長谷川恒男関連書籍
長谷川恒男略歴 1947年神奈川県生まれ。15歳のときにはじめて丹沢に登り、その自然の素晴らしさに感動し、山のとりこになる。17歳で岩登りを知る。霧峰山岳会にてめきめきと腕を上げる。その後山岳同人「星と嵐」を結成。明星山の開拓などで活躍。 26歳のとき、RCCIIエベレスト登山隊に参加。48人という大所帯での登山。サミッターの生還を助け、大活躍するが、自身の登頂はならならず。組織の中での登山の難しさを知り、この後単独傾向が強まる。31歳、アルプス三大北壁冬期単独登頂。一躍有名となる。翌々年、アコンカグア南壁フランスルート冬期単独初登頂。 その後、アルパインガイドとしての仕事をしながら、ダウラギリ、エベレストなどを目指すが、敗退の連続。結局ヒマラヤではサミッターになれることはなかった。 1991年未踏峰ウルタルIIを登攀中、雪崩に巻き込まれ死去。享年43歳。 |
「岩壁よおはよう」長谷川恒男著
「北壁に舞う」長谷川恒男著
「北壁からのメッセージ」長谷川恒男著
「山に向かいて」長谷川恒男著
「生きぬくことは冒険だよ」長谷川恒男著
「長谷川恒男 虚空の登攀者」佐瀬稔著
「岩壁よ おはよう」
長谷川恒男 中公文庫 1984年(1981年)
『山は自己表現だ。自分が一歩前へ進まなければ決して登れない。主体性がなければ何もできない。そういう意味で、落ちこぼれの子供が始めた山登りは、ぼくの青春への出発点だったのかもしれない。』 |
長谷川恒男が、アルプス三大北壁登記単独を成し遂げる直前の物語。十五歳ではじめて丹沢に登ってから、少しずつ山にのめりこんで行く様子が描かれる。
若いころの記録だからか、表現にも硬さが目立つし、つたない文章もある。しかし、そこには山をはじめた当時にしか感じられない、みずみずしい感覚が光っているし、彼の原点と言えるものがあると思う。アルプス三大北壁のような、まったく手の届かない記録よりもむしろ、谷川、穂高などの記録のほうが、直接そのすごさが理解できる。
スランプの中で、明星山の開拓にかける執念が特に印象に残る。厳冬期の一ノ倉衝立岩で宙吊りになり、赤い小便を出してしまい、トップへの意欲が薄れてしまう。そんな折、彼の父親が病気で亡くなり、ますます山へ行く気力が減退してしまう。そういう八方ふさがりの中で、山への想いを何とか明星山で復活させようという姿は、凄まじさすら感じる。会社を休んでまで、連日明星山へ向かい、片端からルートを開拓して行く彼の心には何があったのだろうか。個人的にはまだ明星山には行ったことがない(一度行ったが、増水のため徒渉ができずに帰った)が、彼の踏み跡をちょっと見てみたい気持ちになった。
「北壁に舞う−生きぬくことが冒険だ」
長谷川恒男 集英社文庫 1985年(1979年) 絶版
『私のやっている行為は全宇宙から見たら、まったくゴミでしかない。しかし、私にとってみると、大きな大きな生命の証しなのだ。人間の一生は短い。その中で。たったひとつの生命が、自分自身の心の中で永久に生きていられる表現方法が、私の場合は登山だと思う。』 |
長谷川恒男が、アルプス三大北壁の最後となるグランドジョラス北壁冬期単独に挑んだ記録。彼の著書は多いが、ひとつの山に一冊を費やすのは、これが唯一なのではないだろうか。
ルート状況が非常に細かく描写され、通常ならそのことで逆に退屈な記録になりがちなのだが、途中に彼自身の過去のエピソードなどがうまく盛り込まれ、飽きさせない展開となっている。
彼の山への想いも思う存分ぶつけられ、非常に興味深い。山を語りながら、人生を熱く語るというのは、彼の著書の特徴であるが、本書はそれが大変効果的になっている。また、使用した装備や登攀中の写真などもあり、一層生々しく当時を語っている。
彼の著書の中で、私が一番好きなのが本書である。登攀シーンの緊張感も伝わってくるし、単独の厳しさも身にしみる。人生を語る名文の連続である。本書が絶版になってしまったのが、なんとも悔やまれる。私は、まだ映画版の「北壁に舞う」を見たことがないのだが、本書を読んでますますその思いが強くなった。いつかチャンスがあれば、必ず見てみたいと思う。
「北壁からのメッセージ」
長谷川恒男 中公文庫 1998年(1984年)
『子どもたちが、ひとつの登山で何かを得たとするならば、それは私たちだけが影響を与えたというのではなく、登山を通じて、自然のなかから、何かを感じたことなのだろう。』 |
解説で岩崎元郎が書いているように、本書は山岳書というより、教育書である。長谷川恒男が子どものころの自分の体験を交えつつ、山の素晴らしさ、生命の素晴らしさについて語っている。
子どものころの話は、自伝のような形で、「岩壁よおはよう」では語られなかった山以外の生活についても多く描かれている。いわゆる「落ちこぼれ」が山を目指すというのは、植村直己や野口健を引き合いに出すまでもなく、よくある話である。大体勉強がよくできたとしても、「子どものころは成績優秀で・・・」などとは書かないものだ。日常生活に何か物足りなさを感じたときに、そこに山があった、となるのは当然だろう、と思う。
本書で注目すべきは、「ジュニア・アルピニスト・スクール」について描かれている部分だろう。長谷川恒男と子どもたちの関係というのは、三大北壁などの記録だけを見ていては、気づかないものである。不器用ながらも一生懸命子どもたちと触れ合っている彼の姿が思い浮かんでほほえましくもある。人の話を聞かない小学生の描写などは、今の学級崩壊の走りなのかもしれない。いまこそ時代は、彼のような人物を必要としているのではないだろか。
「山に向かいて」
長谷川恒男 福武文庫 1991年(1987年) 絶版
『私は、この秋、この山にもう一度、新たに加わる隊員とともに出かけることになっている。心が踊る山登りを、私はいつまでも続けていきたいと願っている。』 |
子どものころの話から、1985年のチョモランマ敗退までを振り返る。
丹沢デビューから、ジュニア・アルピニスト・スクール、アルパインガイドなど、エピソードとしては他書にもあるものばかりである。しかし、40歳での著書だけあって、同じエピソードでも見る角度を変えてあるし、表現も文学的になってきて、読んでいて新しい発見もある。「北壁からのメッセージ」を教育書とするなら、本書は「ビジネス書」と言えるかもしれない。山屋を対象に書かれているというよりは、一般向けに書かれている部分が多い。登山用語の解説も充実しているし、「社員教育と登山」などという項目は、まさにビジネスマン向けである。
本書では、五章「登山をかえる技術と装備」がポイント。岩壁登攀のために長谷川自身が考案したツエルトや、登山用の靴のアイディアなどを語る部分は、他書では見られないところである。
個人的には、プロローグ「チョモランマ敗退」とエピローグ「再びヒマラヤへ」で、一冊書いてほしかったな、と思う。
冒頭で引用したのは、文庫版あとがきの最後の文章。「この山」とはウルタルII峰。彼が雪崩に巻き込まれ、命を失うことになる場所である。
「生きぬくことは冒険だよ」→【bk1】
長谷川恒男 集英社文庫 1998年(1992年)
『何もしないで、ただ会社に行って、夜家に帰って、ビールでも飲みながらナイターを見て、風呂に入って寝て、また翌日会社に行って・・・っていうのって、そんなに難しいことじゃないよね。ただ『生きてる』だけだもの。だけど、自分の人生を『行きぬこう』と思ったら、楽しいことがあるよ。生きぬくことは冒険だから。冒険っていうことはさ、危険も伴うし、命を落とすようなこともあるかもしれない。でもさ、逆にそれだけ、楽しいこともあると思うんだ。アドベンチャーなんだから。』 |
長谷川恒男の遺稿集。生前未発表の「三大北壁への道」や、ナンガパルバット単独登攀時の交信記録、講演録などが収められている。
「三大北壁への道」は、マッターホルン、アイガー、グランドジョラスそれぞれの山の登攀がコンパクトにまとめられている。単独行を続けているうちに、だんだん心の乱れがなくなり、ついには悟りを開いたような状態になる様子が描かれ、興味深い。このあたりは、同書に収録されている講演録にも同じような話が載っており、長谷川自身が最終的にこういう考え方にたどり着いたのか、と感慨深く思う。
ナンガパルバットの交信記録は、素の長谷川恒男を見るようである。後半の夫人が寄せている文章にもあるが、ベースキャンプと長谷川の緊張した関係が伝わってくるようである。「あんまりよけいなことを言うんじゃないよ」とか「バカ」とかそういう言葉がポンポン出てくる。隊員がトランシーバー交信をいやがるようになる、というのも分かる気がする。(山での)長谷川の思考のスピードに、ついて来られる人がなかなかいないのだろう。
長谷川恒男のいろいろな一面を見られるバラエティに富んだ一冊といえる。まさに集大成とも言えるが、繰り返しとなる部分も多く、これだけを読むと少し物足りないように思う。本書と、「北壁に舞う」もしくは「虚空の登攀者」をあわせて読むと、より理解が深まるだろう。
「長谷川恒男 虚空の登攀者」→【bk1】
佐瀬稔 中公文庫 1998年(1994年)
『長谷川恒男さんという人物も、「表現」にすべてを捧げました。表現しないことには己自身が存在しないと思いつめ、四十歳を過ぎてなお、生の純粋結晶を求めて未踏の峰に目をあげることをやめませんでした。』 |
スポーツライター佐瀬稔の描く、長谷川恒男の人生。長谷川自身の著書だけしか読んでいないと、見方が偏ってしまう部分がある。(弱い部分も見せてはいるが)彼の素晴らしい記録だけが目立ち、彼からの視点でしか物事が見えなくなってしまう。例えば、谷川岳一ノ倉滝沢第二スラブ冬期初登の記録がある。「岩壁よおはよう」では、あっさりと成し遂げてしまったかのように描かれるが、実際には同時登攀していた他パーティとの確執があったことが本書で知らされる。ほぼ同時に登っていたのに、終了点についたのは長谷川のほうが先だった。下まで降りてきたパーティに向かって発した言葉が「第二登おめでとう」。あくまでも自分が初登だということを確認する言葉であった。悪気はなかったのかもしれないが、言われたほうのショックは大きい。
人当たりがよく、人好きな性格。崇拝者は周りにたくさん集まるけれど、パートナーになるべき人間はいない。そんな彼の悲しい性(さが)が見え隠れする。そういう部分は、彼自身の著書からは分からないところだ。
そして、連戦連勝のアルプス、アンデスから一転、結局一度もサミッターになれなかったヒマラヤでの彼の姿。これも、彼の著書からはわからない。ダウラギリもナンガ・パルバットもチョモランマもことごとく敗退したのは、彼の宿命のようにも見える。
佐瀬稔の暖かく、かつ冷静な視点から見る長谷川恒男の姿は、長谷川自身の著書からは現れない新しい彼の姿を立ちのぼらさせる。ベビーブーマーの一人として生まれ、常に競争することを強いられた長谷川が、いかにして単独行を選び、三大北壁を成し遂げ、そしてヒマラヤに散っていったかを華麗に描き出している。非常に読み応えのある一冊。
『他人の書いた体験記は読まない。しかし、自分が体験して得たものは書き残しておく使命がある。』 |
たまたま古本屋で見つけた。各界のさまざまな人の本棚を紹介しつつ、インタビューをするするというムック。夢枕獏、ラサール石井、具志幸司などと並んで、長谷川恒男の名もある。
「本は読まないことにしている」といきなり切り出す。実際、他の登山家の体験談的な物はほとんど読まないそうだ。「ヘルマンブールの『8000mの上と下』という本も、ぼくにはいただけないですね。なんか、詩的な表現がいいんでしょうが」とのことである。
本棚を写した写真には、『日本登山大系』や『垂直に挑む』(吉尾弘)『青春を山に賭けて』(植村直己)『栄光の叛逆者』(本田靖春)などが並んでいるのが見える。しかし、これらも読んではいないのだろう。「本といえるかどうかわからないけど、地図はよく見ますね。他のアルピニストのものでも、記録ものは読む。必要にせまられていますから。それでも抜き読みが多いんですが。」
そう言う長谷川が興味をそそられて読む分野がひとつだけあるそうだ。それが霊界についての本。死を身近に感じ、幽体離脱をも経験したという彼ならではかと思う。
たった4ページの短いインタビューだが、本棚を見ることで、少し身近に長谷川恒男を感じられるようになった。
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