ヤブこぎのススメ
同流山岳会会報
2001年7月
苦しくて、つらくて、敬遠されるヤブこぎだけど、そこには登山の本質がある。あなたの知らない、もう一つの山の姿をご紹介します。
(ここでは、私が学生のときに行っていた活動を中心に話をしています。) (1)ヤブこぎとは何か。 いわゆる「登山道」と言われる明瞭な踏み跡を通らずに、潅木や笹などのヤブをこいで山を歩くこと。原則として尾根歩きであり、岩や沢は含まない。一般には、廃道、作業道、けもの道を行く。全く踏み跡のない山に行くこともあるが、我々にとっては稀であった。 当然地図、コンパスは必携で、いかに現在地確認が出来るかが問われる。道に迷って当たり前。リーダーすら現在地を見失うことも。基本的に水場がどこにあるのか分からないので、水は必要泊数分持って歩く。重くて大きいザックはヤブに引っかかりやすい。そんな状態でひたすら目の前に現れるヤブをこぐ。雨具、装備をボロボロにしつつ、目指すのは、遥か遠くの「ヤブ抜け」。 人がほとんど入らない山なので、アクシデントが起こっても、自分たちだけで対処する能力が必要。求められるレベルは意外に高い。また、笹を踏み倒し、潅木を蹴り付けて進むので、自然に対して優しい登山とは言いがたい。その認識は、強く持つべきである(草木も生えぬ登山道を作り出す一般縦走と、どちらがローインパクトであるかはまた別の問題)。 (2)何故ヤブをこぐか。 イ)一番原始的な登山 決められた道をただ進むのではなく、自分たちで進むべき道を選択できる。尾根の右を行くのか左を行くのか、それだけで歩きやすさが全く違う。いかにルートを探し出すか、そこにパーティの能力が試される。トップがルートを探し出す。リーダーが進むべき方向を示し、トップに続きパーティが動く。パーティのメンバーそれぞれが自分の役割を果たし、そのことによってヤブを突破できるという「パーティ登山」の真髄。また、周りには、自分たちのパーティしかいない。鳥の鳴声、獣の糞。突如現れる高層湿原。一番身近に山を感じられる手段。それがヤブこぎだと思う。 ロ)技術的な問題 学生ワンゲルにとって、クライミングは手の出しにくいものである。道具、技術、危険度、どれを取っても、気軽に始められるものではない。でも、一般縦走は嫌だ。誰でも登れる百名山には行きたくない。他の人とは違うことがしたい。 ヤブには特殊な技術は要らない。体力と精神力さえあれば何とかなる。しかも、必要に迫られるので、山での基本的な技術(読図、ルートファインディングなど)が自然と身につく。山を始めた人間が、十分に満足を得られるものである。 ハ)被虐的な喜び 有り余る体力をヤブにぶつける。日頃の充たされぬ思いを非日常の中に発散する。力を振り絞ってヤブをこぎ、いかに歩きやすいルートを探し出すかに奔走する。密集した笹で足が地面に着かない空中遊泳。不安定なテン場では、テントは朝起きると斜面の下に転がっている。水場のない山歩き。喉の渇きはヤブ軍手を絞った泥水で潤す。紛失する装備。剥き出しの人間関係。 この限界ギリギリの山行の魅力は体験してみないと分からない。 (3)ヤブの種類。 細貝栄氏がヤブのグレードを設定している(『限りなき山行』より)。 T級:自然に出来た踏み跡で歩きやすい。 U級:両手を使い始める。 V級:本格的なヤブ。 W級:非常にきつく、ヤブをこぐ気力を失うようなところ。 X級:自分が過去に体験した中で最もひどい部類のヤブで、その中に入ると身動きできなくなるようなところ。 Y級:自分がいまだかつて体験したこともないような猛烈なヤブ。 個人的には、ヤブのグレードは濃さだけで決まるものではないと思っている。ヤブには二種類あって、木々が密集してひたすらに体力を削り取られる「体力ヤブ」と、植生は薄いが尾根が広く迷いやすい「ルートファインディング(RF)ヤブ」。 一般には、「体力ヤブ」をいかに攻略するかに重点が置かれているが、「RFヤブ」も侮りがたく、正確な現在地確認と判断能力が試され、困難度は高い。したがって、ヤブのグレードとしては、縦軸に「体力度」横軸に「RF度」を取った、マトリックスで示されるものと考える。 一般に、体力度の低いヤブは「スカヤブ」。体力度の高いヤブを「激ヤブ」と称される。 「スカヤブ」はさして困難ではなく、ハイカーは来ないが、登山者がたまに訪れることはあるような山。「静かな山」を求める中高年には人気。 「激ヤブ」は体力勝負。ルートを探すために、トップが散開することも困難になってくると、ただひたすら手と足を動かして突き進むことだけが要求される。 「RF度」の高いヤブは、頭脳戦。現在地の把握、トップの誘導、メンバーの能力が試される。迷っては戻って、を繰り返すので、精神的に疲れるヤブである。 (4)ヤブに行くために〜装備と技術 イ)必要な装備 二万五千分の一地形図、コンパス、呼び子(笛)、軍手、赤テープ(赤布)など。ザイルを使うことはなく、岩にぶつかったら、巻くか、諦めるか、無理に登るしかなかった。 軍手は必須。暑くても長袖シャツを締め、肌を出さないのが原則。赤テープは、迷いそうな尾根を行くときは、ある程度の間隔で枝に巻きつけながら進む。ルートの間違いに気づいたら、当然テープははずしながら戻ること。 ロ)必要な技術 特殊な技術は不要だが、ヤブを効率的に抜けるためにはパーティの動かし方が重要となってくる。以下に一例を示す。 トップとして三人(上級生)がパーティの五十mほど前を歩き、進みやすいルートを探す。基本的には、尾根上を一人、その左右に一人ずつ。本隊の先頭はサブリーダー。サブリーダーは、三人のトップのうち、誰のところが一番進みやすいかを判断し、パーティを引っ張る。一番後ろにはリーダーが歩き、パーティの進路を最終的に決定する。歩きやすさのみを求めると、いつのまにか目的としている尾根を外れることがある。そうならないよう、大局的な視点で的確な指示を出すことが必要である。 特に迷いやすいのが、広い尾根の下り。下りはスピードが出やすい。また広い尾根は、現在地を確認する指標がなく、調子に乗って下っていると、違う尾根に迷い込む。 (5)補足 ここまで述べてきたのは、あくまでも私が体験したヤブこぎに限っている。本来のヤブこぎとは、地図を見て尾根を捜し、登山道ではないことを確かめ、とにかく行ってみる、というものだ思う。途中には予期せぬ障害もあるだろうが、岩が出てきたらザイルとハーケンを使うとか、水場を求めて適当な沢に見当をつけて下ってみるとか、そういった総合的なサバイバル能力を駆使して進んでゆくのが、真のヤブだと思う。 そのためには、あらゆる技術を身につけ、豊富な経験をもつことが必須である。しかし、大学という限られた四年間でリーダーとなり、全くの山の素人を連れて行くには、そういったヤブでは危険すぎる。だから、我々がやっていたヤブは、安全が確保された中での"プチヤブ"だった、と言えるかもしれない。 かつてどこかのワンゲルが入ったことがあるとか、林業のための作業道があるとか、そういうことがわかっている(情報が集まる)ヤブにしか行かなかった(行けなかった)。だからたいていのヤブでは、「踏み跡やテープを探す」というルートの進み方をしていた。その意味では、私は真のヤブを体験したことがないと言ってもよいだろう。 もちろん、だからといって、我々がやってきたものの価値が落ちるわけではない。ヤブに入ってしまえば、全力を尽くし、満足感を得てきたものだ。 しかし、もっと(岩や沢や山の)経験を積み、いつか「真のヤブ」をやってみたいと思っている。「ここだ!」と決めた尾根に取り付き、自分たちパーティの力だけですべてクリアーしてヤブ抜けを迎える。きっとそれは素晴らしく感動的なものになるだろう。それは、岩登りで言う「ルート開拓」のようなものなのだから。 (6)参考文献(または、ヤブこぎリンク) 「岳人」625号「深き濃き不条理の喜び〜飯豊・朝日連峰における学生ヤブコギスト達の軌跡」 「岳人」643号「二十世紀登山列伝〜ヤブコギ 細貝栄」 「藪山入門」 九州の祖母・傾山付近のヤブ。レベルはかなり高い。 「藪山考」 ヤブに対する愛が伝わってくる文章。「藪山に入る上での心構え」は役立つ。 「越後藪山情報ネットワーク」 新潟周辺の知られざるヤブ山に関する情報交換のためのメーリングリスト。 すごすぎてついて行けないけれど、とても面白そうだ。 「山登りの部屋」 越後のヤブ山山行記録が大量にある。資料価値高し。 「KWVホームページ」 慶應大学ワンダーフォーゲル部。ヤブ合宿の記録がある。 「鹿大応用地質学講座ホームページ」 「登山の基礎知識」にヤブこぎの項がある。一般向けに分かりやすくまとまった文章。 「藪漕ぎってどうよ?(2ちゃんねる)」 悪名高き匿名掲示板2ちゃんねるだが、このスレッドは珍しくまとも。 最近、あまり書き込みはないが、なかなか面白い。 ※ 「岳人」629号クロニクル「南会津・坪入山〜窓明山藪縦走」 99年8月22日〜26日に、私が大学ワンゲルOBと南会津のヤブをこいだ記録が出ています。 |