「黒部横断2002年春 (少雪・多ヤブ)」
鎌尾根〜鹿島槍〜十字峡〜別山北尾根〜真砂沢〜源次郎尾根〜剱岳〜早月尾根〜馬場島
2002年5月2日〜6日
メンバー:木下(JAC青年部)、野村(京都・左京労山)、神谷(記)
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<十字峡をチロリアンブリッジで渡る>
「結局私が剱沢大滝に幻を欲求することは、登山に何かを期待する私の美意識が幻であるということなのか。私の目には、幻ノ大滝は雪をまとうほどに、その落ち口から鮮明な幻想を吐き出すように写るのだが。」 (「剱沢幻視行」和田誠志 岩と雪168号) 黒部にこだわる人たちがいる。 剱を愛する人たちがいる。 その人たちの思い入れの深さは、他の山域を愛する人の思い入れよりも大きいように感じられる。 私はと言えば、黒部には全く足を踏み入れたことがない。 剱岳の夏の山頂にすら立っていない。 ただ、昨年の夏、初めての剱の岩を体験したに過ぎない。 しかし、彼らのその熱いこだわりを知るにつれ、まだ見ぬ黒部への思いはひしひしと心の中に蓄積されていくのであった。 剱沢大滝と言う幻の滝があると言う。 人界から隔絶された場所にひっそりとその姿を隠している。 黒部において、もっとも偉大でもっとも気高いその滝に挑んだ人たちがいた。 和田誠志は、その滝を見て、「永劫の時を経て、この巨大な岩盤を穿ち続け、美事なV字峡谷を彫刻する。そのエネルギーの熱烈、その持続性の一徹無心、脈動する噴水はまったく生命体そのものだ。」と書いている。(剱沢幻視行) 志水哲也は、「剱沢遡行--僕がこれほど情熱を注いだ山行はかつてなかった。それは自分の全存在をかけた闘いだった」と、剱沢大滝登攀の感想を書いている。(「大いなる山大いなる谷」) 無雪期の大滝は、1962年鵬翔山岳会が全貌を明らかにした。 積雪期は1978年3月にまたも鵬翔山岳会によりトレースされ、83年3月には、和田誠志らにより第二登がされている。 以来、幾人もの人たちが、この滝を登り、それぞれの感慨を持った。 水流は、あまりにも強く、もちろん、滝の直登などはできない。 滝の側壁をトラバースを交えて登っていくのだ。 記録によると、夏はゴルジュを高巻かなくてはならないところを、積雪期には、内部が埋まっていることから、スノーブリッジを渡っていけるそうだ。 夏には完全遡行に三日かかるところを、積雪期に一日で抜けたと言う記録もある。登るなら、春がチャンスなのかもしれない。 と言っても、岳人626号によると、4-5月の遡行の記録は、1976年の和田パーティと1980年の昭和山岳会パーティのものの2件しかないらしいのだが。 ここは、雪崩の頻発地帯だけに、残置支点を当てにすることができない。 大量のボルトとハーケンを用意する。不安と緊張は高まるばかりだが、ともかく行ってみるしかないだろう。 幻の大滝を登り終えたとき、そこに待っているのは何だろうか。 <計画> 5/2大谷原〜北俣本谷〜ダイレクト尾根〜鹿島槍ヶ岳〜牛首尾根 5/3〜牛首尾根支稜〜十字峡〜剱沢平(野村:ダム経由で十字峡にて合流予定) 5/4〜剱沢大滝〜近藤岩〜菱ノ稜取付 5/5〜菱ノ稜 5/6〜八ツ峰V峰〜上半部〜池ノ谷乗越〜剱岳〜早月尾根〜馬場島 5月2日(大谷原〜鎌尾根〜鹿島槍ヶ岳〜牛首尾根) 雪が少ないのは、予測のうちだった。 しかし、ここまで少ないとは。 暑い一日の始まりだった。 照りつける陽射しだけでも十分なのに、太陽光は残雪に反射してさらに暑さを増す。 まるで夏山を登っているようだ。 無性にのどが渇く。脱水症状になることが怖い。 計画では、ダイレクト尾根を登って鹿島槍に立つつもりだった。 しかし、見るからに雪が少ない。<★左が鎌尾根、右がダイレクト尾根> あっさりと鎌尾根に計画変更。 ひたすらに高度を上げていく。軽量化したつもりではあるが、4泊+α分の荷は重い。 持参した水筒の水では全く足らないので、少しずつ雪を足して、水分補給をする。 先行パーティが一つあった。 ガイド二人と、外国人女性“トレーシー”の三人パーティ。 できれば、そのまま先行してトレースをつけて行ってもらいたかったのだが、トレーシーがずいぶん苦労しており、ペースが上がらないので、一気に追い抜く。 しかし、尾根上はそこかしこにシュルントが開いており、油断がならない。口が開いていればまだましだが、雪が覆いかぶさっている場合が厄介だ。底の見えないほどの深さのものも多いので、用心のためロープをつける。<★尾根上はシュルントが多い> 気をつけていかなくちゃな、と思った矢先、木下が落ちた。私が静かに乗ったスノーブリッジは、木下の重さに耐えられなかったようだ。 一瞬で姿が消え、4-5mほど落ちて止まった。 肝を冷やすが、声をかけると無事なようで一安心。自力で這い上がってきた。 気を取り直して、再び登りだす。 頂上稜線は、すぐそこに見えているのに、なかなか近づいては来ない。 最後の雪庇は、トレースが付いていたので、楽に登れるかと思った。 ところが、雪が腐っており、ずぶずぶ埋もれて一向に登れない。 空身になって強引に乗越す。ザックはあとからロープで引き上げた。 そんなことをしている間に、トレーシーパーティに追いつかれてしまった。 頂上稜線は、もう雪がなく、夏山のような岩稜帯となっていた。 暑くてバテ気味で、やたらに時間がかかるが、13時25分南峰到着。 登頂の感慨もそこそこに、牛首尾根の下降に入る。 連休前半のものと思われるトレースがあるが、前々日に雨が降っているので、うっすらとしか残っていない。ところどころハイマツのヤブになりながら、長大な尾根を下る。<★ひたすら長大な牛首尾根> ちょっとした登り返しがやけにつらく感じる。 十字峡への下降点は2061m地点。目印も何もなさそうなので、時計の高度計を見ながらひたすら下る。 16時、下降点らしきところに到着。赤布も何もない。 ここで泊まってしまいたいという誘惑に駆られるが、ともかく尾根の様子が分かるところまで下ろう、と言うことで、1925mあたりまで行く。 16時30分行動終了。 水を作って眠りに付く。 初日なのにこんなにも疲労していて良いのだろうか? 明日以降の行動にも不安が一杯。 野村さんと合流できなかったら。(食糧、燃料は……?) 十字峡が渡れなかったら。(同ルートの登り返し……?) 5月3日(牛首尾根〜十字峡〜剱沢大滝偵察(撤退)) 今日も朝から天気が良い。歩き出して間もなくヤブに突入する。<★ほとんどヤブ> 嫌になるほど濃いヤブを覚悟していたのだが、意外にそれほどでもない。 地図を見ていないと間違えそうな尾根があるので、そこに注意して進む。 対岸に剱沢大滝F1(I滝)が見えてきた。 遠目で見てもその水量の凄まじさが感じられるほどだ。恐ろしい。 この時季、十字峡を渡るのは、通常スノーブリッジを利用することになる。普通に雪が残っていれば、特に苦もなく渡れるはずである。 しかし、今年は例年になく雪が少ない。 少しずつ高度が下がり、黒部川の様子が見えてくるごとに、スノーブリッジを期待することはできないのではないか、と思えてきた。見える限りにおいて、ほとんど雪がないのだ。 そうなると、渡渉しかないのだが、この時季の水量では、それも難しい。一歩間違えれば、確実に流される。 不安は高まるばかりだが、ともかく降りてみるしかない。駄目なら駄目で、潔くあきらめて登り返そう、と思っていた。 1100mを過ぎたあたりに懸垂下降用の残置シュリンゲを発見。 ふと下を見ると、黒部川をまたぐように黄色いロープらしいものが張ってあるのが見えた。 これこそが、一筋の希望、FIXされた三重トラロープだった。 希望が繋がったといううれしさで、二回の懸垂で一気に降りる。 トラロープはほぼ新品のように新しい。これなら安心してぶら下がれそうだ。 さあ、チロリアンブリッジだ。と思うが、なにぶん初めてなので、手順が良く分からない。シュリンゲでチェストハーネスを作り、胸と腰を連結。デージーチェーンでぶら下がって、あとは腕の力で進んでいくらしい。 まずは、木下が(バックアップ+荷物用)ロープをつけて空身で先行する。<★チロリアンブリッジ1><★チロリアンブリッジ2> すいすい進んで意外に楽しそう。距離は35mくらい。その後、ザック二個を二回に分けて搬送。いよいよ私の番となる。 出だしが怖い。一気に空中に投げ出されるような感じがする。 足元を見ると激流が渦巻いている。 でも、これで大丈夫だと思うと少し余裕が出てきた。安心すると、これは気持ちが良い状況であると気づく。 何かの拍子でロープが切れたら、きっと命はないだろうが。 対岸に渡る最後の部分が、上り坂になっていて、腕の力だけでの雲梯状態。 滑りそうに見えるトラロープだが、意外に摩擦が利いて、カラビナがずれ落ちることがないので、大分楽だ。 対岸に渡り、一休みの後、ロープをつけて、登山道まで上がる。 あとは、野村さんの到着を待つだけだ。 十字峡付近は凄まじい水流。剱沢、棒小屋沢、本流が一箇所でぶつかり合っている。 初めての黒部に、畏怖の念を感じてしまう。 聞くと、この水量はこの時期にしてはとても多いらしい。 見ているだけで、吸い込まれそうな勢いを感じる。 13時20分、野村さん無事到着。 ダムからここまでの道のりは、相当悪かったようだ。シュルントに潜り込んだり、側壁をクライムダウンしたり。命からがら到着した、という雰囲気。ダムがエスケープルートとして使えるかもしれない、という可能性がこの時点で消えた。 早速剱沢平へ移動。 別山北尾根には、赤布が付いており、はっきりした踏み跡もある。 途中から支尾根にトラバースすると言う話だったが、トラバース開始点がよく分からない。分からないので、適当な場所からトラバースする。懸垂点も不明なため、適当に懸垂して、雪渓に降り立った。<★雪渓に降りて剱沢平へ> (翌日分かったのだが、剱沢への下降は、トラバースしないで、そのまま踏み跡をたどっていけばよかったらしい。支尾根のところにシュリンゲがあって、はっきりした踏み跡が付いていた。それを下っていくと、残置シュリンゲのある懸垂点に到達できる。) 雪渓上にテントサイトを決め、大滝の偵察に向かう。ダムからの道のりでお疲れ気味の野村さんはテントキーパーになってもらい、木下、神谷の二人で行く。暗くなるまでに“焚き火テラス”まで見に行って、FIXが張れればいいか、と考えていた。 大滝は、近づくほどにその迫力を増してくる。 水道管が破裂したような、と言う表現ではとても追いつかない、まさに爆裂的な水流だ。ちょっとでも触れようなら一瞬で吹き飛ばされてしまいそうな勢いがある。 水流が、落ち口から下に流れていくのが、普通の滝。 勢いがあると、水平方向に水流が飛ぶこともあるだろう。 しかし、この滝は、上方に向かって水が噴出しているのだ。 重力によって下に落ちたい水流が、弾き飛ばされて上方に跳ね上がっている。 呆然とただ口をあけて立ちすくんでしまう。恐るべきパワーだ。<★剱沢大滝I滝(この右壁を登る)> 取付き付近はシュルントがありそうなので、ロープをつけていく。 が、行き詰る。 雪渓が切れている。 左右を岩壁に挟まれた地形。 そこを一直線にシュルントが走っている。 一番狭いところでも、幅約4mほど。底は見えないが、深さが10mくらいはあるだろうか。 映画「バーチカル・リミット」のように思い切って、ジャンプすれば届くかもしれない。しかし、それでは行ったきり戻ってこられない片道切符になってしまう。 底に近づくほど幅は狭まっているので、ロープをつけていったん降りれば……、とも考えたのだが、向かい側はかぶり気味になっており、登り返すことができない。(左断面図参照)<★これ以上滝に近づけない> 左右の岩壁を登るには、新たなルート工作が必要なように見える。 となると……。 無理だ。撤退しかありえない。 まさか、取付きまでも到達できずに、引き返すことになるとは。 悔しいという思いと、正直ほっとした思いもある。 張り詰めていた緊張感が緩むのを感じる。 取付けないものは仕方がないよな、と自分を納得させて、大滝をあとにする。 そうなると、明日は別山北尾根を登るしかない。 そうと決まれば、この場所にいる必要性はない。 一度立てたテントを撤収して、懸垂で降り立った場所まで移動して、張りなおす。 まだ時間があったので、懸垂した場所にFIXロープを50m2ピッチ分張っておく。 野村さんが持ってきてくれたビールで、これからの山行の成功を祈りつつ、就寝。 天気予報では、明日の夜に崩れ、明後日の朝まで雨ということだった。明日の日中は大丈夫だろう、と考えていたのだが。 5月4日(幕営地〜別山北尾根〜別山本峰〜真砂沢) 明け方から雨。 なぜ?早すぎる!と思うが、降っているものは仕方がない。 幸い降りはまだそれほど強くはないので、予定通り出発することにする。 FIXをたどって、別山北尾根の踏み跡に合流。このまま踏み跡が続いてくれればよかったのだが、わずか15分後、「水量計小屋」で終わっていた。 小屋の裏手からヤブの始まり。 空は明るくなりつつあり、雨も止みそうな感じもしたのだが、結局断続的に降り続けた。 ヤブは結構きつい。ザックがいちいち引っ掛かって鬱陶しい。 しかし、その苦しさが、かつてヤブ山ばかりを登っていた学生のころのことを思い出させる。だんだん、ヤブ屋魂が燃えてきた。 負けるもんかー!と無駄に熱くなって、ガンガン飛ばす。 ヤブは1970m付近まで続いていた。そこからは雪がある。ずいぶん長い時間ヤブ漕ぎをしていたような感じがしたが、実際には、1時間半ほどのことであった。 雨はだんだん強くなってきた。 本来なら竹ペグ懸垂するところに到着するが、雪が少なく、灌木と残置シュリンゲがあるので、そのまま懸垂下降。岩のギャップをコルまで降りる。 その先、尾根が細いところでロープを出す。<★尾根のようで実はこれがスノーブリッジ> 2ピッチ分進めて、さらに懸垂。 ロープを使ったのは、この二箇所だけだった。 木下は調子が悪そうで、ペースが上がっていない。 どこでテントを張るかを考えるが、中途半端なところで張っても仕方がない。いっそのこと真砂沢まで行こう、ということになった。(実際、このとき途中で止まっていたら、大変なことになっていたかもしれない) 雨の中、重い足を一歩一歩上げていく。<★雨の中の別山北尾根> 北峰を越え、主峰を過ぎる。 ハシゴ谷乗越への下降点には、赤布があった。 ハシゴ谷乗越の場所を間違えて、通過してしまう。 剱沢に下りてからがまた長かった。 真砂沢は、果てしなく遠かった。 ようやく着いた。 真砂沢には10張りほどのテントがあった。 さあ、我々もテントを張って、火をつけて、暖かいものを食べて、濡れたものを乾かそう! と思った。 が。 いきなり、テントポールが折れる。 降りしきる雨の中、修理する。 テントに入るが、ライターが点かない。 あまりの湿気にライターの石が湿ってしまったようだ。 三人の手持ちのライター、予備を含めて5-6個あったのだが、すべて使用不能。 完全に非常事態。 このまま火が点かなかったら、全身ずぶ濡れの我々はどうなるのだろうか。 無性に身体が震えてきた。 どうするどうする。 隣のテントに助けを求めることにする。 と、たまたま声をかけたテントが、YCCの倉田さんと秀峰登高会のパーティ。 なんと言う奇跡か! 早速ライターを借りて、火を点ける。 が、こちらのテントに持って来た途端、火が点かない。 やはり、テント内の湿度が相当高くなっているようだ。 最後の手段として、隣のテントでコンロに火をつけてから、雨の中コンロを持ってくることにした。 ようやく、テントの中に火が点いた。 ほっと一息。 ……とはならなかった。 手持ちのコンロ二台に火を点けると、フライのない湿ったテントでは、あっという間に酸欠状態になってしまった。気がつくとコンロの火が消えていた。 少しくらいテントの入り口を開けただけでは、全く解決にならない。 入り口全開。網戸のみにして、とにかく火を点け続ける。 外の雨は轟々と降り続け、一向に収まる気配を見せない。 一息ついたところで、夕食を作り始める。 そうこうしているうちに、なぜかテント内に水が溜まり始めた。 テントに穴が開いているわけでもなく、原因不明だが、どうしようもない。スポンジ、靴下、コッヘル、などを使って、水を外に汲み出す。 22時過ぎくらいになり、だいぶ気持ちに余裕が出てきた。濡れたものも大体乾いたし、あとは、シュラフに入って休もう、ということになった。 外の雨は相変わらずだが、シュラフに入って横になってしまえば、何とかなるだろう、と思っていた。 しかし、試練は終わらない。そこから地獄の始まりだった。 深夜になり、ますます風が強くなり、風上に寝ている私の身体に、テント生地一枚を通して、風雨は容赦なく打ちつける。 最初は、「鬱陶しい風だな」くらいに感じていたのだが、なんだかやたらに寒いことに気づいた。 寒いと言うより冷たい。 嫌な予感がして、シュラフの中をそっと手で触れてみると……。 ぴちゃぴちゃ音がする。 水が溜まっている。 サ・イ・ア・ク せっかく乾いた衣服はすっかり濡れてしまった。 それどころではなく、水の中で横になっているようなものだ。 震えがとまらない。 とてもじゃないが、寝ている場合じゃない。 起き上がり、ひざを立てて座る。 まだ、朝は遠い。ただ、ひたすら耐え抜くだけの夜が始まった。 5月5日(真砂沢〜源次郎尾根I 峰手前) 明るくなっても、雨は止みそうもない。 風はひたすら強く吹き付ける。 座っているお尻の部分が冷たい。 一応シュラフに身をくるんでいるが、濡れているので、まるで意味がない。 今後の行動を考える。 指針としては、 晴れたら、源次郎尾根から一気に本峰を越え、早月小屋へ向かう。 雨が続くようなら、剱山荘に逃げ込む。 ということを考えた。 八ツ峰は、見るからに雪がなく、岩とヤブではどうにもならないので、断念。 (進むのであれば)どちらかと言えば、雪がある源次郎尾根のほうが良いだろうと思った。 どちらにしろ、このままここに留まることはできない。シュラフを始め装備がほぼ濡れている状態で、テントでもう一泊するのは、あまりにも耐えられない。 たとえ雨中の行動になったとしても、剱山荘までは移動し、物を乾かし、翌日一気に源次郎から早月尾根を下って下山、と言うほうが現実的だろう、と思った。 しばらく様子を見ていると、まだ雨は降っているが、他パーティが少しずつ動き出した。 このまま下山するもの、様子見だけでも、と八ツ峰に向かうもの、と様々だ。 8時になり、雨も弱まり、陽も差してきた。 動き出すなら、今しかない。 この先、天気は回復に向かいそうで、明日は快晴になるらしい。 目的地は決まった。 源次郎尾根から早月小屋だ! 水を吸って重くなった装備をザックに詰め込む。 シュラフもロープもザックそのものも重量が増えている。 雨上がりの空の下、取付きに向かって歩き出すが、ペースが全く上がらない。 とにかくザックが重すぎる。 寝ていない身体も重すぎる。 一時間もかけて、ようやく取付きに到着。<★源次郎に向かう(右は前日にできたと思われる巨大デブリ)> これでは、この先が思いやられる。 果たして早月小屋までたどり着けるものなのか。 急な雪壁を登りだす。 雨のせいで、トレースが消えていて、きつい。 と、後続二人組がやってきた。アタック装備で軽そうだったので、先に行ってもらう。トレースがついて、だいぶ楽になったものの、身体の重さは変わらない。シュルントを挟む悪いトラバースで、ロープを1ピッチ。 I峰手前は、大きくトラバースして、ルンゼを登る。これがまたきつい登り。<★ここをトラバースして、ルンゼ直上> 2380mのコルに着いたときは、へとへとだった。 で、ここでテントを張ることにした。完全に雨は上がり、陽が照りつけている。 今から物を干せば、陽が陰る前に乾くだろう。そうしたら、今日は眠れる。 明日は一気に剱岳本峰を越えて、下山できる。 時間的には、早すぎるのは承知の上で、整地を始める。 暖かい陽射しの下で、うららかな午後を楽しむ。 昨日の夜がうそのような暖かさ。 昨日は、きつかったけど、真砂沢まで降りて来てよかった。 人のいないところでテントを張って、火が点かなかったら、どうなっていただろうか。恐ろしいことだ。 夕方になり、雲が増えてきた。シュラフは完全とはいえないまでも乾いている。 最後の夜。 これまでの三日間、長かったようだが、あっという間に感じられる。 5月6日(幕営地〜剱岳本峰〜早月尾根〜馬場島) 快晴の朝。 昨日の先行パーティのトレースがあるので、ありがたく使わせてもらい、どんどん高度を稼ぐ。<★朝一番、幕営地のコルを望む> I峰までに岩場が二箇所。どちらもロープなしで登る。 上の岩場はちょっと緊張した。ロープを出したほうが良かったか。 I峰の下りは、緊張しながらもクライムダウンで。<★I峰の下り> II峰の下りでは、懸垂下降。50mダブルロープで下まで。(シングルなら、途中の支点が使える) 雪のない八ツ峰を見ながら、初めての剱岳に一歩一歩近づいていく。<★少しずつ剱岳が近づく><★頂上直下最後の登り> 振り返ると、初日に登った鹿島槍が遠くに見える。 わずか三日前のことなのに、ずいぶん昔のことのように思えた。 早月尾根は長かった。 下っても下っても平坦にならない。 下っても下っても。<★早月尾根の上部><★早月小屋から上部を> そして、馬場島に到着。 久々に見る下界の空気。 無事、帰って来られた事を素直に喜びたい。 1790mアップ(大谷原1100m〜鹿島槍2889m) 1940mダウン(鹿島槍2889m〜十字峡950m) さらに1400mアップ(十字峡950m〜黒部別山2353m) 600mダウン(黒部別山2353m〜真砂沢1750m) そして1250mアップ(真砂沢1750m〜剱岳2998m) 2240mダウン(剱岳2998m〜馬場島760m) 単なる縦走とは違う黒部横断。 結果として、技術的に難しい部分があったわけではない。 計画とは全く異なるコースとなった。 しかし、心には大きなものが残っている。 雪稜があった。ヤブがあった。チロリアンブリッジがあった。雨中行動があった。 様々な要素を含んだ四泊五日間。 楽しい、と言うことよりも苦しいことのようが多かったように思う。 しかし、いやだからこそ、心に充実感が残り、身体に心地よい疲労感が溜まっているのだろう。 自分は、まだここまで動けるのか、と少し驚いた。 とくに、四日の行動は、よくもまあここまで体力(と意思)が持ったものだと思う。 黒部横断。 人里離れた黒部川に入り、それをさらに横切って越えていく。 そのルートは様々で、自分たちの力量に合わせてチョイスすることができる。 山深い地に入り込み、周りには自分たちしかいないという状況は、素晴らしいものだ。 黒部にこだわる人たちの思いが、少しは分かったかな、と言う気がする。 少なくとも、また行ってみたい、とは思えるようになったのは確かだ。 しかし、これは、喜んでよいことなのだろうか。 参考資料(ダイレクト尾根、剱沢大滝、八ツ峰) ・ 岩と雪168号「剱沢幻視行」(剱沢大滝)141,142号「八ツ峰研究(上・下)」(八ツ峰) ・ 志水哲也「大いなる山大いなる谷」「黒部へ」(剱沢大滝) ・ 日本山岳会青年部「きりぎりす」5号(剱沢大滝) ・ 岳人500号「積雪期黒部川横断研究」、560,561号「黒部別山トサカ尾根〜八ツ峰菱ノ稜」、597号「雪黒部・冬剱」、630号「冬剱・雪黒部」、635号(ダイレクト尾根) |
5月2日(木) 快晴
23:50 新宿発急行アルプス
5:00 信濃大町着
5:45 タクシー乗車
6:20 大谷原着
7:15 赤岩尾根との分岐(15℃)
12:35 鎌尾根終了点
13:25 鹿島槍ヶ岳南峰(11℃)
14:45 牛首山
16:00 2061m地点(下降点)
16:30 テント設営(1950m)
5月3日(金) 快晴
3:00 起床
4:55 出発
6:50 1476m地点
10:15-10:55十字峡横断(チロリアンブリッジ)
10:55-11:45 Rest(21℃)
12:15 吊橋
13:20 野村さんと合流
13:55 吊橋出発
15:15 剱沢平(テント設営・17℃)
15:50 剱沢大滝(撤退)
16:00 剱沢平(テント撤収)
17:30 テント設営(北尾根の登り返し地点)
5月4日(土) 雨
3:00 起床
4:55 出発
5:50 別山北尾根と合流
6:05 水量計小屋
7:30 1470m台地(ここまでヤブ)
11:20 1985m地点(11℃)
12:10 懸垂下降地点
14:15 北峰
14:50 主峰(16℃)
15:05 ハシゴ谷乗越への下降点(赤布あり)
16:25 剱沢合流
17:05 テント設営(真砂沢)
5月5日(日) 雨のち晴れ午後曇り
6:00 起床
8:30 出発
9:45 源次郎尾根取付き(14℃)
11:55 テント設営(I峰手前2380mコル)
5月6日(月) 快晴
2:30 起床
4:45 出発
5:40 I峰
8:15-8:40 剱岳本峰(15℃)
10:30 早月小屋
13:25 馬場島(22℃)
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