「三スラ神話」
谷川岳 一ノ倉沢 滝沢第三スラブ

2006年2月25日(土)
メンバー:清野、神谷(記)
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<F4を登る>

谷川岳一ノ倉沢滝沢第三スラブ。

冬の滝沢スラブは、困難よりもむしろ危険の色が濃過ぎて、
登攀の対象とはならない、というのが支配的な考え方だったのだ。
(佐瀬稔 『狼は帰らず』)

通称三スラ。

「時代は間違いなく変わった。新しい時代がはじまったのだ。」
(佐瀬稔 『狼は帰らず』 三スラが登られたことを聞いた大野栄三郎の言葉)

それは、伝説のルート。

国内の冬期登攀を目指す者にとって、
もはや神話とも言える「三スラ」初登。
それが単に冬期未登ルートのトレースというだけでなく、
ここまでスピリチュアルな捉え方がなされるのは、
一個の人間がまさにこのような「冒険」を全うしたという事実にあるからに違いない。
(菊地敏之 「命を賭けた冒険の意味」 『岳人』2001年1月号)

初登は1967年2月。森田勝、岩沢英太郎。

しかし冬期の滝沢スラブの登攀。
それは識者からみれば常識を越えた暴挙とさえみられ
仲間からは再考を幾たびかうながされたものだった。
けれど、昭和の初期に積雪期の一ノ倉沢登攀に傾倒したパイオニアたち、
また昭和三十年代初期における黄金期の幕開けの旗手であった先輩たち、
そのいずれもが当時においては自殺行であるとか、
無謀の極みであるとか批判されたものだった。
(森田勝 谷川岳滝沢第三スラブ冬期初登1967年2月25-27日 『岩と雪』9号)

それから七年後、1974年第二登の遠藤甲太、両角泰夫、与田守孝。

このスラブ群の中でも、最も美しく長大で、困難な第三スラブ。
過去に記録のあることなど問題ではなかった。
この第三スラブこそが私の至上の夢であった。
(遠藤甲太 積雪期滝沢第三スラブ第二登1974年2月23-24日 『岩と雪』37号)

その、わずか二日後、第三登の大宮求は、単独初登であった。

F4を越すとまず下ることはできないし、高度感もありすぎる。
だが、不思議と怖さは少なくなる。
(大宮求 積雪期滝沢第三スラブ単独初登1974年2月24-25日 『岩と雪』37号)

天候判断など、登攀のタイミングをはかるのが難しく、

前の日、天気がよくて、カンカン照って落ちるものが全部落ちて、
その後で冷え出したら吹雪いたっていい。
吹雪の積もる前に抜けきればセーフですね。
だからスタートは晴れた日の夕方。
(佐瀬稔 『狼は帰らず』)

スピードと、確実な技術が要求される。

何しろ、岩壁の雪崩という雪崩が
扇の要の部分に集まってくるようなところを登るのだ。
死について考えないわけにはいかなかったのだろう。
(佐瀬稔 『狼は帰らず』

技術と道具の向上により、すでに、記録的価値は薄まったといえど、

滝沢スラブ登攀に必要なのは、
技術より体力、状況判断力もだが、
不確実な読み切れない状態、
ビレイが取れないかも知れない漠然としたリスク、
不安を感じる心に打ち勝つ意志と情熱だ。
(廣川健太郎 「My favorite route」 『岳人』2003年5月号)

第一級のルートとして、今でも敢然と立ちはだかっている。

おまえ、何のために生きてるんだ。
山へ行くためじゃないのか。
山へ行かないのなら、死んだも同じだ。
ここにいて、死んだように生きてるくらいなら、
山に行って雪崩で死んだ方がましだ--。
(夢枕獏 『神々の山嶺』 “鬼スラ”を前にした羽生の台詞)






もともと、今回は、三スラを登ろうと思っていたわけではない、ということから始めなくてはならない。
「ルンゼ状スラブ」を狙っていたのだ。
三スラの隣、滝沢リッジとのコンタクトライン。
三スラがあまりにもメジャーなために、ほとんど顧みられることのない不遇なルート。
マイナーであることに、気持ちをそそられた。
支点が取れないといわれる三スラに比べて、左壁を使えるルンゼ状スラブは精神的にも楽だろう、と思われた。
取付は三スラと同じ。
Y字河原から、左上し、滝沢リッジ方面に向かう予定だった。
それなのに。

2時30分、指導センターを出発する。
前日、ほとんど寝ていないが、気持ちは高ぶっている。
ただ、異常な気温の高さに、不安な気分が煽られる。
指導センターで、5℃くらいはある。
半袖、手袋なしで歩けてしまうほどだ。
今回は無理なのではないか。出発時は、七三であきらめ気分の方が大きかった。
予報では、寒気が来て、気温が下がるといっていた。
なのに、この暖かさ。
ルンゼルートが無理だったら、どこに行こうか。
出合までの道のりは、代替案のことばかり考えていた。

しかし、歩いている間に、明らかに気温が下がってきた。
手元の温度計の数値も、みるみる下がっていく。
一ノ倉沢出合に着いたときには、0℃。
これならば、行けるだろう。
覚悟を決めた。

頭上には満天の星空が広がっていた。
天気は問題ない。

本谷を詰めていくが、背丈以上のデブリの塊がゴロゴロしており、あまりいい気分はしない。少なくとも、昼間にここを歩くのは自殺行為だろうと思えた。
途中、堅氷になってきたので、アイゼンを着ける。

5時30分。滝沢下部到着。
現在の積雪量がどれほどであって、Y字河原がどこであるのか判然としない。
なんとなく、あの上の岩壁がY字河原ではなかろうか、とあたりをつける。
徐々に明るくなり始めてきたので、早速登攀を開始する。

1ピッチ目【神谷リード】
本谷方面には、かなり巨大なクレバスが口を開けていた。三スラ取付にもクレバスがあったが、左から回り込むようにして、最も狭い箇所をまたいで渡る。
傾斜もそれほどなく、支点も取れないので、中間支点なしで50mロープいっぱいまでのばす。

2ピッチ目【清野リード】
Y字河原と思われる岩を目指して登る。<★ひたすらロープをのばす>
支点は取れないので、ここもランナウト。三スラを登るYCCのパーティが取付付近に来ているのが見える。

3ピッチ目【神谷リード】
ここがY字河原だとしたら、三スラと別れ、左上気味に登らなくてはならない。しかし、左は岩のリッジが続いており、ルートは直上しか取れない。一部氷が混じるところをひたすらロープをのばす。<★氷で支点を取りながら>

4ピッチ目【清野リード】
左のリッジに岩の切れ目があり、左上するなら、この場所か、と思われた。トップがそちら側の様子を見に行くが、20mほど登って、戻ってきた。岩壁に阻まれ、これ以上はとても登れない、とのこと。<★左上してみるが>
ならば仕方がない。まだ、左上には早いのか。現在の位置関係がまだはっきりしない。ともかく、このまま登ることにした。
そうこうするうち、YCCパーティは、ノーロープでここまで一気に登ってきて、追いつかれた。

5ピッチ目【神谷リード】
氷瀑からのスタート。どうやらここは、三スラのF4らしい。とすると、ルンゼ状スラブへのトラバース地点は、とっくに過ぎてしまったことになる。もう、いまさら下降して、登り直す気にもならないし、クライムダウンして登り返す時間もない。
YCCパーティに後ろから追い立てられているのも気になる。
こうなれば、三スラをこのまま登るしかないだろう。
初めて出てきたちゃんとした氷を、スクリューを支点にして登っていく。ただし、距離は短く、技術的にも難しくはない。<★F4を登る>

6ピッチ目【清野リード】
雪壁に一部アイスが混じる。氷の部分では、スクリューで支点を取っていく。<★スクリューで支点を>

7ピッチ目【神谷リード】
F5。傾斜は緩いが、氷が出てくるので、2箇所ほど、スクリューで支点を取ることができる。ロープいっぱい、とコールがかかるが、ビレイ点の作りようがない。雪を削ると、すぐ岩が出てくるし、氷もない。雪壁に打ち込んだバイルと、何となく雪に埋めてみたもう一本のバイルでビレイするが、衝撃荷重に耐えられるとは思えない。なるべくロープをタイトに張って、フォローが墜ちないことを祈るだけ。

8ピッチ目【清野リード】
全体に雪壁。一部氷が混じる。氷があれば、スクリューは使える。F6手前で、スクリューを2本使って、ビレイ点を作る。<★ビレイヤーの上がF6>

9ピッチ目【神谷リード】
F6。直上しようとすると、スカスカの雪壁。左から回り込んで、岩壁とのコンタクトラインを登る。F6の氷の部分で一箇所スクリューを決め、左壁と接した部分で、エイリアンを決める。左壁沿いは、傾斜の緩い雪のルンゼ状。エイリアンとスタンディングアックスでビレイする。<★左壁沿いに登る>

10ピッチ目【清野リード】
これ以上左壁沿いには進めないので、一旦スラブに出て、トラバース気味に右上する。中間支点は取れず、ロープいっぱいまでのばす。<★スラブに出る>

11ピッチ目【神谷リード】
さらに雪壁を登り、第二スラブとの間のリッジに移る。リッジへの登り出しが急だったので、念のためデッドマンで支点を取ってから登る。
リッジは、急雪壁で、雪も深く、登りにくい。ロープがいっぱいになってしまったが、ビレイ点を作ることもできない。墜ちる心配はなさそうなので、そのままコンテに切り替えて、登り続ける。
リッジが崩れそうなのがこわかった。雪庇というほどにはなっていないが、あまり第二スラブ側には寄りたくない。高度感は抜群。
しばらく登ると、岩が出始め、灌木があったので、そこで何とか支点を取る。
しかし、その岩を直上することはとてもできず、第二スラブ側にトラバースを試みる。足元は切れ落ちていて、雪壁は崩れそう。コンテのままでは恐ろしいので、再びスタカットに切り替え、ビレイしてもらう。
雪壁を何とかトラバースし、その先で直上。とにかくスカスカの雪で、支点は取れないし、踏み固めることもできない。雪を削って、押し固めて、バイルを垂直に差し込んで、マントリング気味に登る。
雪を削るうちに、下から草付が出てきた。
バイルを打ち込むと、何とか体重を支えられるくらいには、決まってくれた。ロープの残りもなく、他に方法がないので、ここでピッチを切る。<★嫌なトラバース>

12ピッチ目【清野リード】
このピッチで、先頭をYCCパーティと交代する。以降は、YCCのトレースを追うことになる。
草付を左から回り込み、再び雪壁。途中の灌木で中間支点を取り、さらに進んだところの灌木でビレイ点とする。<★灌木で支点を>
あまり安定した場所ではないが、YCCパーティが進むのを待ちながら、ここで、行動食を口にする。取付からここまでほとんど休めるような場所はなかったので、とてもおなかが減っていた。

13ピッチ目【神谷リード】
YCCのトレースを追って、雪壁を登る。かなりの急傾斜。しかもスカスカ。支点は出だしの灌木で取ったが、その先はどうにもならない。トレースをたどっているので、だいぶ楽をさせてもらったが、トップだとしたら、かなりこわいだろうと思われた。
雪壁の途中で、ロープがいっぱいになってしまう。こんな急斜面で、スカスカの雪で、どうやってビレイ点を作ったらいいのだろう。
一応、スタンディングアックスしてみるが、衝撃に耐えられるだろうか。雪が崩れ、ビレイ点は崩壊し、ビレイヤーもろとも真っ逆さまになる可能性が高い。

14ピッチ目【清野リード】
さらに雪壁を登り、岩を左から回り込む。<★虹が出た>
先行するYCCパーティは、灌木でビレイしているが、2パーティ分の余裕はなく、しばらく待たされる。
待っている間に、雪をかき分け、草付にスクリューをねじ込んだ。無理やり入れると、パイプからキャベツのみじん切りのような削りカスが出て来た。その右側の雪の下からは、氷柱を掘り起こすことに成功し、それにスリングを巻き付けてビレイ点とした。

15ピッチ目【神谷リード】
ビレイ点の場所が悪く、先行パーティが動くたびに、雪が流れ落ちてきて、頭からかぶってしまう。ちょうど雪の通り道にあたっているようだ。
トップはさっさと登る。先行パーティの様子を見ているので、ビレイヤーに雪が落ちないよう、別のルートを探ってみるが、結局、どこも変な雪壁で登りようがない。
やむなく、YCCのトレースを追う。
さらさらの雪で、どう歩いても、ビレイ点に雪を落としてしまう。
しかもスカスカなので、そっと歩く、というのができず、もがいているうちに、ますます雪を落としてしまうという始末。
ところどころの灌木で支点を取る。
灌木帯は15mほどで、また雪壁が続いている。
トレースはあるのだが、その通りに進もうとしても、ぐずぐずと崩れてしまい、さっぱり進めない。踏んでも押しても固まるような雪ではなく、もがけばもがくほど、崩れ落ちてしまう。
雪壁を崩しているうちに、背丈以上の断崖となってしまい、どうしようもなくなってしまった。
少し戻って、細い細い灌木で気休めの支点を取り、右のルンゼへトラバース。
かなり急傾斜で恐ろしいが、それ以外に道はなかった。
なんとかルンゼを登り切り、途中でトレースにも合流。
ロープの流れが悪くなってきた。
もう、50mギリギリかもしれない。
しかし、ドーム壁はすぐそこに見えており、こんな中途半端なところで止まりたくない、止まれない。あと、5m。どうかロープをください。
コールをかけても、声が届かず、ロープの残りがないのか、どうなのか判らない。
無理やり登って、なんとか、ドーム壁基部に着いた。
(あとで聞いたところ、50mでギリギリ足りたそうだ)
やはり支点はない。バイルを雪に埋め込む。
壁との間は、深さ3mくらいのクレバスが開いており、油断すると、落っこちそうだ。
腰を下ろしてビレイしていると、だんだん眠くなってきた。
フラフラすると、目の前の雪壁を転がり落ちてしまう。後ろもクレバス。
あぶないあぶない。

16ピッチ目【清野リード】
ドーム壁基部を右にトラバース。慰霊碑のところまで。
右側はすっぱり切れ落ちており、支点も取れず、かなり怖い。<★トラバース>

残置の支点を使って、Aルンゼへ懸垂下降。
50mシングルロープで、なんとか足りた。

Aルンゼに降りて、そこからは、緩傾斜のルンゼを歩くだけ。この先はロープを外して行く。<★Aルンゼを行く>
途中、クレバスの先の雪壁が、またもやスカスカ壁で苦労した。
崩せば崩すほど深みにはまって、どうしようもなくなってくる。

最後、国境稜線に出る瞬間は感動的。<★国境稜線へ最後の登り>
ここまでずっと太陽の光は当たらなかったのに、稜線に立つと、光に満ちあふれており、視界が開けた。
陰鬱な一ノ倉沢の向こうには、光に満ちあふれた真っ白な世界が広がっていた。
なんてきれいなんだろう。
これで安全地帯。
もう大丈夫だ。
力が抜けてしまったかのように、腰を下ろす。
ボーッとしながら、水を口に運ぶ。

終わったんだ。
三スラを登ったんだ。
無事登り切れたんだ。
あの三スラを。
気持ちが胸からあふれてきて、
自然と笑みがこぼれてしまう。

記録的な価値なんかなくたっていい。
価値は自分の中にある。
これは、自分にとっては、大きな価値のある一本。

なにか、ひとつ、大きなことを成し遂げた気分になった。
大きなステップをひとつ登った気分になった。

積雪期の三スラを登った。
自分にとって、その価値は、とてもとても大きい。







以下、蛇足ながら、三スラメモ。

三スラのポイントは、とにかく支点が取れない、ということに尽きると思う。(もちろん、それ以前の状況判断は別として)
一応、氷があれば、スクリューは使えるし、(上部では)灌木が出てきて、それを使える。
しかし、それは、ほんの一部のことでしかない。氷が薄くて、スクリューはタイオフになることが多いし、1ピッチで2箇所支点を取れれば、いいところだった。
技術的には、難しい箇所は少ないので、ランナウトするのは、それほど気にはならないが、ビレイ点もちゃんと作れないのが、最もおそろしい。
一般的なルートのように、ビレイ点に着いたから一安心、ということがない。どこまで行っても緊張を強いられる。
ロープをいっぱいまでのばしても、雪壁が続くだけで、どこにも、何にもないことが多い。
もう少ししまった雪があれば、スタンディングアックスビレイができるだろう。
もう少しちゃんと氷があれば、スクリューでビレイすることができるだろう。
でも、どっちもない。
気休めに、雪を掘って、バイルを埋め込んでみる。
硬氷にバイルを打ち込んで、それをビレイ点としてみる。
どっちにしても、衝撃加重にはとうてい耐えられないだろう。そっと、静加重が掛かるくらいなら、何とかなるかもしれない。
墜ちたら、パートナーと道連れ、それで終わりだ。
だったらいっそフリーソロで、という話も判る気がする。
技術的なことだけ考えれば、ふだんなら、これくらいの傾斜でランナウトしても、それほどおそろしいとは感じないだろう。
ただ、それが、何ピッチも続く、というのが三スラの怖さ。
気の休まる暇がない。
ここで墜ちても次で止まる、というのがなく、どこまでも墜ちていって、本谷まで一直線。
それが、三スラの怖さ。
結局、失敗は絶対に許されない。墜ちないことが大前提、というルートだと思う。

いつもなら、多少の高度感があっても、それを楽しむくらいの余裕がある。下を見て、おお、こんなにも登ってきたのか、という実感を覚える。
しかし、それは、ビレイ点がしっかりしていたからこそ、感じられることだったのだ、と今回初めて気がついた。
支点が甘いこの状況で、下を見る余裕はない。
ビレイしている自分自身、ちょっとバランスを崩したら、その衝撃でビレイ点が飛ぶかもしれない。
なるべく自分は動かないように、ロープはタイトになるように気をつける。
あとは、お互いの力量を信じて、祈るくらいしかない。

また、よくいわれるように、三スラで難しいのは、上部の草付帯だった。
下部のスラブは、怖いけれど、登ること自体は難しくない。
草付は、登ることそのものが難しい。
草付の上に、スカスカの雪が着いて、支点は取れないし、傾斜は急だし、足元から崩れるし……。どうしようもない、といった感じ。
でも、もうここまで来たら登るしかないわけで。
下部は案外あっさり越えて、ドーム壁が間近に見えてきて、もうすぐ終わりだ、と思っても、実は、そこからが本当の三スラの始まり、と言って過言ではないだろう。

それだけこわい思いをしても、やはり、三スラはすばらしいルートだと思う。
二度も三度も登りたいと思わないが、登って良かった、と心から思う。
ラインの美しさ。伝説的・神話的な履歴。ラストの感動。充実度。
何をとっても一級品である。
今後、いくら技術が発展しても、いくら道具が発達しても、このすばらしさは変わらないと思う。
それだけの価値があるルートであることは間違いない。




2月25日(土) 晴れ
2:30 指導センター発(5℃)
3:30 一ノ倉沢出合(0℃)
5:20 取付(-4℃)
5:40 登攀開始
-5:55 1ピッチ目
-6:10 2ピッチ目
-6:20 3ピッチ目
-6:45 4ピッチ目
-7:05 5ピッチ目 F4
-7:15 6ピッチ目
-7:50 7ピッチ目 F5
-8:20 8ピッチ目
-8:50 9ピッチ目 F6(-2℃)
-9:05 10ピッチ目
-10:10 11ピッチ目 第二スラブとのリッジへ
-10:35 12ピッチ目
-11:25 13ピッチ目
-12:20 14ピッチ目
-13:50 15ピッチ目 ドーム壁基部まで(-1℃)
-14:10 16ピッチ目(-2℃)
14:25 Aルンゼ
14:55 国境稜線(-3℃)
15:30 トマの耳
17:05 (西黒尾根経由)指導センター(-3℃)



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