1月24日(月)快晴<キャンプ1〜6100m付近〜ベースキャンプ>【9日目】

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7:00起床 気温―15℃(テント外)[脈拍70回/分]
7:00-8:55朝食(クノール「Sopa Facil(GALLINA味)」、餅、紅茶、砂糖)、出発準備
8:55キャンプ1(5900m)出発
9:05-9:25R1(氷河取付き部、5975m)−8℃
10:25-10:50P1(6050m-6100m付近)
11:30氷河取付き部
11:35キャンプ1着10℃
12:30キャンプ1(5900m)出発
12:30ベースキャンプ(5000m)着
14:30間食(コンソメスープ)[15:00脈拍90回/分]
17:30-17:45水汲み26℃
18:00-19:45夕食(α化米(五目ごはん)、なめこ汁(FD)、紅茶、砂糖)
※イブA神谷2錠
18:45日の入
20:30消灯
【行動3:40 実働3:20 水2.85リットル】(内UP行動2:40 実働2:20)

 昨夜は、睡眠導入剤として風邪薬のルルを服用して寝た。確かに飲んだ当初は眠気が来るが、その眠気で寝付けないと結局同じ事だった。高度の影響もあるが、寒さの問題もある。双方の原因であまり眠った気がしなかった。
 夜中、テントの外でバキバキバリンという音が聞こえる。外には出なかったが、音の感じからして、前を流れるペニテンテスの沢の氷が崩壊と再生を繰り返しているようだ。気温の変化が原因で自然とああいう音が出るのだろう。
 朝食のラーメンは、高度が上がったこともあって、ますますねとねと感が増したようだ。日本から持ってきた餅を、一人一個ラーメンに入れて食べる。餅はうまい。
 今日は、アタックに備えて氷河の試登を行う。Normal(Polish Glacier)を行くか、Directにするのか、はたまたFalso de los Polacosに逃げてしまうのか。全ては今日の試登次第で決まることである。
 テントでハーネスなどの登攀具を着用し、氷河の縁づたいにしばらく歩くと、ケルンが積んである場所に着く。ここから取付けということなのだろう。今回の遠征で初めてアイゼンを使用する場面がきた。少し緊張しつつアイゼンを着用する。氷河を眺めていると、轟音とともに氷河の端の雪庇が崩壊した。幸い我々のいる場所とは関係のないところに落ちていったので良かったが、雪煙を上げて崩れていく氷河には恐怖を感じた。
 まず、当初の計画どおりNormalルート方向に進む。下から見ると縦横無尽に走っているように感じられたクレバスだが、実際には底が浅く、クレバスの中を歩いていくことさえできた。深いところで胸くらい。クレバスの中には流入した土砂が見え、ペニテンテス状の平たい氷柱がいくつも立っている。氷柱の上に足を乗せると崩れるのが怖いが、底が見えているので、たとえ崩れても問題はない。予想通り氷河は固く凍っていたが、アイゼンが効かないほどではない<★一歩一歩踏みしめるように試登する>
 しばらく登っているうちに、腕時計の高度計がエラーになっていることに気付く。どうやら6000mまでしか表示されないようだ。今まで6000mを超えるような所に行ったことがなかったので、気がつかなかった。あわてて現在地を1000m低く設定し直しておいた。これで大丈夫だろう(結局大丈夫ではなかった。この日は問題なかったのだが、アタック日に再び6000mを超えたあたりでチェックすると、どちらにしろエラーになっていた。機能的に6000m以上は測れないということのようだ。(CASIO「PRO TREK」))。
 急斜面になったので、操作の練習を兼ねて、ザイルを使うことにした。まず、アイススクリューでセルフビレーをとる。アイススクリューはよく効いてくれる。三堀リードで歩き出す。クレバスの底の部分を行くが、傾斜もきついし、高度もあるのでジリジリとしか進めない。天気は良く、風はないので待っていても寒くはないのが幸いだ。約45m。50mザイルぎりぎりで1ピッチを終える。中間支点は取らずに行ったようだ。それほど危険な箇所でもないし、ザイル操作の練習の意味が強いので、大丈夫なのだろう。私もその後に続く。高度の分がやはり厳しいが、技術的な問題はなく、ひたすらアップしていくだけ。特に問題はない。
 高度計がないので確かには分からないが、ほぼ6100m付近まで登って、確かな手応えをつかんだ。これなら予定通りNormalルートで行けそうだ。その場で二人叫んだ「登るぞー!」。
 今日は風もなく、穏やかで絶好のアタック日和。このまま登ってしまいたいという誘惑に駆られるが、まだ順化も済んでいないし、時間的にも登頂は難しい。万全の状況を作って、3日後のアタックに賭けようと思う。今日は、いったんBCに下山。明日一日休養を取って、明後日C1泊。そして3日後、27日がアタック日になるわけだ。最後にもう一度アコンカグアを振り返り、氷河を後にする。
 下りは登りよりも大変だった。前向きで降りようとすると、少しバランスを崩しただけで、頭からペニテンテスに突っ込みそうだ。もちろん、そうなったら命はないだろう。慎重にバランスを取りながら、ゆっくりゆっくり降りる。登りよりも時間がかかっているのではなかろうかというペースだった。やはり氷河の下りは厳しい。登頂後はFalso de los Polacos で降りるのが無難だろうと強く思った。今日、氷河をアタックするパーティはないようだ。登るときも下るときも1パーティも見当たらなかった。どうも、C1にテントを張っている人の全てがポーランド氷河ルートを目指すわけではないようである。たいていはFalso de los Polacos ルートを登っているように感じた。C1にいる人の数と氷河をアタックする人の数の間にはかなりの開きがある。
 C1に戻ってくると頭が痛む。登っている最中は何ともなかったのだが、降りてくるととたんに痛み出した。高所障害は時間差で発生するようだ。頭の奥の方でゴンゴンという鈍い痛みがする。たまにピキッという鋭い痛みも走る。6000mを超えるとさすがに厳しいのか、と思った。それにもう一つの原因も考えられた。水の摂取量不足である。試登中はゆっくり休める場がなく、満足に水を摂れなかった。C1に戻ってきてテルモスを飲んだが、足りなかったようだ。とにかく今日はBCまで降りよう。C1は強風対策のためポールを倒した状態にして、下へ向かった。
 BCでコンソメスープを作って飲む。多少落ち着いてきた。BCはとても暖かい。C1と比べると天国のようだ。空気の濃さも感じる。頭痛は夜になっても治らないので、寝る前に鎮痛剤のイブAを服用する。
 夕食は、α化米の五目ごはん。感動的なうまさであった。α化米をこんなにおいしいと感じたのは初めてだ。高度や状況に関わらず、変わらぬ味を確保できるα化米という食糧はすばらしい。食べるのがもったいないと思ったほどである。


1月25日(火)快晴<ベースキャンプ(休養日)>【10日目】


7:45起床(日の出) 気温−8℃[脈拍60回/分]
7:45-9:00朝食(マギー「Sopa Lista(GALLINA味)」、人参1本、紅茶、砂糖)
13:00-14:30昼食(コンソメスープ、サラミ少々、紅茶、砂糖)
17:00-17:20水汲み 6℃[18:00脈拍74回/分]
18:45-17:50夕食(α化米(白米)、卵スープ(FD)、紅茶、砂糖)
※パンビタンハイ各3錠
18:50日の入
19:00消灯 −5℃
【行動、実働0:00 水2.7リットル】

 久々に良く眠れた。C1で眠れなかった分、ぐっすりと寝た感じだ。疲れが一気に取れた。順化がうまくいっているということだろうか。昨晩の頭痛はすっかりよくなった。
 朝から特にやることはないのだが、天気だけはとても良い。雲一つない快晴である。とりあえず、手袋の指先が破れていたので裁縫をする。そのあと、「アコンカグア山頂の嵐」を読み終える。ここに来る前にも読んでいたのだが、現地で読むと臨場感もあって、より一層面白かった。この本の中ではいつも嵐に見舞われている。キャンプサイトに着くたびに天気が悪いようだ。我々はずっと天気には恵まれてきた。運がよいということだろうか。せめてあと三日、アタック日まではこのまま晴れていて欲しいと思う。
 12時になって、テントの外に出る。暖かいので、アタックに備えてからだを清めることにする。水場近くは避けて、テント付近の小さな沢で顔・頭・手・足を洗う。ここは、午後になってペニテンテスの氷が溶け出さないと沢にならないところ。ちょうど氷が溶けはじめたくらいで、非常に冷たい。でも、気合いを入れて髪を洗う。陽射しもあるし、空気が乾燥しているので、濡れてもすぐ乾く。とても気持ちがよい。高所なので汚れが付きにくいのか、すでに9日目だというのに、頭がかゆいという意識はない。日本の山での縦走だと、一週間も歩くだけで耐えられないくらいになるのだけれど。
 テントの中で横になっていると、外から何やら歌声が聞こえてきた。どこかの外国人が昼間から酔っ払って騒いでいるのかと思いきや、よく聞いてみると歌詞は日本語。どうやら、三堀がCDを聞きながら感極まって歌い出してしまったようだ。テントの入り口からは雄大なアンデスの山々が見える。BGMにはどこか悲しげな三堀の歌声、「思えば遠くに来たものだ。」と思ったりして。
 17時頃、東の空に雲が増えてきた。しかし、アコンカグア方面は雲がない。18時半頃になって、東の雲はかなり広がった。雲の色は黒い。雲の下では嵐になっているかもしれない。
 今まで日本でやってきたのは、縦走形式で一つ一つ山を越えていく方式がメインだった。昨日、今日、明日、とつなげていき、最終日に全てが完結し、そこまでの過程を振り返って良かったかどうかを評価してきた。クライミングでは、何日もかかるような大きな山はやっていないが、たとえその時のぼれなくても、自分の力が足りなかったのだから、もっとレベルを上げて、今度来るときは必ず登ってやる、と思ってきた。
 しかし今回は、アコンカグアの頂上に立てるかどうか、その一点に全てがかかっている。それが今大きなプレッシャーとなっている。高所や海外の体験をしたのだから、行っただけでも意味がある、というのは失敗したときに考える言い訳にすぎない。今考えられるのは、登頂=成功ということのみ。ただし、方法は問わない。Polish Glacier Routeが最善だが、たとえFalso de los Polacosを選択したとしても頂上には立ちたいと思う。それだけに明後日どうなるのか、とても不安であり緊張している。アタックのことを考えるとドキドキしてしまう。天気はどうなるのか体調は大丈夫かルートは間違えないか。
 全ては明後日だ。


1月26日(水)くもり時々雪<ベースキャンプ〜キャンプ1>【11日目】


7:45起床(日の出) 気温−10℃ [脈拍62回/分]
7:45-8:50朝食(マギー「Sopa Lista(CARNE味)」、パスタ少々、紅茶、砂糖)
8:50-11:00待機、出発準備
11:00ベースキャンプ(5000m)出発8℃
12:00-12:10R1(Ameghino(アメヒーノ)コル(5380m))6℃
13:15-13:25R2(5615m) −1℃
14:25キャンプ1(5900m)着2℃
15:30-15:55水汲み
18:00-19:00夕食(α化米(五目ご飯)、ビーフコンソメスープ、クノール「Sopa Facil(GALLINA味)」、紅茶、砂糖)
※ エスファイト各1錠、パンビタンハイ各3錠
20:30消灯 0℃
【行動3:25 実働3:05 水2.5リットル】


 朝起きるとアメヒーノ山の東側に薄い雲がかかっていた。昨日の夕方東の方角で嵐のような雲が出ていたのを思い出し、少し気になる。
 今日はどちらにしろ、C1まで移動するだけ。今まで2回登ったときのことを考えると、3−4時間くらいで上に到着するはずである。C1に早く着いても体力を消耗するだけだし、やることもないので、朝食後しばらく待機することにする。
 外を見ると、完全にくもり。空一面低い雲(といっても標高自体が5000mを超えているわけだが)に覆われている。日射もない。何もアタック前日になって雲が出はじめなくてもよいと思うのだが、山の天気とは無情なものである<★雲が広がる…>
 明日の天気は分からないが、ここにいても対処できないので、とにかくBCを出発する。歩き出すと雲の切れ間から青空が見え、少し希望が見えてきた。
 しかし、12時半(5450m)くらいからが降り出す。雪といっても空気が乾燥しているため、粒が小さくあられのようなものだ。積もることはなく、すぐ蒸発してしまう。
 13時15分C1に到着。雪の降りが少し激しくなってきた。ただし、風は弱いようだ。15時15分雪はやんだ。雲は切れて、太陽もたまに顔を出す。西の空は明るいのだが、頂上付近(氷河上)はガスがかかっている。明日こんな状態なら登れないだろう。
 そこで、アタックについて三堀と話し合った。結果は以下の通り。
『現在、好天から悪天へ天気の周期が変わったと考えられる。我々より前にアコンカグアに入山していた人の話によると、天気の周期は3日から7日で入れ替わるとのことである。したがって、今日天気が悪いとなると、明日の好天は見込みが薄い。ただ、今までの経験からして、昼間雲が出ていても夜になると快晴になるだろう。そして、また日の出とともに雲が増え始めることが予想される。そのため、もし雲が出るのを承知でアタックに向かうのであれば、午前2時頃に出発し、夜明け前になるべく氷河の上部に出るという戦略を取るべきである(氷河を越えるのに6時間、頂上まで3時間、下山に4時間。合計13時間と見積もった)。
食糧は、C1に現在8日分ある。ただし、5900mでの長期滞在を避けるため、天気を待つにしてもC1に3泊したら一度BCに下山した方が良いだろう。神谷が帰国する飛行機の都合を考えると、一度BCに降りて、再びC1に戻ってきた時の1月31日がラストチャンスになる。つまり、チャンスは全部で4日あることになる(27,28,29,(一回BCに降りて)31日)。』
 これらを考慮の上、明日のアタックは延期とした。もし明日晴れたとしたら、明後日も晴れるだろうし、とにかく今日の天気だけでは判断できないと思ったからだ。
 残念ではあるが、良い経験でもある。連日天気に恵まれて、何の苦労もなく6959mの頂に立ってしまったら、面白くない。そんな山なら、誰でも登れる。これは神様からの試練もしくはプレゼントだろう。アコンカグアにいられる時間が延びたことを喜ぼう。雲はきっと流れる。この動きそうに見えない氷河でさえ動いているというのだから、雲が流れないわけがない。事態が好転しないわけがない。きっと明日はいい天気になるだろう。それを信じて今日はシュラフに入る。


1月27日(木)晴れ<キャンプ1(待機)>【12日目】


7:30起床 気温−12℃[脈拍72回/分]
7:30-8:45朝食(マギー「Sopa Lista(CARNE味)」、餅、乾燥野菜、紅茶、砂糖)
7:50日の出
12:00昼食(クノール「Sopa Facil(GALLINA味)」)
15:00-15:30水汲み20℃
16:45-18:10夕食(ジフィーズ「すき焼き丼」、ジフィーズ「鶏飯」、とん汁(FD)、紅茶、砂糖)
※エスファイト各1錠、パンビタンハイ各3錠、ルルエース神谷2錠
18:30消灯
【行動、実働0:00 水3.03リットル】


 昨晩は夜半からうなり声を上げるような風が吹いていて、この風ではたとえ天気がよくてもアタックは難しいだろうと考えていた。朝になってテントから出ると、天気は良いが風は強い。東の山には雲海が見える。
 夜は、(当然ながら)あまり寝られず。その分今日の午前中はテントの中で横になっていることにした。左胸を下にして寝ていると、心臓が圧迫されて苦しい。それに意識的に深い呼吸をする必要がある。しかし、意識して呼吸をするということは寝てはいないということ。酸素が海面上の2分の1しかない世界はさすがに違うと思った。
 風は日の出とともにおさまってきた。しかし、周期的に強風が吹くときがある。11時頃になって氷河上にも雲が出てきた。天頂は青空で日射はあるものの、周りの山々とポーランド氷河上には雲がかかっている。この分だと、たとえ明日登頂したとしても頂上はホワイトアウトかもしれない。もう一日待つべきなのだろうか。
 昼食を摂って、テントの外に出てぼーっと雲を眺める。6000m近いこともあり、すぐ目の前を雲が流れていくのが分かる。早く雲がなくならないか、と思いながら、寝転んで空を見ていた。すると、雲の流れというのがとても面白いということに気が付いた。まるで生き物のように次々に形を変えていく雲。それは一種のドラマのようであった。今この瞬間この場所でしか見ることのできないショーを見ているようだ。わきあがり、ちぎれ、くっつき、離れ、そしてまたつながっていく。いくら見ていても飽きない感じだ。龍が飛び出てきたと思うと、勇敢な兵士が勇ましく立っている姿が見える。二人の人間が出会う様子や、魔物に追われる人の姿なんかも分かる。普段は、山で雲を見てもこんなに近くで迫力ある姿では見えないので、あまり気にしていなかった。この5900mのこの地点でしか味わえないものなのだろう。これを見るだけでも今日はアタックに行かずに待機した甲斐があったと思った。すばらしいものを見、すばらしい発見があったと思う。
 そういえば、今朝寝ながら読んでいた「でか足国探検記」(新潮文庫・椎名誠著)にこんな一節があったことを思い出した(p264)。

『わしら文化文明の世界にいる者が毎日視ている風景というのはあまりにも硬質なきっちりくっきりキチンキチンぴったりはっきりの直線直角世界なのだ。これではいかにも神経が疲れる。いかにも気持の底にストレスがたまりそうだ。だからおそらく文明の世界に生きる者は時折からだと心のどこか奥底の方で何かもっと気持ちにやわらかいもののかたちを求めているのではあるまいか。もっと視覚にやさしい不定形のぐちゃぐちゃしたもののかたちを。たとえば遠い山、雄大な草原、風に身を震わせる森の樹木、夜の闇に踊る焚火の炎、岩にはじける波濤のきっ先などを。』

 雲を一心に眺める気持ちというのも不定形へのあこがれなのかもしれない。
 こうして一日、雲や遠くの山々を眺めていると、とても幸せな気分になってくる。何かに追われることもなく、時間を気にすることもなく、ただひたすらに異世界のような風景を見続ける。こんなにも心が落ち着いた瞬間が生まれてからこれまでにあっただろうか。何か悟りでも開けそうな気がしてきた。
 15時頃になって氷河上の雲は切れた。周囲の山々はまだ雲の中だ。隣の山ではどうも雪が降っているような雰囲気だ。18時になると、その雪雲がこっちに流れてきた。日射はあるのに、雪だけがあたりを舞っている。
 三堀との話し合いの結果、明日アタックをすることに決定。昼間は好天が見込めないので、日の出前に出発することにする。午前0時起床、2時出発。月が明るいだろうから、夜中の行動でも大丈夫だろうと判断した。とにかく氷河を早めに抜けてしまうことが大切だ。
 夕食はジフィーズ。ドロドロだけど、味は完成されているのでおいしい。すき焼き丼を一人1パック食べ、その後(アタック前日ということで)特別に鶏飯を二人で1パック食べた。
 眠るときに気休めではあるが(睡眠導入薬として)ルルを服用した。多分寝られないだろうが。


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