「墜落は焦げ付いた鉄の匂い。流れる血はしょっぱい鉄の味。」
春合宿(涸沢BC:北穂東稜、北穂ドーム北壁(1ピッチ分))

2001年5月3日(木)〜6日(日)
メンバー:大西、村野、中村、武藤、大竹、神谷(記)



<ここから先、チムニー出口までピンがないのです>
5月3日(木)
北鎌尾根を終え、槍ヶ岳山荘で幕営。一晩中降り続いた雪は、朝になっても止む気配はない。条件がよければ、大キレットを越えたいと考えていたが、全く不可能だ。そそくさとテント撤収。下降に入る。
うんざりするような下り。シリセードで一気に、と思うが、降ったばかりの雪はやわらかく全く滑らない。ふらふらになりながら、横尾へ。
三堀と別れ、同流春合宿に合流するべく涸沢へ入る。

5月4日(金) 北穂東稜:大西、中村、大竹、神谷
 春合宿メンバーと無事合流し、早速今日は、北穂東稜へ向かう。前日降った雪により、トレースはない。涸沢〜北穂へのルートの途中の顕著な大岩で一般ルートを外れる。2660m付近のコルまでは、結構シビアな急登&トラバース尾根への取り付きは結構急登。アイゼンをしっかり効かせて登る。滑ったら涸沢まで逆戻り。
 尾根上は快適な雪稜稜線上は素晴らしき世界。視界、展望は良好。トレースがなくラッセルになるが、それがまたとても気持ち良い我々の前にトレースはなく、我々の後にトレースが出来る。ルンルン気分で進む。
 東稜の下部から取り付くパーティはないようだが、ゴジラの背末端からは多くのパーティが登ってきた。そして順番待ち。どうもロープを使うような場所があるようだが、前の状況が分からないので、ひたすら待つしかない。30分待ち、1時間待つが一向に進まない。だんだん眠くなってくるが、この場所だって怖いところだ。気を抜くことはできない。先行パーティは何をしているのだろうか。ロープ操作が下手なのか、リーダーが未熟なのか。結局、約2時間全く動けなかったゴジラの背ではロープを出してトラバース
 岩場は3ピッチ。最初は雪のトラバース。次は岩場。最後もトラバース。2ピッチ目3ピッチ目はスタンディングアックスビレイだった。
 後はひたすら登るだけ北穂への最後のアップ。すでに階段状になった急登を一歩一歩進んで北穂の頂上へ。
 天気に恵まれ、快適な雪稜だった。

5月5日(土) 北穂ドーム北壁:大西、武藤、神谷
 今日は、北穂ドーム北壁。左右、中央カンテの3本のうち、2本は登れるかと思っていた。昨日下りた道をまた登り返し、一旦北穂頂上へ。
 取り付きまで懸垂で下りるが、松涛岩と間違えていたことに気づき、プルージックで登り返す。

 あらためて、懸垂2ピッチで、ドーム北壁基部に到着。
 右ルートを大西さんリードでスタート。
 最初はフリーで順調に進む。が、やはりアイゼンでの登攀は厳しいのか、途中からあぶみを取り出す。ある程度残置ピンもあるので、厳しそうではあるが、チムニー下までは何とか到着。いよいよ核心かと思う。
 3本目までは、人工でどうにか進む。そこでストップ。
 下から見ているだけだと、何をやっているのか分からない。全く動かなくなってしまった。ピンが遠いのか?あぶみ最上段に乗っても、そこからフリーで何ムーブかあるようだ。そのうち、ハーケンを打ち始めた。それを利用して一手分は進むが、そこまで。また動きが止まる最初のチムニー
 北穂の頂上にギャラリーがたくさんいる。鈴なりになってこっちを眺めているが、全く動かない我々をどう思っているのだろうか。
 そのまま2時間が経ち、大西さんもいいかげん諦めたようで、下降に入った。ようやく出番か、とほっとしたところで、ロープに衝撃。下降中に、さっき打ったハーケンが抜けてしまったようだ。
 さて、交代である。待ちくたびれて、すっかり身体が硬くなってしまった。ともかく下から見ているだけではさっぱり分からない。フラットソールなら、バックアンドフットで軽く登れるんだろうなあ、とは思えるが、果たしてアイゼンでどこまでいけるのか。一抹の不安はあるが、自分の力を試したくなり、早速取り付く。
 最終ボルトまでは、トップロープ状態で。そして、そこからが問題だった。
 大西さんが動かなかった(動けなかった)のも分かる。「ここに足をかけて登るんだろうなあ」というのは判断できるのだが、思ったようには動けない。次のハーケンは、チムニーの出口までない。あと、3.5mくらいか。手は全く届かない。チムニーの奥に足場があるが、そこに身体を入れると身動きが取れなくなる。
 気温は高かったので、手袋をはずして、素手でホールドを探す。チムニーの外にカッチリしたものが見つかった。「これだ!」と一手進むが、そこまで。フレンズでもあればいいのに、とないものねだりをしても始まらない。ともかく進めないのは精神的なものが大きい。支点がないから、墜ちたら距離が大きい。それが怖いのだ。
 一歩踏み出さなくては、と思うがなかなか進めない。だんだん呼吸が早まってくる。深呼吸を繰り返す。深呼吸を繰り返す。目を閉じて心を落ち着かせる。登れる登れる登れる、と自分に言い聞かす。頭でイメージを作る。一手二手三手、次のハーケンは見えているから、そこまで行けば何とかなる。ともかくあと三手か四手。それに集中しよう。掌を握る掌を離す。まだ力は残っている。大丈夫大丈夫登れる登れる登れる。目を開いて、もう一度深呼吸。登れる
 チムニー内部のクラックにバイルをねじ込んでみる。何とか決まって、身体を支えられそうだ。ぐっと身体をひきつける。左手でバイルを持ったまま右手でチムニー外部のホールドをつかむ。このホールドはしっかりしている。身体を右側へ引き寄せ、左手のバイルをはずす。足元の岩にアイゼンを引っ掛けるが、こっちはあまり信用できない。軽く足を乗せるだけ。ここからバイルを伸ばせば、ハーケンに引っ掛けられるか、と思ったが、まだ届かない。チムニー出口に雪が詰まっているので、それをバイルで掻き落とす。雪を落として、見えてきた岩にバイルをねじ込む。何度か試して、固定できそうな角度を探す。何とかなりそうだ。ここで足をあげて、右手を一手動かせば、あのハーケンに届くところまで行けそうだ。よし、あと一手だ。もうちょっとだ。気合を入れなおし、左手のバイルに体重を移動させる。と、ガクンというショックとともに、左手のバイルが外れた。同時に両足のアイゼンも外れた。右手だけでぶら下がっている状態。態勢の立て直しをはかるが、焦ってしまって、アイゼンがなかなか決まらない。だんだん腕の力が無くなって来る。ここで墜ちたら、と下をチェックする。最終支点は足元から50cmくらい下。何メートルくらい墜ちるか計算してみる。しかし、答えが出るのを待っていられない。腕の力はほぼ限界だ。
 「墜ちるよー!」とビレイしている武藤さんに叫ぶ。
 思い切って腕を放す。一瞬の浮遊感。そして全身が岩にぶつかる衝撃。目の前を流れる岩肌。アイゼンが岩にこすれて、鉄の焦げる匂いがする。嫌な匂いだ。
 止まった。が、体中が痛い。なんだかよく分からない。呆然となってしまい、しばらく動けない。鉄の匂いが鼻に焼き付いている。少しずつ身体を動かしてみる。怪我はないようだが、指から血が出ている。嘗めると鉄の味がした。嫌な味だ。

ちぇ、また課題が増えてしまった。

5月5日(土)
下山。



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