1月28日(金)快晴のち雪<キャンプ1〜アコンカグア頂上〜キャンプ1>【13日目】

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0:00起床 気温−9℃ [脈拍72回/分]
0:00-1:15朝食(味噌ラーメン、餅、乾燥野菜、紅茶、砂糖)
1:15-1:35待機(空炊き)
1:35-2:10出発準備
2:10キャンプ1(5900m)出発−10℃
2:15-2:20R1(氷河取付き部、5975m)
4:05-4:10R2(6165m)−12℃
5:30-5:40R3(Piedra Badera(ピエドラ・バンデラ)、6400m)−15℃
6:10Piedra Bandera上部稜線
7:10日の出
7:30氷河終了点
7:35-7:40R4(アコンカグア東稜、6750m)ザイル着用
9:10-9:15R5(6850m)
9:55-10:25R6 ACONCAGUA(アコンカグア)頂上(6959m)
11:40-11:50R7
12:40-12:50R8
14:05キャンプ1(5900m)着10℃
17:00-17:15水汲み
17:15-18:30夕食(α化米(赤飯、白米)、たまごスープ(FD)、紅茶、砂糖)
※ エスファイト各1錠、パンビタンハイ各3錠
21:00消灯
【行動 11:55 実働10:35 水2.75リットル】


 緊張興奮高度寒さほとんど寝られなかった。三堀も寝られなかったとのこと。でも気持ちはすっきりしている。やる気は十分だ。
 起きて外を見ると満天の星空。思わず見とれるほどの星々だったが、よく見ると月がない。明るい月光を当てにしての夜中出発計画だったが、予想外の展開に戸惑ってしまう。月なしでヘッドランプのみの明かりで果たして氷河を歩けるだろうか。不安を感じたが、月が何時になったら出るのかも分からないので、とりあえず朝食を作ることにする。
 朝食は、今回の遠征唯一となる日本のラーメン。いつもと違ってねとねとしていない。やはりアルゼンチンラーメンとは品質が違うのだろうか。
 朝食を摂りおわっても月は出ていない。行動を検討する。「ピエドラ・バンデラ(6400mにある氷河下部からも顕著な大岩)の上部は試登で見た感じからしてよく分からない部分が多い。そのあたりでは明るくなっていて欲しい。」という考えを基に、日の出の時間(午前6時)とピエドラ・バンデラまでの行動時間(3時間)を推定し、(予定通り)2時に出発するのが適当という結論を出した。
 そこで、しばらくコンロの空炊きをしながら待機する。1時35分になりそろそろ出発準備をしようと外に出ると、下弦に近い月が出ていた。幸運の女神は我々の下にある。これは行くしかなかろう。
 2時10分テント出発。同15分氷河取付き部でアイゼン着用。いよいよ氷河へ。
 月はあるものの、それでも暗い。試登で行ったルートがよく分からない。ザイルを出したのはここか、もっと右の方か、などと言いながら上部へ進む。6000mを超えたあたりから頭痛がしはじめる。以前試登から帰ってきたときの痛みとはまた違う感じだ。かき氷を食べたときのようなキーンという鋭い痛みが常にある。「痛い、痛い」と思うものの、傾斜はだんだん急になってくる。ここは45度近くあるのではないか。一瞬の油断が命取りとなる。一歩足を踏み外したら、スタート地点に逆戻りしてしまいそうな場所である。痛みを無視して、なるべく足元に意識を集中する<★暗い中、登行を続ける>
 氷河上に一部平らで広いところがあったので、休んでテルモスの紅茶を飲む。休んでいるときは痛みが和らぐが、その後歩き出したら結局同じだった。
 空は見事なまでの星空。分かる星座は少なく、知らない星々が無数にある。星の海の中に、目指すアコンカグアが浮かんでいる。星に向かって登攀しているようだ。とロマンチックなことを考えている余裕はあまりない。とにかく足を前に進めることに必死だ。
 ピエドラ・バンデラは、歩きながらもよく見えるが、なかなかたどり着かない。クレバスをいくつも渡り、急登をのぼり、息を切らせながら歩き続ける。この頃には呼吸の苦しさが、頭の痛みを追い越してきた。頭は確かに痛いのだが、呼吸の方が直接的に苦しいので、意識としては「呼吸が楽になりたい」の方が強くなってきた。
 5時30分ピエドラ・バンデラ(6400m)着。C2を作るとしたらここであると考えていた場所。確かにテントを張るスペースはあるが、あまりここでは留まりたくはない。場所が中途半端であるし、たとえここから頂上アタックをしても、ここまで戻ってこなければならず、重いザックを背負ってこの氷河を下っていくのは危険すぎる。ただ、休憩をする場所としては適地ではある。ゆっくりテルモスを飲んで、行動食を食べる。ここでちゃんと休んだのが良かったのか、以降頭痛は徐々になくなっていった
 ピエドラ・バンデラからは、右側の急斜面を登る。40度を越えるほどの雪壁を直上する。アイゼンとピッケルをじっくり効かせて登るが、かなり厳しい。段差などほとんどなく、まっ平らな雪面なので滑ったら、大変なことになるだろう。とにかく苦しいのだが、登るしかない。5mくらい登ってヒイヒイ、また5m登ってゼエゼエ。休む場所すらなく気が抜けない。しかし、頭痛はだいぶ治まってきたので気持ちとしては楽になってきた。調子が良くなってきた感じだ。
 空を見ると、徐々に白みはじめてきた。夜明けとなれば、御来光を見ずにはいられない。6000m級の御来光などめったに見られるものではない。今までのキャンプ地では、全て山に囲まれていたので、単なる日の出しか見られなかった。このチャンスは逃せられない。しかし今いる場所からだと稜線が邪魔で、見ることはできないだろう。とりあえず、手近な稜線部分に急いで登ってみた。どうも場所がずれているようだ。もう少し別のところに登ってみる。ここも違う。そしてまた…。4、5回上り下りを繰り返しただろうか。普段の山なら何ということもない距離なのだが、この高度では厳しい。しかし、だんだん空は明るくなってくる。ここまでがんばっているのに結局見られないというのでは悔しい。だんだん意地になり、何としてでも見てやろうという気になってきた。再び稜線上に出て、もうこれ以上は動けないと思ったとき、ようやくポイントが決まった。15分ほど待つと日が出てきた。「無事下山できますように」と手を合わせ、写真を撮る。心がすっと軽くなった<★6650mからの夜明け>
 この御来光見物のため、三堀とは完全に距離が離れてしまった。彼はあまり興味がないようで、真っ直ぐ本来のルートを進んでいたからだ。苦労して何とか合流にこぎつく。合流したあたりがちょうど氷河終了点。少し進むとナイフリッジ状の稜線が続いていた。両側が切れ落ちているのでザイルを結ぶことにする。氷河上はかなり急斜面であったけれど、ザイルの必要性は感じなかった。急な斜面やクレバスもあったが、ザイル操作にかかる手間を考えると、一気に抜けてしまった方がよいと考えられた。時間が経つにつれ天気の悪化も予想されたし、氷河の状態も悪くなるだろう。氷河自体も、当初心配されていたような堅氷でもなく、ふかふかの雪でもなかったのが幸いだった。所々ブルーアイスがあって、迂回せざるをえないところもあったが、それ以外は、アイゼンやピッケルの刃がよく入った。欲を言えば、ピッケルよりはむしろダブルでバイルの方が適していたと思う。またクレバスはほとんど表面に出ており、隠れたクレバスは数少なかった。それに底が浅いものが多く、たいてはその内部を歩く事ができた。したがって、ここまではザイルを使用することなく進んでこられた。結局ザイルを使うかどうかはメンバーの実力次第であると思われる(氷河詳細図はこちら)。
 さて、ナイフリッジでのザイルであるが、50mザイルしかなかったのでそれを二つ折りにし、15mくらいを出して、両側を8の字で結んだ。一人が斜面に落ちたら、もう一人が反対側の斜面に飛びおりる、ということを打ち合わせて歩き出した。
 この頃から私には「3人目の男」が感じられていた。歩きながら、どうもパーティが3人なのではないかと思えていた。三堀、神谷ともう一人。実際にはいるはずのない人間の気配がしていた。呼吸が苦しいので、下を向いて歩いていると、三堀の前か隣にもう一人の男の存在が感じられる。その時は何とも思わない。3人パーティだと自分では思っているからだ。ああ二人で何か話をしているのだなと思う。たまに三堀から声がかかって、ふと前を見ると1人しかいない。「あれ?」と思う。そうだよ、2人パーティだよ、とその時は認識するが、また歩き出すと「3人パーティだ」と思えてくる。よく考えると怖い体験なのかもしれない。あれは何だったのだろうか。「3人目の男」は、顔や姿が見えるわけではない。気配がするのだ。しかし、それ以外の意識はしっかりしていたし、物もちゃんと見えていた。これも高所障害の一種だろうか。
 ガイドブックによると、「東稜に出てから、いくつもの偽ピークを越えて山頂に立つ」と書いてあった。氷河は終わったのだし、後は単調な稜線、しばらく歩けばすぐ着くだろうと軽く思っていた。ナイフリッジを越えるあたりでは二人とも体調は万全だった。これなら、一気に行けるだろうと考えていた。
 ところが。
 おそらく6800mを超えた頃だろう、急に呼吸が乱れはじめた。今までとは苦しさの質が違う。歩きながらの呼吸では、酸素が肺に取り込めない。10歩あるいては止まる。しばらく休んでまた歩き出す。その繰り返し。二人はザイルでつながっているので、歩くペースも同じ。三堀も苦しいようだ。ただ歩くことがこんなに苦しいとは。「高所の本当の苦しさ」を初めて知った気がする。確かにここまでも息が切れることはあった。しかし、今日の苦しさは別物だ。息を思いきり吸ったり吐いたりしないといけない。時々心臓にキュッという刺激がある。心臓を手でつかまれたような感じだ。これはちょっと怖い。また、たまに呼吸の仕方が分からなくなるときがある。ふとした瞬間に呼吸が止まる。まずい、と思ったときにはすぐ回復したから良いが、危険を感じるときもある。写真を撮ろうとするときはかなり勇気が必要だ。手ぶれを抑えるために(自然と)数秒間息を止めるのだが、その数秒でその後数十秒間もあえぎ続けなくてはならない<★稜線が続く(写真を撮るのも苦しい)>
 苦しいのだけど、苦しい苦しいとばかり考えていては気が滅入ってしまう。苦しみが多い方が登頂の喜びは大きいのだと考えることにする。そう、こんな苦しさは決して日本では味わうことができないものだ。自分が今このアコンカグアの6800mにいるから苦しのだ。それは幸せなことではないだろうか。こんな場所に存在していることそのものが喜びなのではないだろうか。そう考えると、いろいろなものに感謝したい気分になってきた。ここまで来るのにお世話になった人々に、太陽に、大地に、アコンカグアに。そしてパートナーの三堀に。ここまで来られたのは、皆様のおかげです。ありがたい、有り難い。みんなありがとう、と思う。
 そうはいうものの、それでもやはり苦しい。一体いつまでこの苦しみは続くのだろうか。すぐ着くだろうと思っていた頂上は、いつになっても見えてこない。いくつの偽ピークを越えたろうか。だんだん周りを見る余裕もなくなってきた。ただ足を前に出すことに集中する。呼吸をすることに集中する。一歩あるけば、少なくとも一歩分は頂上に近づいているだろうと信じるしかない<★いくつもの小ピークを越えて>
 「あの向こうがピークなんじゃない?」三堀から声がかかる。
 「そうだといいけど…」期待を裏切られるのが怖いので、気のない返事をする。
 それに、「あの向こう」までさえも、まだまだ果てしなく時間がかかりそうだ。
 しばらくして「あの向こう」に着いた。少し平らだ。何だかピークのようにも見える。胸がドキドキしてきた。でも奥の方がまだ高い。そちらに進んでみる。気持ちとしては駆け上がりたいのだが、体は言うことを聞かない。結局ノロノロペース。小山を上がるとそこに一つの箱があった。そう言えば、頂上には箱があるという話を聞いたことがある。でもアコンカグアの頂上のイメージは、「十字架」だ。ふと周りを見渡すと、さらに奥の方に十字架が見える。焦る気持ちを抑えながらそちらに向かう。
 間違いない。ここがアコンカグアのピーク、6959mだ。
 現在2000年1月28日午前9時55分。
 「もう登らなくてもいいんだ」というのが正直な感想。
 高所に登った人が「ピークについたときに何を考えましたか」という質問に「ようやく降りられる、と思いました」と答えることがよくある。以前はそれを聞く度に「せっかく頂上に着いたのだから、素直に喜べばいいのに」と思っていた。でも結局自分も同じことを考えていたと気付き、苦笑してしまう。そういうものなのかもしれない。
 感動の一瞬、全てが報われる瞬間をゆっくり味わおう、と思ったがここは非常に寒い。風がとても強い。あまりゆっくりできないようだ。人はまだ誰もいない。
 とにかく写真を撮る。周りを見る。良かった、まだ雲は出ていない。360度大パノラマだ。じっくり楽しもう、と思っていたのだが、三堀はすぐにでも下山したがっている。写真を撮り終わったらもうここには用がない、とでも言いたそうだ。私としては「ようやくここまで来たのだ」という余韻にじっくり浸りたいのだが、三堀はすでに下山路を見つけたらしく、「ここ。ここ。」と指差している。確かに立っているだけで寒いのには違いない。でも、そんなに急いで降りなくたっていいではないか、と思っている間にもすでにザックを背負って下りはじめている。仕方がない。名残惜しいがこの記念すべきピークを後にするとしよう<★登頂!(三堀)><★登頂!(神谷)>
 下山は、予定通りFalso de los Polacosルートを使うことにする。頂上からしばらくはノーマルルートと同じ道を行く。ノーマルルートは大変な道だ。ガレガレでザレザレ。足元が非常に不安定で、浮き石ばかり。頂上までのアップでフラフラに疲弊しきった身体には、ちょっと耐えられない。普通なら滑るようにして降りるようなところだろうが、足がついてこない。一歩一歩ゆっくりゆっくり降りざるをえない。しばらく行くとたくさんの人が登ってきた。ノーマルルートからの登山者だろう。この道は登るのもまた厳しそうだと同情する。慎重に降りていくが、足元がすぐ崩れてしまうので、登ってくる人たちには申し訳ないと思う。
 ガレガレのルートが終わるあたりに分岐がある。そこがノーマルルートとFalso de los Polacosが分かれるところだ。ここまで来ると足元が安定しているのでだいぶほっとできるが、身体は限界に近づいている。休んでいると、何もやる気がなくなって、このままずっと座っていたい気分になってくる。呼吸はずいぶん楽になったのだが、身体がバラバラになりそうだ。しかし、休んでいても助けてくれる人はいない。意識を振り絞って下へ向かう。
 Falso de los Polacosルートは氷のトラバースが多い。トレースはしっかりついているが、ペニテンテスの上をざくざく歩かなければならない。足への負担は大きい。
 14時5分。ほぼ12時間の行動を終え、ようやくC1に到着した。
 苦しい闘いは終わったのだ。間食にコンソメスープを作り、ゆっくり休む。
 今日は天気に恵まれていた。頂上付近は風が強く寒かったが、それ以外は問題ない快晴だった。しかし、昼過ぎから周囲の山には雲が発生しはじめた。C1に着いた後16時頃から風が強まり、そのうち雪が降り出してきた。17時45分になると風はかなり強まってきた。雪も本降りになって吹雪のようだ。地面に積もり始めた。今日は早めに出発してよかったと心から思った。
 夕食はアタック成功祝いとして「赤飯」。また、予備として持ってきた食糧はアタックの成功で不要になったので、これから重量軽減のためにもガンガン食べていかなくてはならない。今日はまず白米を消費する。これまでα化米は一人一食分に節約していたので、久しぶりにおなかいっぱい食べられた感じだ。
 すべて終わった。もうアタックのときの天候や体調を心配する必要はない。今日はゆっくり眠ろう。


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