「月光の幻惑」
北穂高岳 滝谷 D沢E沢中間稜(名称不明)

2005年4月23日(土)〜24日(日)
メンバー:清野、神谷(記)

【検証編】
それでは、いったいどこをどう登ったのか、と言うことを考えてみたい。
※先に【報告編】から読んでください。


上記が滝谷概念図。
計画では、C沢から第二尾根主稜を経由し、北山稜に取り付き、北穂に抜けるはずだった。
赤線が今回登ったと思われるライン。
(1)〜(6)は報告編の【※1】〜【※6】と対応。



第二尾根のルート図。
P6からトラバースし、北山稜のPAに取り付く。
P2で再び第二尾根と合流し、P1が水野クラック。
(1)〜(6)は報告編の【※1】〜【※6】と対応。

【※1】
B沢とC沢の合流点だと思ったのが、F沢との合流点だった。
上記の概念図では、A沢やB沢との合流点まで記されているが、手持ちの資料では、C沢の合流点以降しか載っていたなかったため、推測で考えてしまった。
【※2】
第二尾根主稜に取り付くために入ったルンゼは、E沢とF沢の中間稜のルンゼ。第二尾根主稜と思っていたのがその中間稜。
【※3】
北山稜へのトラバースするときに正面に見えた岩壁をP3支稜のコブだと思ったが、これはD沢とE沢の間にある岩壁。
【※4】
ルート図にもトラバースラインが引かれていた。実際、左右の尾根をつないでいるような場所だったが、これは偶然。
【※5】
この尾根がD沢とE沢の中間稜。
【※6】
目指していた右の尾根が、涸沢岳西尾根。

地形図。
登ったのは、おそらくこのラインだと思う。
(1)〜(6)は報告編の【※1】〜【※6】と対応。

結局、問題は、最初の沢を間違えたことで、すべてそれに尽きる。
ルート図を見ながら、地形と照らし合わせて考えていたが、多少の違和感があっても、無理矢理ルート図の中でどの場所に当たるのか、と考えてしまった。
要所でそれっぽい地形が出てくるので、よけいに紛らわしい。いっそ、全く違う地形であったら、これほどまで気付くのが遅れることはなかっただろう。

また、月明かりがあったとはいえ、暗いうちから歩いていて、周囲の状況(とくに遠くの尾根)がよく見えなかったこともある。二人とも滝谷を下部から詰めるのは初めてで、よく分かっていなかった。

そうは言っても、地形図とコンパスを見れば、進んでいる方向が全く違うので、すぐ分かったはずだ。地形図もコンパスも持っていたが、岩場マークだらけで、どれが第二尾根でどれがC沢かなどというのがぱっと見て分からなかったので、ザックの中にしまいっぱなしだった。

便宜的にルート名をD沢E沢中間稜としてみたが、実際地形図を見ると、上部は尾根地形ではなく、「中間稜」という名称も適当ではないように思う。
まずF沢を登り、E沢F沢中間稜を経由して、E沢に降り、さらにルンゼを詰めて、D沢E沢中間稜に出て、そのあと、涸沢岳西尾根に登り着いたことになる。
しかし、過去にこのラインを登ったパーティがあるとも思えず、おそらく名前もないルートではないかと思われる(ルートと言えるようなものではないが……)。

今回は、たまたま、途中に困難な場所がなかったために無事登り切ることができたが、場合によっては、進退窮まるような状況になっていたことも十分考えられ、大いに反省しなくてはならないことだと思っている。

【報告編】




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