明星山事故報告書

●日時:11月23日(火・祝)12時20分ごろ
●場所:明星山P6南壁「マニフェスト」ルート
●メンバー:T(事故者)、K、神谷浩之
●事故概要
マニフェスト5ピッチ目を登攀中、トップのTが墜落。中間支点がすべて外れ、約30m分墜落。Tは骨盤などを骨折。意識はあるが、自力で動けないため、2ピッチ分懸垂下降。取付地点に降りたところで救急隊と合流。その後、ヘリによるピックアップで病院に搬送される。

●山行計画〈初冬の剱尾根2004〉
11月20日:馬場島→小窓尾根1600m
11月21日:→池ノ谷→剱尾根R10/コルE→コルC
11月22日:→ドーム→剱尾根ノ頭→長次郎ノ頭
11月23日:→本峰→早月尾根→馬場島
11月24日:(予備日)

●実際の行動(概要)
11月20日(土)
〜馬場島から小窓尾根1800mまで。
小窓乗越と呼ばれる小窓尾根1614m付近にテントを張る予定だったが、尾根への取付を間違え、予想外のヤブ漕ぎとなる。尾根に出る前に暗くなり、ヘッドランプで行動している最中、先頭を歩いていたTが落石を起こす。セカンドにいたKのザックに落石が当たり、中にあったガス缶に穴が開く。ガスが噴出して使えなくなってしまったので、その場に残置。
テントが張れそうな場所が見つかったのは、標高1800m地点。その頃には雪が降り出してきていた。

11月21日(日)
〜小窓尾根1800m地点から小窓乗越経由、馬場島へ下山。
ガスを一個失ったこと。予定していた地点に居らず、正規ルート復帰にはまだ時間がかかりそうなこと。天気の悪化が予想されたこと。などから下山を決める。
小窓乗越までヤブを漕ぎつつ尾根を下っていくと、そこには立派な登山道があり、取り付く地点が全く違っていたことが判明した。
下山はしたが、まだ予定は二日残っていたため、明星山に転進することに決定。

11月22日(月)
〜明星山P6南壁左岩稜
フラットソールやルート図を持っていなかったため、ルートがわかりやすく容易な左岩稜を登る。3時間40分で登攀終了。天気もよく、快適な登攀となった。

11月23日(火・祝)
〜明星山P6南壁マニフェスト(事故発生)
Kが2週間前に登り、ルートがわかるというマニフェストを登る。残置ピンも多いため、人工登攀も可能と考えた。幸運なことに取付で(以前の登攀者が落としたと思われる)同ルートのルート図を拾うことができた。
8時登攀開始。荷物は行動食と水くらいで、ザックを三人で1つにして軽量化を図った。
1ピッチ目はIII級程度の岩場をTがリード。2ピッチ目もTリードで登り始めるが、フリーの部分が運動靴では難しく、結局Kが交代して登った。この先のトラバースも難しく、フォローにも時間がかかり、2ピッチ目終了時点で10時になっていた(以下3,4ピッチ目もKがリード)。
3ピッチ目はボルトラダー。アブミによる人工で登る。本来の2ピッチ分を一気に登り、下部城塞の直下まで。
4ピッチ目は15mほどトラバースしてテラスに出たところで一旦ピッチを切った。
この時点で既に12時近く、完登は無理だと判断していた。ただ残り2ピッチ登れば中央バンドに出るため、そこから下山することを考えていた。
5ピッチ目でリードをTと交代した。ビレイは神谷が行なった。
ここのテラスはある程度広く、座って休むこともできた。残置されていたビレイ点はピトンとボルト合わせて5-6個はあり、古いが太いスリングが大量にかかっていた。
トップのTが凹角部分のクラックに2つカムを決め、7mくらい上のテラス部分まで登ったのは確認したが、そこから先はビレイヤーからは死角に入り、トップの姿は見えなくなった。凹角の核心部は越え、傾斜も緩くなっているはずであり、ロープも少しずつ伸びていっていることから、順調に進んでいるものと思われた。時折パラパラと小石が落ちてきて、それがちょうど凹角沿いにビレイヤーの真上に降ってくるので、少し身体を寄せて、岩陰に入るようにした。

15mほどロープが伸びたところで、「ラク」というTの声が聞こえ、その後、轟音とともに人身大の大岩、そしてTが落ちてきた。ビレイしていた神谷も下に引きずられるような形になった。ビレイはしていたが、ロープの流れる勢いは激しく、手の中を流れるばかりのロープは、なかなか止まってくれない。結局、ボディビレイしていた確保器が下に引っぱられることで、ちょうどロックがかかったような状態になり、勢いが殺されて止めることができた。
Tに声をかけると、かすかに返事があり、自力で動いているのも見えた。しかし、ヘルメットは飛ばされ、靴も片方脱げていた。自力で登り返せるような状態でないのは明らかだったので、こちらから降りて様子を見に行くことにする。時計を見ると12時26分。事故発生は12時20分前後だと思われる。
ビレイヤーがマッシャーを使って自己脱出し、K、神谷の二人のメインロープを外し、懸垂下降のセットを行なった。Kがまず先行して降りる。エイト環の下にマッシャーでバ懸垂下降図ックアップを取って懸垂下降。
マッシャーでフィックスされたロープの長さがあるので、実際に懸垂で下降できるのは、ロープスケールの三分の一程度となった。下降してみると1mほどTの地点には届かなかったが、強引にTの身体を持ち上げるようにして、KとTの身体を連結した。(右図参照)
Tに話しかけると「ここはどこ?」「リードしていて落ちたの?」など記憶に混乱がみられた。また「目が見えにくい」などとも言っていたが、時間が経つにつれ次第に状況を把握し、意識もはっきりしてきた。左半身、特に腰部の痛みを訴え、自力で懸垂下降することはできないようだ。この時点で、対岸の観光客に大声で救助要請をお願いした。
TをKの背に担ぎ上げるのは、Tの腰に負担がかかるため、股下に吊り下げた状態で、二人一緒に懸垂することにする。Tのメインロープを解除しようとしたが、墜落の衝撃で固く締まったエイトノットをはずすことが出来ない。やむを得ずロープ末端をナイフでカット。
その後、マッシャーで上からフィックスしていた部分を神谷が解除。ロープを流して、50mロープをダブルで懸垂下降に使えるようにした。

二人繋がった状態で懸垂して、数本の残置支点があるビレイポイントまで下降。しかし、この支点では二人同時の懸垂に耐えられる強度には見えなかったので、一旦ここでピッチを切り、神谷が先ほどのビレイ点から懸垂下降し、Tの地点に合流した。KからTのビレイを受け継ぎ、Kはもっと強度の高い下降点を探して、さらに下へ向かった。
数分後、下降点が見つかったため、神谷とTはそこまで下った。
Tは腕が動かせ、自力で神谷の腰に抱きつくような状態になったので、安定した体勢で下降することができた。
次の下降点から50mで地面に届くか微妙な高さだったため、50mロープを連結し100m分にして降りることにした。
神谷、Tが連結された状態で先に下る。万一連結部分の通過に手間取った場合は、付近の支点でビレイを取り、上に残るKと交代して、Tの受け渡しを行なおうと、打ち合わせしていた。
幸い、その心配は無用となり、50mで取付まで降りることができた。

13時55分取付着。ザックを使って背負子搬送しようとするが、身体を起き上がらせるにも、横にするにも猛烈な痛みを訴えるため、全く動かせられない。
Kが担架を依頼するために救急隊を呼びに行くと、ちょうど救急隊の方々がこちらに向かってくるところだった。
その後の動きは、救急隊の方々の指示に従った。
6名ほどの救急隊の方々でTを担架に乗せて固定してから、川の中州まで行き、救急隊の判断でヘリを呼び、ピックアップを待つことにした。

Kは、救急隊とともに、その場で処置および待機。神谷はギア等を片付け、先にテントに戻って撤収。ロープがフィックスされたままだが、これはもうどうしようもないので残置。

15時35分ごろ防災ヘリによるピックアップ。
その後、警察による事情聴取、報道機関の取材などを受け、車で糸魚川総合病院へ向った。

●Tの症状(事故当日の検査時点)
・左仙骨骨折(骨盤の後方、尾骨の上の方)
・両恥坐骨骨折(骨盤)
・左2,3肋骨骨折(左側の肋骨の上から2番目と3番目)
・左足2,3趾骨骨折(左足の人差し指と中指)
・頭部、内臓等には今のところ問題は見られない。

●治療
・安静、全身状態の管理、創の処置を行なう。
・手術の予定なし(安静にしておけば、そのうち骨がくっつく。後遺症も残らないだろう)。
・入院約3週間、通常の生活に戻るまでは1ヵ月半くらい。

●連絡、経過

・D(山行管理係)に電話するが、留守番電話だったので、メッセージを残し、かけ直してもらうようにする。
・TS(チーフリーダー)に電話。事情説明して、他の主要会員への連絡を依頼。
・Dからその後折り返しの電話あり。事情を説明。
・TSからRK、KNなどに連絡。
・最終的にKNに情報を集約することになる。
・病院に着いてから、Tの奥さんに連絡を取る。(明朝こちらに向かうとのこと)
・病院で医者から症状などの説明を受け、各所へ報告。
・Kは明け方帰宅。
・神谷は翌朝まで待機し、Tの奥さん到着を待って事情説明後、帰宅。

●予想される事故原因など
・リードした本人は、事故の瞬間のことを覚えていない。そのため、原因は状況から推測するしかない。
・下部城塞の核心部は越えており、緩傾斜帯に入っていたと思われる。
・本人が「ラク」と叫んでいるので(本人はそのことも覚えていない)、浮き石を掴んだか、足を乗せた場所がちょうど浮き石だったかで、足場の崩壊とともに身体のバランスを崩したと思われる(落ちてきた石は人間大のもので、かなりの大きさであった)。
・ただ、本人が墜落した時の落下の軌跡が、壁からだいぶ離れたところを、頭を下にして放物線を描いたようになっていたことから推測すると、安定していたと思われる大岩にテンションをかけたところ、全く予期せずその大岩が動き、バランスを失い、大岩とともに落下したと見るのが妥当と思われる。
・ロープに残っていた中間支点を見ると、カムが3つと残置ピトンが1つだった。これらすべてが外れてしまい、墜落係数2での墜落になった。
・墜落時に、左半身を壁に打ち付けたと思われ、左側の負傷の具合が大きかった。
・ヘルメットは墜落時に外れたものと思われるが、頭を打っていなかったのは不幸中の幸いである。
・また、ビレイ点が崩壊しなかったのも幸いだった。最悪のケースでは、三人とも引きずられて落ちてしまった可能性もある。

●今回の事故における教訓など
・救助訓練の重要性
偶然にも事故の前週に山岳会の救助訓練を行なっていた。そのときのケーススタディでは、フォローに落石が当たり動けなくなり、二人同時に懸垂下降させる、というものだった。
今回はリードが墜落したものだったが、結果として、ビレイヤーよりも下の地点に落ちたことで、非常に似通った状況となった。
マッシャーでバックアップを取って懸垂下降し、要救と急救を連結させて下降する方法は、救助訓練を行なっていたために、冷静に手順を思い出すことができた。懸垂中でも常に止まることができ、要救の荷重がかかっていても、ゆっくり降りられることができたので、非常に有用な技術であると再認識した。
ただ、要救の荷重がかかった状態でのロープ連結部の通過を、訓練で実際に体験しなかったので、頭でやり方はわかっていても、現場で多少の不安を感じていた。ただ、手間取ったときにはどうするか、という方法は事前に打ち合わせており、万一の場合にも備えていた(実際には連結部の通過は行なわなかった)。
・ビレイ用の手袋の必要性
今回、素手でビレイを行なっていたが、落下係数2の荷重がかかったため、とても素手で止められるような状態ではなかった。逆に、ビレイヤーの両掌に擦過による火傷(水泡)、裂傷、突き指を負ってしまうことになった。またロープも数メートル分流れてしまった。ここで皮手袋をしていれば、少なくともビレイヤーの負傷は軽減されたと思われる。
・ナイフの必要性
墜落者は、メインロープをエイトノットしており、墜落荷重がかかったため、ほどけなくなってしまった。そのためロープの切断を考えたが、ザックに入れていてすぐに取り出せなかったりした。ナイフはとっさの場合に使用することが多いので、首からスリングで掛けるなど、すぐに取り出せる場所に持っていることが必要である。
・ジャンピングセットの必要性
今回、ジャンピングセット(ボルトセット)を取付に置いてきてしまっていた。そもそもハンマーをテントに置いてきてしまったためにジャンピングも置いてきたのだが、メジャーなルートであるし、実際それほど必要性を感じていなかった。
しかし、今回のように、急いで下降しなければならない場合、不安を感じるビレイポイントであっても、ボルトを打ち足すことで補強できれば、もっと迅速な下降ができたかもしれない。
ルートの状況や軽量化との兼ね合いもあるが、緊急時を考えれば、なるべくジャンピングセットは持っていたほうがいいのかもしれない。

●今回の事故からのシミュレーション
・2人パーティだったらどうするか。
→要救の地点まで降りてから、もう一度登り返してマッシャーのフィックスを解除する必要がある。
→要救を連結したまま、下降点を探して、右へ左へ身体を振るのは、要救への負担も大きいし、懸垂支点への荷重も余計にかかってしまう(一旦、要救を安定した場所に移動させるべきか)。
・最初の懸垂で要救の場所まで届かなかったらどうするか。
→今回は要救のすぐ近くまで降りることができたが、全く届かない場合はどうするか(例えば、30m分ロープを伸ばして墜落した場合、手元には20m分しか残っておらず、要救の地点まで降りられない)。
→要救の容態を考えると、吊り上げシステムで要救を持ち上げるのは、大きな負担がかかり危険な場合もある。
→降りられるところまで降りて、そこに新たに懸垂支点を作り直し、少しずつ降りていくのが良いか(ただしジャンピングセットなどが必要)。
・トップの落石で、ビレイヤーも負傷。動けるのが1人だけだったらどうするか。

●終わりに
今回の事故により各方面にご迷惑をおかけしました。
救助に駆けつけてくださった糸魚川消防隊本部、警察署の方々、通報していただいた観光客の方、緊急電話を貸していただいたヒスイ峡の土産物屋の方、そして、緊急連絡等をしたいただいた山岳会会員の方々にお礼を申し上げます。

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