「遥かなバットレス中央稜」
北岳バットレス 下部フランケ〜第四尾根〜中央稜

2000年9月10日(日)
メンバー:大西、武藤(以上、下部フランケ〜第四尾根)、
村野、神谷(記)(以上、下部フランケ〜中央稜)


「予想の十分の一も困難ではなかった。だがこの満足感はどうだ。年越の借金を払ったような気持だ。
『もう当分来ない』
北岳の頂を辞して長い長い下降の後広河原小屋に着いた時は、もう野呂川は濃い夕闇に霞んでいた。」
(「新編 風雪のビヴァーク」松濤明 ヤマケイクラシックス)


 取付きで、バットレスを見上げるのはこれで3回目だ。1回目2回目共に曇天の中で壁をのぞんでいた。そして、今日もガスが濃い。「バットレスに嵐を呼ぶ男」とでも名乗りたくなる。壁の全容は一向に見えない。昨日の夜は大雨だった。本番は明日。大丈夫だろうか。

 中央稜への挑戦の3回目は意外と早くやってきた。前回の苦い敗戦からわずか1ヶ月。まさか今シーズンにもう一度チャンスが巡ってくるとは思っていなかった。今度こそ、何を置いても中央稜を完登したい。
 今年は残暑が厳しい、などと思っていたが、9月に入って急に涼しくなってきた。と同時に雨の多い秋霖の時期になったようだ。毎日雨の日が続く。前線も下がってきたし、台風が3つも発生した。バットレスは、また雨か・・・、と半分あきらめていた。また来年だな、と。
 金曜夜行で出発したのだが、車が甲府に入ったとたんに雨。広河原で本降り。シュラフに入るが、もうどうにでもなれ、と言った気分だった。

9月9日(土)
 朝目覚めると、雲の切れ間から青空が!期待は膨らむ。希望は高鳴る。いそいそと出発準備にかかる。今日はとりあえず白根御池小屋にテントを張り、バットレス下部岩壁十字クラックで身体慣らしの予定。
 広河原から歩き出すが、雲はなかなか切れない。晴れそうではあるが、ガスが立ち込めている。D沢を抜け、下部岩壁取付きについたときには、すっかりガスの中であった。明日のことも気になるが、ともかく今は目の前の十字クラックに頭を切り替えようと思う。
 北岳バットレスの下部岩壁には、五つほどのルートが取られている。優しいルートを選んで、ここの岩壁を通り抜け、上部にある第四尾根などのルートに取付くというのが一般的である。ここは単なるアプローチと言ってしまっても良いかもしれない。その下部岩壁の中で異彩を放っているのが、「十字クラック」である。文字通り十字に割れたクラックは、取付きからはっきりと見える。他のルートがIII級からIV級であるのに対し、この十字クラックにはVI級というグレードが与えられている。こうなるともう「単なるアプローチ」とは呼べない。ほんの3ピッチほどの短いルートであるが、真剣に挑まざるを得ない。
 まず大西さんが取付いた。1ピッチ目、かぶり気味の凹角にフリーで挑むが、なかなか上手くいかない。凹角の出口のところが悪く、ホールドが見つからず、しかも次のピンに手が届かないので、思い切って登ることが出来ないようだ。何度か挑戦するが、結局あきらめて戻ってきた。次に村野さんが凹角に向かった。フリーで何とかしようとするも、早々に見切りをつけ、A0にて登り切る。その後に私が続いた。フォローなんだし、フリーで何とか決めてやろう、と少し意欲を見せたが、いざ取付いてみると、手の置き場がなく、どうしようもなくA0。続くハンドジャムクラックも十字の要(かなめ)までの直登はできず、左に逃げてしまう。まあ、村野さんも直登は出来なかったので、仕方ないか、と言い訳してみる。
 その後ろを大西さん、武藤さんも登って来た。A0を使えば何とか登れると言うことだ。そして2ピッチ目。再び村野さんがリードする。クラックを登り切るとビレイ点からは姿が見えない。途中「こりゃ無理だ」と言う声も聞こえたが、何とかルートを見出したようで、「登って来い」と言うコールがかかった。核心はハングの乗越かと思いきや、その前のトラバースのほうが悪かった。滑りやすい斜面のトラバースはかなりの緊張を強いられる。VIとなっていたハングの乗越は、ホールドもかっちりしており、フリーで充分抜けられた。どう見てもVI級とは言えないだろう。
 その後の逆層スラブ1ピッチを私だけが登り、そこの立ち木で懸垂下降。50mを2ピッチで取付きに到達した。
 たった2ピッチだったが、なかなかやりがいのあるルートであった。ここをアプローチに使おうとは思わないが、一度登っておくと、目立つルートだけに充実感はある。

9月10日(日)
 2:30起床。暖かい朝。何はともあれ、テントから顔を出す。快晴。満天の星空。よしっ。思わずガッツポーズ。この時点ですでに、今日の中央稜完登を確信していた。
 結構早く出発したつもりであったが、下部岩壁にはすでに多くの人がいた。確かにCD沢取付きで、武藤さんが行方不明になって捜索?で時間を取られたこともあったのだが。日の出時刻に下部岩壁に到着するのでは遅いのか。我々の直前には、8人くらいのガイド登山(ほぼ初心者)。その先にも4-5パーティくらいはいるようだ。先が思いやられる。
 昨日の十字クラックを眺めつつ、下部岩壁はDガリー大滝(III+)を登る。軽く抜けて、ここから第四尾根を行こうと思っていたのだが、その取付き地点はすでに順番待ち状態。いきなりこれではたまらんので、我々は左側の「下部フランケ」から行くことにする。下部フランケをささっと抜けて、団体さんを抜いてしまおうという作戦。
 しかし・・・。下部フランケはそんなに甘くはなかった。1P目のスラブ(V-)からして悪い。こんなの人工登攀じゃないのか、と思えるつるつるのスラブ。上のほうはボルトラダーになっているし。でも、今回は人工の用意はしていなかったので、A0で何とか突破。バンドの先まで延ばす。かなり厳しい。
 2P目もシビアなクライミングを強いられる。そもそもA1のルートであるので、躊躇なくA0を使って登る。あくまで今回の目的は中央稜なのだ。さらに凹角を進む。右側の壁にボルトが連打されている。出来るだけフリーで行こうと考えるも、一つ一つヌンチャクを掛け、A0で行かないとどうにもならない。その先のハングには残置フレンズがある。回収しようかと思うが、引っかかって外れない。フレンズでのA0を使いながら登る。全体にピンはあるが、フレンズで支点を作っていったほうが、より安心して登れるだろう。
 さて、下部フランケを抜け、ようやく第四尾根に合流。ピラミッドフェースの頭あたりに出た。さあ、あの団体さんはどうなったか、と見ると、我々がちょうど彼等の最後尾あたりに合流していた。何だよ、これじゃ第四尾根を順番待ちして登っても、変わらないではないか。だいぶ前のほうまで人が連なっている。中央稜は遠い。
 先は長そうなので、第二のコルで休みを入れた。行動食でも食べるか、とザックをおろしたとき、軽い音を立てて何かが落ちていった。あっと思ったときにはもう遅い。トランシーバーが中央稜の下部Cガリーに吸い込まれていった。何度か止まりそうになったが、願いは届かない。今回はほとんど使用していなかったから、登攀には支障がないのだが・・・。
 結局マッチ箱である。ここの懸垂下降で時間がかかる。前のパーティのその前のパーティのその又前のパーティの・・・が遅いものだから、どんどん遅くなる。懸垂中に追い越すわけにも行かないから、待たざるを得ない。ここを下降してしまえば、あと2ピッチで枯れ木テラス。そこから、中央稜の下部に取付くので、そうすればこの順番待ちともおさらばなのに。現在11時。中央稜を回るためには時間的に厳しいが、慌てても仕方がない。落ち着いて待つことにする。後方から大西さん&武藤さんパーティが追いついてきた。「何時になってもいいから、中央稜いってこーい。」というボイスが飛んできた。彼等は、下部フランケからDガリー奥壁を目指す予定だったが、第四尾根に切り替え、このまま北岳ピークを目指すようだ。我々が中央稜を終わるまで、待っていてくれるという。ありがたいことだ。三度目の正直。このチャンスは貴重だ。よし中央稜に行こう。
 ようやく枯れ木テラス。2ピッチの懸垂下降に入る。下降支点はしっかりしているが、岩が脆いので、下降も慎重になる。2ピッチ目は、トラバース気味に降りなくてはならず、嫌な感じだ。降り切ったところに、ザックとビバーク用具1セットが落ちていた。ラジオからコンロからすべてある。ないのは身体だけ。落石によって、ザックの生地はぼろぼろ、半分埋まりかけている。嫌だなあ。長くは居たくない場所だ。
 そそくさと中央稜の取付きまで移動する。朝は晴れていた天気だが、だんだんとガスが多くなってきた。たまに雲が切れるが、その間隔も長くなってきている。あまりゆっくりはしていられない。わずかな行動食と水を口に入れ、念願の中央稜の岩壁に手を掛ける。

 1ピッチ目(IV+)。村野さんリード。かぶり気味のフェースを右上し、左へトラバース。このトラバースが嫌らしい。高度感もあるし、岩壁が迫っていて、頭を押さえつけられるような形になる。足元が見えないので、じりじりとしか進めない。村野さんのいる確保点はすぐそこなのに、そこまでが遠く感じる。中間支点となるハーケンが足元のほうにあるので、セットするのも回収するのも大変である。ここはザイルの流れが複雑になるので、リードの村野さんは苦労していたようだ。
 2ピッチ目(III)。神谷リード。リンネ(ルンゼ)である。リンネの登攀自体はたいしたことはない。ただ、岩が脆いので、落石を起こしやすい。また、残置支点がほとんどなく、フレンズもセットしようがないので、ランナウトが長くなってしまう。そういう意味では結構怖いところである。
 3ピッチ目(IV+)。村野さんリード。リンネを登り切るのではなく、途中の確保点からフェースを右上気味に登り、第二ハングに取付く。ハングは一見ものすごそうに見えるが、ルートとなるのは、一番くびれた部分で、岩もかっちりしており、フリーで快適に越えられる。そのまま第三ハングも越えて、確保点。ガスが切れると、第四尾根の終了点近くにいる大西さん、武藤さんからこちらの様子が見えるようだ。激励のコールがかかる。あちらから見ると、すごい角度があるように感じられるようだが、実際はそれほどでもない。ぐいぐいと高度を稼いで行ける。
 4ピッチ目(III)。神谷リード。核心は終わり、あとは北岳ピークへのリッジを登る。ちょうどリッジに出たところでガスが切れ、さぁっと視界が広がった。世界が広がったような感じがした。身体がぞくぞくと震えた。なんて素晴らしいんだ。全身を貫く快感に思わず酔いしれてしまった。これがクライミングなんだなあと思う。厳しいピッチに全身全霊で挑む瞬間も良いけれど、それを乗越えて、稜に立ったときのすがすがしさもたまらない。中央稜は思ったとおり素晴らしいところだ。これだからやめられない。
 5ピッチ目(II)。村野さんリード。ピークが近づいてきた。ちょっとガスが多いので、頂上を見渡すまでには、なかなかいかない。頂上で待つ大西さん武藤さんの声も近くに聞こえる。ここでほぼ終了点。
 頂上への踏みあとを、噛み締めながら登る。この北岳のピークに直に抜ける美しいラインを、ようやく踏むことが出来た。大西さんたちの姿が見えてきた。そして、最後の一歩。村野さんと握手。感慨無量であった。

 この感動をじっくり味わいたかったが、現実的な問題として、これで全てが終わりというわけにはならない。ここから、長い長い下りが待っている。白根御池小屋に行き、テントを撤収し、そのまま広河原まで一気に下る。時間を計算してみると、広河原沢到着までにヘッドランプが要るか要らないかギリギリくらいだ。猛然とラッシュ・ダウン。身体は疲れきっているのだが、とにかく降りなくては帰れない。無心で足を繰り出す。
 黙々と下って、広河原到着が18時20分。その15分後にはあたりが闇に包まれようとしていた、本当にギリギリの時間であった。

 中央稜は、思ったとおり素晴らしいルートだった。いわゆる「岩の弱点を巧みについた」という形容がぴったりのルートであると思った。右に行ったりトラバースをしたりしながら、しかもハングをしっかり超えている。登りながら、先人のルートファインディングの巧みさに、ため息が出てしまうほどである。夢に出てきそうなほどに快適なクライミングを楽しめた。
 贅沢を言えば、ちょっとガスが多かったのが残念ではある。たまにガスが切れたときは、視界が一気に広がり、思わず見とれるほどの世界が広がった。あんな状態でずっと登れていたら、本当に素晴らしいクライミングになるだろうと思う。
 あとは、中央稜自体は短すぎることと、アプローチに第四尾根を利用することで順番待ちを避けられないことがある。今回も結構朝早く取付いたつもりであったが、他パーティはさらに先を行っていた。第四尾根は、ガイド登山として、初心者が多いので、その後ろについてしまうと、どうしようもない。自分もそれほど早いわけではないので、なんとも言えなのであるが。



9月8日(金)

23:00立川(車)発

9月9日(土)

1:50広河原着
6:30起床
7:45広河原ロッジ発
10:20白根御池小屋着、テント設営
10:55白根御池小屋発
11:40CD沢出合
12:00CD沢出合発(D沢)
12:25下部岩壁取付き
13:30十字クラック登攀開始
15:40十字クラック登攀終了
16:25下部岩壁取付き発(CD沢尾根)
17:15白根御池小屋着
20:00消灯

9月10日(日)

2:30起床
3:45出発
4:45CD沢出合
5:15CD沢出合発(CD沢尾根)
5:30下部岩壁取付き
6:25下部フランケ取付き(〜5P)
8:45第四尾根合流(〜3P)
9:20-9:25R(第2テラス)
11:00マッチ箱懸垂下降
11:55中央稜取付き
12:40 2P目終了
13:45 4P目終了
14:20終了点
14:30北岳ピーク
14:45北岳発
16:05白根御池小屋着
16:40白根御池小屋発
18:20広河原着


この記録に関するお問い合わせはこちらから。

[入口] [山記録]