「猛り狂う強風よりも厳しいものは。」
冬富士登山

1999年12月26日(日)〜27日(月) 夜行一泊二日
メンバー:大西、神谷(記)

 冬富士といえば、怖い話ばかりを聞いていた。
 曰く「巨大な滑り台で、滑り出したら停まらない。」とか
 曰く「体が浮きあがるほどの風で、歩くことすらできない。」とか
 最近出版された、神長幹雄さんの「運命の雪稜」にも冬富士の遭難話が出ていた。
 その中に「一九八九年から九八年まで過去十年間の冬(十一月から翌年二月)の富士山の事故を調べてもらったことがある。その結果、吉田口のある山梨県側では、三四件、四二人が遭難、うち一〇人が死亡(二三.八パーセント)、救助された場合もほとんどが重傷であるということが分かった。また、御殿場口などのある静岡県側では、八件、八人が遭難、うち半数の四人が死亡、三人が重傷という重大事故になっている。」という記述があり、否が応でも不安は高まっていた。
 それでも、日本一の山の冬の姿を見るため、また、直前に迫ったアコンカグア遠征へのトレーニングのため、冬富士へ行くことを決意した。

 前日の夜の終電車で大月まで行き、そこでステーションビバーク。
 26日の富士急始発に乗り、富士吉田で下車して歩きはじめる。
 今回は車がないため富士吉田からひたすら歩き、のはずだったが、親切な方に途中から同乗させて頂き、「馬返し」までは一気に入った。
 今日は朝から晴天。風もなく、絶好のコンディション。ペースもまずまずでぐんぐんと高度を上げていく。
 10:40「姥ヶ懐」2410m。少し耳の奥が痛くなる。高山病の前兆か?
 ひたすら登りが続く。しかし雪がない。2900mの「鳥居荘」までアプローチのためのジョギングシューズできてしまう。そこからは多少雪が見えたため、靴を履き替える。しかしアイゼンは不要。空を見上げると雲が徐々に増え始めてきた。風も強く吹き出した。
 13:35「太子館」3100m。日が陰り、風もかなり強くなってきた。体感温度も下がる。
 今回の宿泊地目標であった、標高3000mを超えたので、ここでツエルトを張る。
 風はますます強くなってきた。気温も一気に下がる。手元の温度計は-20℃をさしている。寒い。夕食をさっさと作り、シュラフに入る。
 ここから長い夜が始まった。

 夜になり、風は凄まじいほどになった。轟々と吹き付ける風。フライはバタバタと音を立て暴れまわる。今にもフライが引き剥がされそうである。
 ツエルト本体も揺すぶられる。寝ている身体が浮き上がりそうになる。シュラフカバーを引っ被って無理矢理に目を閉じるが、何時ツエルトごと吹き飛ばされるかと思うと、気が気ではない。
 23:20。まるで風の勢いは衰えない。どうにも不安で我慢ができず。シュラフから顔を出す。何とツエルトの入り口は開放されており、外も中も変わらぬ勢いで風が吹き荒れていた。入り口シートはツエルト内部に吹き込んでおり、隣で寝ている大西さんの身体は、元々ツエルト内にあったのだが、頭から胸まで外に出ているのと同じ状態であった。
 ピクリともせず眠り続ける大西さん。顔はすっぽりシュラフに入ってしまい、窺えない。
 不安になってきた。大丈夫なのか大西さん。この風でも気付かず寝ているのか。もしや?
 とりあえず、身体を触ってみる。・・・冷たい。
 ----まさかと思ったが、よく考えたら、シュラフカバーの上から身体を触っていることに気付いた。冷たいのは当たり前。
 改めて、ちょっとゆすってみるが、動かない。寝返りすら打たない。
 外は強風が猛り狂っている。
どうなってしまうのか・・・、と思ったとき、少し大西さんが動いた。
 ほっとした。少なくとも死んではいないようだ。しばらくして大西さんが起きだした。ようやくこの風の強さに気がついたようだ。
 「すごい風だ」と二人で顔を見合わせる。外を見ると眩しいほどの月明かり、満天の星空。絵の様に美しい夜空の下、風だけが吹き荒れ、我々のツエルトに叩き付けている。
 朝になってもこの調子だとしたら、下るしかないなあと考えつつ、風が弱くなることと、時が過ぎるのをひたすら待つ。
 明け方になり、風も少し落ち着いてきた。朝食をそそくさと済ませ、アイゼンを付けて上に向かう。

 10:15。頂上着。二人ともここまで意外なほど高度の影響はなかった。空気は薄くて息は切れるが、大西さんも元気そうである。少し余裕があったので、お鉢巡り。
 しかし、その途中で大西さんが転倒。右膝を負傷する。
 そして下り
 何も言うまい。
 ひたすら下り
 右足、左足、右足、左足・・・・・。ひたすら下る
 3000m。東洋館にてアイゼン脱。
 また下り
 五合目佐藤小屋を過ぎる。まだ下り
 馬返しを過ぎる。まだ下り
 中ノ茶屋到着。あと少し。残りは惰性。
 3776mから富士吉田駅まで標高差ほぼ3000mを下った
 大西さんも私も、バテバテ、フラフラ、ヘロヘロ。

 猛り狂う強風よりも厳しいもの。
 それは、長い長い長い下り

 車なしでは、もう二度と冬富士には行くまいと思った。
 この下りがある限り。

<参考>
冬富士滑落事故多発地帯
○大沢八合目かツバクロ沢上部のトラバースするところ。
冬富士強風地帯
○吉田口では、六合目雲海荘付近、八合目太子館付近、白雲荘から本八合目、頂上直下の鳥居付近。
(「運命の雪稜」神長幹雄著 山と渓谷社 より)



12月26日(晴れ)
6:22大月発
7:06富士吉田着
8:00車に乗せてもらう(中の茶屋手間)
8:25車下車(馬返し)
9:45-10:00五合目焼き印所
10:25佐藤小屋
10:40-50 R1(姥ヶ懐)
11:10雲海荘
10:45-50 R2(2740m付近)
12:35-45 R3(鳥居荘、約2900m)
13:35太子館着。テント設営。夕食
17:30消灯
12月27日(快晴)
5:30起床
7:45出発
8:45-55 R1(富士山ホテル、約3420m)
10:15-11:45 頂上着。お鉢巡り。
(11:25 3776m)
12:45-13:00 R2(東洋館)
13:55-14:00 R3(佐藤小屋)
15:15-20 R4(馬返し)
16:00中の茶屋
17:25富士吉田駅着

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