山小説の棚(その3)

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「神々の山嶺」 (上)→【bk1】(下)→【bk1】
夢枕獏 集英社文庫 1997年(文庫2000年)

 深町は、ネパールのカトマンドゥで一台のカメラを手に入れた。それは、エヴェレストの歴史を変えるかもしれないカメラだった。そのカメラを追ううちに、深町は、ある男の存在に行き着く。
 羽生丈二。伝説のクライマー。そして、いつしか深町は、羽生の生き様そのものに魅せられるようになっていく。


 この本は、何度読み返しただろうか。人生の節目となることがあるたびに読み返している。この本に出会って、私の山に対する姿勢は変わった。間違いなく、私の中では山岳小説のベスト作品であり、全ての書物の中でも、大きな位置を占める作品である。

 細かいところをつつけば、おかしな部分はいくつもある。アン・ツェリンの家が、パンボチェ(下p78)なのかタンボチェ(下p165)なのか。11月のアタックは、プレ・モンスーンではなくて、ポスト・モンスーンだろうとか(上p27など)
 よく言われるのは、登場人物である羽生丈二、長谷常雄は、それぞれ、実在の森田勝、長谷川恒男の引き写しではないかということ。確かに、エピソードとして、実際のの事件が使われている。しかしそれらはあくまで、羽生、長谷の人間を形作るためのとしての肉付けに使われているものに過ぎない。いくら材料が良くても、料理はコックの腕にかかっているのだ。その料理の仕方が、夢枕は絶妙で素晴らしいということだ。しかも、著者は「あとがき」と「主要参考文献」でこれらの材料を使った、という事を明示している。

 この小説の肝となるのは、そういった細かい部分ではなく、羽生がまっすぐに山を見ており、それを著者が正面から書ききったことにある。そして、その羽生を見つめる深町の眼だ。
 もちろん、私自身が、主人公深町と姿を重ねているのは、間違いはない。

おれがやりたかったのは、ひりひりするような山だ。魂がすりきれるような、登って、下りてきたら、もう、体力も何もかもひとかけらも残らないような、自分の全身全霊をありったけ注ぎ込むような(下p225)

 そう、そういう山を私もやりたいのだ。
 羽生への憧れも同じことだ。あれほどまっすぐな山は、自分にはできそうもない。

あしが動かなければ手であるけ。
てがうごかなければゆびでゆけ。
ゆびがうごかなければ歯で雪をかみながらあるけ。
はもだめになったら、目であるけ。
目でゆけ。
目でゆくんだ。
めでもだめだったら(中略)
思え。
ありったけのこころでおもえ。

想え--。
(下p461)

 ここまで、思いつめることができるだろうか。羽生には、なれないかもしれない。でも、深町は、等身大の姿でそこにいる。
 深町の、山を捨てきれない、迷い、悩み、想い、などは、いつ読んでも、常に自分の心に突き刺さってくる。本当に心に残る物語と言うのは、その刃が、読者にも向かってきて、読む側にも相応の覚悟を必要とさせるものだ。

 読むたびに、胸をかきむしられるような焦燥感に駆られ、このままではいけないと思える。何かしなくてはいけない。一体何を。山。そう、自分には山しかない。

青い空。
しかし、ただの青ではない。
その向こうに、宇宙の黒が透けて見えている。黒いような青。
(下p444)

 そんな空が見たいと思い、高所を目指した。

濃い時間を、自分はもう知ってしまった。
あの、骨が軋むような時間。
ここには、吹雪も、血まで凍りつくような寒さもない。
あの、もう、二度と行きたくない極寒の極限の世界--。
しかし、自分は今、あれを、なつかしがっているらしい。
(下p482)

 山なんて苦しくて、危なくて、寒くて、怖くて……。それは間違いない。でも、それだけではない。言葉にはできない何かがある。

どういういいものも、山の頂上には何も落ちてはいない。
そうならば、生きていることだって同じだ。
どこかに何のために生きているのかという答えが落ちているわけじゃない。
(下343)

 山に行って、何かが得られるわけではない。いつも飢えているのだ。岩壁を登っている瞬間、全てを忘れてひとつのムーブに集中している瞬間は、ただひたすら夢中なのだ。そこには、確かに生きている実感がある。しかし、その瞬間だけを繋げて生きていくことはできない。緊張があり、弛緩があって、人は生きていける。『戦場でさえ、わずかながら休息の時間はある(下p43)のだ。人は山のみでは生きていけない。下界(街)に戻って生活をしなくてはならない。時間の密度は圧倒的に山にいるときのほうが濃いにしても、量を考えれば街での時間を無視することはできない。
 人は常に、迷い、悩んで生きていく。山は答えない。山には答えがない。答えはどこにもない。この本は、それを教えてくれ、明日への勇気を与えてくれる。

圧倒的な、濃い時間。
この場所にはない時間が存在する場所。
その時間が、この肉体にぎっしり詰まっていたことがあった。
(中略)
終わらない。
まだ、何も終わってはいない。
まだ自分は途上なのだ。
(下p504)


※引用は、すべて集英社文庫版から。

(2003年11月26日)



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