA味)」、パスタ少量、餅、乾燥野菜、紅茶、砂糖)、出発準備 8:00-9:30待機0℃ 9:30日の出 9:40Plaza de Mulas(プラサ・デ・ムーラス、4230m)出発 5℃ 10:50-11:00R1(3805m)15℃ 14:05-14:15R2(Confluencia(コンフルエンシア)、3368m)20℃ 16:00-16:15R3(Laguna Horcones(オルコネス湖)、2950m)18℃ 16:30公園管理センター(2950m)着 【行動 6:50 実働6:15】 |
昨日のアップの影響か、少し頭痛がする。最後の夜に外に出ると、流星が一つ。最後の贈り物をくれた。プラサ・アルヘンティーナ以来11日ぶりの4000m台のキャンプ地。朝、暖かい。 昨日のムーラとの契約で、「朝早く出発するから、8時には来てくれ」と言われていたので、いつもより早起きする。朝食を摂り、テントを撤収して、荷物をムーラ用と手持ち用に分け、ムーラの管理事務所に行く。時間どおり8時に着いたが、まだムーラ遣いの人は来ていないらしい。しばらく外で待つ。プラサ・デ・ムーラスは山に囲まれているため、日の出が遅い。C1より暖かいとは言え、吹きさらしの外で待ち続けるのはきつい。30分ほど待つが、ムーラ遣いが現れる様子がない。あまりに寒いので事務所のテントの中に入れさせてもらう。 結局9時半になって、日の出とともにムーラ遣いはやってきた。1時間半の遅刻、怒る気にもなれない。現地に来て日本人の感覚で物を考えてはいけないのだろう。とにかく荷物を無事運んでくれれば言うことはない。プエンテ・デル・インカで受け取ることにして、荷物を預ける。今までのゴミも預け、許可証に彼のサインをもらった。 オルコネス川に沿って、どんどん降りていく。昨日よりも荷物が軽いので快適である。 3770m富士山の標高を降りたあたりから、緑の植物が現れた。鳥も鳴いている。久しぶりに生命の住まう場所に帰ってきたことを感じた。 そうかと思えば、半分白骨化したムーラの死体に出会った。事故にでもあったのだろうか、道の真ん中に打ち捨てられていた。人間のために働いて、用をなさなくなると捨てられるムーラ。無常ではあるが、私にできることは手を合わせることくらい。「お疲れさまでした」。 プラサ・アルヘンティーナへのアプローチのときのような、とても広い河原に出た。スケールが巨大すぎて、感覚が麻痺してくる。歩いても歩いても進んでいるように感じられない。左手に見える山はどのくらいの高さがあるのだろうか。見つめていると、目がくらくらしてきそうだ<★人と山の対比が>。 不思議な山がある。いろいろな色が交じり合った奇妙な山だ。山吹色、深緑色、赤茶色、黄土色…。しかも、途中で隆起したのか、地層がひん曲がっている。こういう物を見ると異国に来たという感じが強くする。 コンフルエンシアは、橋とキャンプサイトが離れているようだ。「Campsite 300m」との看板が出ていた。南壁を登る場合は、ここからアプローチする。斜面をトラバースし、プラサ・フランシア(南壁のBC)へ向かう細い道が続いていた。 二つ目の橋を越えると、急に季節が変わったかのようだ。やわらかい風、お花畑。足には疲労がたまっているが、気持ちよく歩いて行ける。オルコネス湖が見えてきた。ここは観光地のようで、普通の格好をした子供たちが大勢いる。振り返ると、アコンカグアの姿が見える。しかし、今は雲の中。少し残念である<★旅の終わりを告げるオルコネス湖>。 オルコネス湖からしばらく降りたところの公園管理センターに許可証を見せる。プラサ・デ・ムーラスでムーラ遣いにもらったサインのある方を渡し、登山活動は全て終了。 我々二人のアコンカグアは、2000年2月1日16時30分をもって、無事成功のうちに幕を閉じた。 今は見えぬ頂に向かって思う。 「ありがとう、さようなら、アコンカグア!」
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