過去の序文

[入口] [山記録]

 まずお断りしておかなければなければならないのは、ここに書かれているものは、あくまで私が登った個人的な山の記録であり、ルートガイドではない、ということです。これから登る人のために、アプローチや必要なギア、その他注意すべき点などを書いている場合もありますが、それも私の主観に過ぎません。

 1999年8月から書き始めたこれらの記録も、既に100本を超えました。5年前と今では、文体も表現方法も変わっていますし、何より、書き手である自分自身が、常に変わり続けています。
 変化とは、クライミング技術が上達しているという意味ではありません。技術自体は、停滞したり、ときには後退したりしています。でも、ひとつのルートを登るごとに(たとえそれが途中で降りることになったとしても)、何かが自分の中に残り、ルートを登る前の自分とは変わっているものです。経験が増えた、それだけでも重要な変化です。
 ここに書き留めてあるのは、そのときの自分が何を感じ、どう考え、どう動いたか、ということです。それは、二度と訪れることのない、自分の中の真実です。今読み返せば、大袈裟に感じるような表現であっても、その瞬間、確かに自分はそう感じていたのです。
 そのときのものでしかない自分、それを文章として形に残しておく、これこそが、この記録の目的です。

 繰り返しますが、これらはルートガイドではありません。個人的なクライミングの記録です。それをふまえて、これらの記録を、一種の読み物として楽しんでいただければ幸いです。(2005年2月22日)


ここにあるのは、ルートガイドではなく、あくまで個人的な山の記録です。
そのため、記録の記述は、どうしても主観的にならざるを得ません。
ルートの難易度や、岩の状態、面白いかどうかの基準など、自分の経験や技術的なレベルを基にしています。
私の基準でV+級程度と感じた場所も、登る方によってはもっと易しく感じる場合もあるでしょう。
「怖いピッチだった」と記載されている場所でも、何も感じることなく普通に登ってしまう方もあるでしょう。
実際、自分自身でも、過去の記録を読み返すと、「いくらなんでも大げさすぎるだろう」と思ってしまう記述もあります。
でも、それは、そのとき感じた自分自身の本当の気持ちなのです。たまたまネットで公開していますが、これは私的な"記憶のための記録"なのです。自分のそのときの感情を忘れないうちに書き留めておくことこそが本来の目的です。
もちろん記述は正確になるように心がけていますが、それに対する感じ方は人それぞれだと思います。

山は、登る人の技量によって様々な姿を見せてくれます。それこそが山の面白さでもあるわけです。山に登る前にここの記録を参考にされるのは構いませんが、決して鵜呑みにしないでください。ルートの状態が変わっていたり、予想より難しかった(易しかった)からといって、私が責任を取れるわけではありません。
是非、以上のことを考慮に入れ、ある意味、一種の読み物として、以下の記録を楽しんでいただければと思います。(2004年5月30日)


本格的に山を登り始めたのは、学生のころで、それから10年。クライミングを始めてからは、5年が経ちました。
以下には、私がクライミングを始めて間もないころの記録から、最新の記録までが、混在して置いてあります。

初期のころの記録では、どうでもいいところで苦労していたり、何でもないことに大げさに驚いていたりして、
今読み返すと、何を書いているんだか、と思う部分も多いです。
また、そのころから考えると、多少は(自分の)クライミング技術も上達しているので、同じグレードに対する感じ方も変わってきています。
同ルートを複数回登ることはあまりありませんが、初期に登ったルートを今再び登り返すと、その報告は全く違ったものになるでしょう。
「最高に厳しいムーブを強いられた」「こんなところ登れるとは思えない」など、
かつて考えたような場所も、今では、あっさり登れてしまうかもしれません。

時系列に沿って順番に読んでいけば、納得できる表現も、あとから他人がランダムに読むと、
筆者のレベルが一定ではないので、分かりにくい部分があると思います。
ここにあるのは、あくまでも自分のための「記憶のための記録」であり、ルートガイドではありません
なるべく、ルートの状況などは、正確な記述になるよう心がけていますが、
その報告は、主観的にならざるを得ず、特に難易度などの表現は、その時々で変化しています。

そのあたりを十分加味して、ある意味、一種の読み物として、以下の記録を楽しんでいただければ幸いです。(2004年2月14日)



フリークライミングにはオンサイトという概念があります。
初見でそのルートを完登する、という意味で、厳密には、他人が登っているのを見てもいけないし、
事前にそのルートに関する情報を得てもいけません。
それゆえ、オンサイトは(そのルートでは)一生に一度しか経験できない貴重なものとされています。

アルパインクライミングでは、オンサイトということをあまり言われません。
(ルートの情報を全くなしで登るとなると、ほとんど開拓(初登)のような気分になるはずです)
沢登りのオンサイトについて、服部文祥さんが岳人638号「遡行図はいるのか」で述べておられました。
そもそもアルパインクライミングも冒険の一種ですので、未知の部分が残っているほど、やりがいがあるというものです。
全ての情報を知ってしまい、単にその情報の確認のために山に行く、というのでは、面白さも半減です。
もちろん、さまざまな状況の変化により、必ずしも情報通りにならない、というのがアルパインの魅力でもあるわけですが。

さて、以下に掲載している私の記録では、自分の気づいたこと、覚えていることをほとんど詰め込んでいるため、
事前に読んでしまうと、興醒めになってしまう部分があるかも知れません。
もともとこの記録は、「(自分の)記憶(をとどめておく)のための記録」として記していますので、
今覚えていることは、なるべく書き留めておこう、というのが主旨となっております。
その山をほんとうに楽しもうと思われる方は、事前に記録を読まれるのではなく、
事後、自分の登った山を振り返るために読むのが良いのかもしれません。

以上のような点にご注意いただき、下記の記録を読んでいただければ幸いです。(2002年10月25日)



何故記録を書くのか、と問われれば、「自分のため」と答えるでしょう。
自ら体験した記憶を、常に新鮮なものとして蘇らせるための記録として、つまり「記憶のための記録」として書いています。
もちろん、それだけなら公表する理由にはならないのですが、自分の力に自信がない私は、
どこかのルートに行くときには、できるだけ情報を集めてから行きたいと思っています。
書籍としてのルート情報も多くありますが、単に「凹角、IV+」と書かれてあるだけでは、ちょっと物足りない。
どこが核心部なのか、どこに注意すべきなのか、あらかじめ調べておきたい。
そういうときに、ネットを検索します。
googlegooyahoo!など、検索エンジンを片端からまわります。
様々な報告を読み、それを参考にして現場に向かいます。
もし私の記録が、そういうときのための情報提供の一助にになれば、と思い、ここに公表しております。
(2001年11月3日)


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