山小説の棚(その5-2)

「灰色の北壁」→【bk1】/【amazon】
真保裕一 講談社 2005年


「黒部の羆(ひぐま)」
★これからストーリーの要点にふれます。未読の方は、以下は読まない方がいいです。絶対。
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この話は、単純に遭難救助の話ではなく、現在と過去を交錯させた、いわゆる叙述トリックが使われている。
具体的には、
奇数章では、救助する側の視点から描かれる現在の話。(羆=矢上)
偶数章は、救助される側の視点から描かれる過去の話。(羆=樋沼)
が描かれる。
25年の時を隔てて、偶然にも同じような場所で同じような事故が起こった、というのがポイントとなっており、状況がほとんどそっくりなので、両方が同じ時系列の話だ、として読んでいるとすっかりだまされる。
違和感を感じ始めるのは、救助者と遭難者が合流する第7章の時点だろう。今まで描かれていた遭難者の状況と何か違う、と気づくはずだ。なんか変だな、と思いつつも読んでいくと、この作者の企みを知ることになり、やられた、と感じるはずだ。そして、いったいどうなっているのか、と再び読み返したくなることは間違いない。

そんなわけで、過去パートと現在パートでどう書き分けられているのか比較してみた。細かく見ていくと、作者がいかに注意深く、書き分けているか気付かされる。

・遭難者は降雪期の剱を二度にわたって体験し、冬期訓練で早月尾根を登っている。【過去】→春に立山から剱への縦走経験がある。【現在】
・ヘリは翌朝ようやく到着。【過去】→現場までは行けなかったが、遭難当日剱沢に警備隊員を降ろす。ヘリの爆音が羆には聞こえている。【現在】

7章以降になると、その違いは明確になってくる。
・二人が上下別の場所にいる。
・負傷していない方の言動が頼りない。
・負傷部位が違う。(左の肩を負傷(鎖骨が折れているか、肩を脱臼しているか)【過去】→額から耳元にかけての血痕【現在】)
・ザックは谷に落としてしまったようだ。【現在】→ザックは二人ともアイスハーケンにつるしている。【過去】
・ビバーク中に飲むものが湯【過去】とスープ【現在】
などがある。
ヒマラヤ遠征のメンバーに選ばれるかどうか、というのも考えてみれば時代を感じる。

これだけでも充分よく練られているのだが、もっと追究して、過去と現在の装備や技術の違いを出すと、さらにすばらしい作品となっただろう。
たとえば、ロープ【現在】とザイル【過去】、スリング【現在】とシュリンゲ【過去】という表記を使い分けるとか。
25年前もダブルアックスを使って登っているが、ピッケル一本にして、ステップカッティングを使うとか。
25年前の技術、装備がどんなものだったか、私には具体的な細かい部分はわからないが、詳細を検証してみるとおもしろいかもしれない。

惜しいのは、アイスハーケンについて。
25年前なら、打ち込み式のアイスハーケン(アイスピトン)を使っていたはずだ。現在なら、スクリュー式が主流である。ただ、広義のアイスハーケンという表現なら、スクリュー式を含めて考えることもできる。それをふまえてチェックしてみると、過去パートでは「打ち込んで」、現在パートでは「ねじ込んで」を主に使い分けていた。一部現在パートでも「打ち込んで」という表現を見つけてしまったが、これは単なるチェックミスだろうか。意識的にこの表現を使い分けているのなら、見事だと思う。

もうひとつ、ヘリについての表記もあげておこう。
現在パートでは、最初からヘリ「つるぎ」による救助について書かれているが、過去パートではヘリの表記はほとんどない。富山県警が「つるぎ」を導入したのは、1996年。ヘリの導入自体は、1988年。現在パートが具体的に何年の話なのかは書かれていないが、作品初出時の2004年だとすると、25年前は1979年。ヘリの救助はあり得ないことになる。これで、最後までヘリが出てこなければすばらしいのだが、残念なことに、最後の最後にヘリで救出されてしまうのだ。本当に惜しい!読み返してみると、かなり注意深くヘリの表記を避けているように感じられるのだが、どうして最後に、と思ってしまう。

以下は、トリックとは関係ない細かいミス。
・アンザイレンして最初のトップを登る部分。矢上がトップで登っている表記のあと、いつの間にか瀬戸口がトップに代わって登っている。
・表記は「ロープ」で統一されているが、「ザイル」というのも一部ある。(これがトリックに関わっているならすごいが、ただのミスっぽい)
・自己脱出して、救助に向かう部分のロープ操作がなんかおかしい。
・羆が単独でロープを使って登っているが、ソロシステムがなんかおかしい。登り返している様子がないので、次々にフィックスしているのだろうか。
まあ、こんな細かいところはマニアしか気にしないだろうけど。

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(2005年3月24日)



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