「自由」
谷川岳 一ノ倉沢 烏帽子奥壁 南稜(単独)
2004年10月1日(金)
メンバー:神谷(記)
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〈最終ピッチ/フィックスして懸垂下降〉
「もしも登山が自然からいろいろの知識を得ることができ、それによって自然の中から慰安が求めえられるものとするならば、単独行こそ最も多くの知識を得ることができ、最も強い慰安が求めえられるのではなかろうか。何故なら友とともに山を行く時はときおり山を見ることを忘れるであろうが、独りで山や谷をさまようときは一木一石にも心を惹かれないものはないのである。もしも登山が自然との闘争であり、自然を征服することであり、それによって自然の中から慰安が求め得られるとするならば、いささかも他人の助力を受けない単独行こそ最も闘争的であり、征服後において最も強い慰安が求めえられるのではなかろうか。ロック・クライマーはただ人が見ているだけで独りで登るときよりはずっと気持ちが違うというではないか。」 (『単独行』加藤文太郎) |
自由な登攀がしたいと思った。何かに縛られることなく、思うがままに登ってみたい。やり方はいろいろあるだろうが、その中でも「単独」という方法を考えた。 独りで登ることで、今までは見えなかった何かが見えてくるかもしれないと思った。独りで登ることで、今までにない自由を味わえると思った。 何ものにも束縛されない自由な登攀というものを夢見ていた。 登攀中、いろいろなものに縛られているような気がしていた。それはロープを引きずっていることだったり、支点を取っていくことだったり、パートナーが必要であることだったりした。 もちろん、「縛り」があることでむしろ面白くなるのは良くあることだ。 パートナーが居るからこそ、できること、見えるもの、感じられること、があることは知っているし、何にも束縛されたくないのなら、ルートすら関係なく、適当に歩いて、適当に登れば良いとだって言えてしまう。 ある程度の縛りの中で、できるだけ自由になれる方法は何だろうか、と考えた。一つの回答が、「単独」。 究極的に自由な登攀は「フリーソロ」だと思う。ロープなどの補助器具を全く使わず、ちょっとした食糧だけを持って、ひょいと岩に取り付いて、短時間ですっと終えてしまう。まるでハイキングのような感覚で本番の岩場を登る。それはとてもとても魅力的なことに思える。しかしそれは同時に大きなリスクを伴う。 今までも、パートナーがいて、ロープをつけていても、落ちたら止まらないであろう場所はあった。また、中間支点が取れずにものすごくランナウトして、ロープの意味がないような場所もあった。 しかし、やはり、そうは言ってもロープの持つ威力(魔力、なのかもしれない)というものは大きく、とりあえずロープの先を確保してくれているパートナーがいる、というだけでなぜか安心してしまうものだ。 今回、それらをなくし、すべて独りでやってみようと思った。ただ、完全にフリーソロをするほどの勇気も自信もなかったので、ソロシステムのロープワークは使うことにした。 ルートとして選んだのは、一ノ倉の南稜。支点もビレイポイントも安定していて、しかも自分が登っていないルートである。南稜といえば、初心者が一番初めに登るルートで、一ノ倉でも一番の人気ルートである。なぜか今まで登る機会がなく、いまさら普通に登ろうと言う気にもなれなかった。 初見のルートではあったが、フォールしないで登る自信はあった。もちろん、パートナーがいて、リードして、フォールしなかったからといって、ロープなしで登れるか、単独で登れるか、というとそれは全く違うものだ。 要は落ちなければ良いと分かっているが、そんな単純ではない、というのが不思議な感じもする。結局すべては精神的なもので、自分自身の問題となるのだろう。 前夜出合に着いたときは台風21号の影響が残っており、まだ大雨が降っていた。反対の山には青空が見えているというのに谷川だけ雨。明日はどうなるだろうか、とテントの中で思っていた。一ノ倉沢は増水していた。明日は回復するはずだが、谷川だけにどうなるか分からない。雨が降っていたら、壁が濡れていたら、と様々なことを考えてしまう。 早く登りたくもあり、でも登りたくなくもあった。 4時に目を覚ますと、明るい月と雲ひとつない空。台風一過の素晴らしい天気になっていた。登らない理由は見つけられなかった。出合で日の出を待つカメラマンを横目に、独り岩壁に向かう。 明るい月に助けられながら、ヘッドランプを点けて一ノ倉沢を登っていく。踏み跡をたどりながら黙々と歩く。足は自然と速くなる。ふと気付くと、ヒョングリの滝が対岸に見えた。いつの間にか衝立前沢の踏み跡に入り込んでいたようだ。 自分が考えている以上に緊張しているのか。気を取り直し、来た道を戻り、ヒョングリの滝をクライムダウンしテールリッジへ。 6時20分南稜テラス着。 衝立に1パーティ入っているのが見えるだけで、それ以外は静かな一ノ倉沢。 烏帽子奥壁は昨日の台風の影響で水が流れていて、どのルートも登れそうにない。ありがたいことに南稜は問題なく乾いている。 粉末アミノバイタルを飲んで、気合を入れてみる。緊張は隠せないが、ともかく落ち着いて登って行こうと思う。〈★登り出し〉 1ピッチ目 ロープをセットし、支点とロープの流れを何度も確かめ、ゆっくりと登りだした。ロープワークを確認しながら、そして体の緊張をほぐすように、ゆっくりと。 フェース部分は特に問題ない。でも、ランニングビレイはなるべく取るようにした。チムニーは内部が濡れていて嫌な感じがする。何度かためらいつつも、思い切って身体を上げていく。自分を信じて登るしかないのだから。 ビレイ点到着。フィックスして懸垂。さらに登り返し。アブミまで持ってきていたが、こんな傾斜ではまるで意味がなかった。 2ピッチ目 1ピッチ目を二度登ったことで、早くも煩雑さを感じてしまった。全然「自由」ではない。むしろ面倒なだけな感じがした。 2ピッチ目は、見るからに問題なさそうだったので、ロープを引きずってフリーソロ。 3ピッチ目 草付。 4ピッチ目 フリーソロで、ロープを引きずっているだけなので、ピッチ数はあまり関係ないが、ロープがどこかで引っ掛かると嫌なので、ビレイ点に着いたらセルフビレイをとって、その分のロープは引き上げる。 ロープを引きずっていることで、いつものリードと同じだ、と思い込むようにした。 5ピッチ目 リッジに出る。カンテがちょっと怖そうだったので、デイジーチェーンを架けかえながら登る。 リッジ部分は、傾斜はないが高度感がある。フリーソロだと思うと、下を見る余裕がない。 6ピッチ目 気付いたら、もう最後のフェースが眼の前にあった。実は、アプローチの途中でルート図を落としてしまい、記憶を頼りに登っていたので、あとどれくらいなのか、ということが良く分かっていなかった。 核心のフェースは水が滴っていたので、迷わずロープをセットする。まるで沢登りのようだ。当然A0。ここは、4年前に南稜フランケにきたときに登っているので、なんとなく記憶にある場所だ。 無事終了点到着。気持ちの中ではずいぶん時間がかかったように思えたが、登攀開始から1時間半で終了点だった。時計を見る余裕がなく、時間の感覚が鈍っていた。 ほっとした気持ちと、登りきった充実感と、秋の風は心地良いなとようやく思えた余裕と、いろんな感情がごちゃごちゃに混ざり合っていた。 もっと、何かをやり遂げたような、大きな充実感を期待していたが、意外に気持ちは冷めていた。あっさり終わりすぎせいか、それとも緊張しすぎていたせいなのか。 懸垂で降りるつもりだったが、まだ8時30分。早すぎるので、のんびり頂上を回っていくことにした。〈★フィックスして懸垂下降〉 烏帽子尾根から国境稜線、そしてオキの耳へ。荷物の重さもむしろ爽快で、解放感からか足取りも軽い。 巌剛新道の下部は台風のために大増水しており、登山道と沢の境がなく、水没していた。やむを得ず、水の中をバシャバシャと歩いていった。 出合に戻ってきて、改めて岩壁を見上げると、良くあんなところを一人で登ったな、という気になった。いまさらのように身体が震え、実感が湧いてきた。 一つの、大きな仕事を成し遂げ、無事戻れたことをありがたく思う。ほんの些細な間違いでさえも、起きてしまえば、今ここには立っていなかったかもしれない。 終了点では味わえなかった充実感を、ここに来てようやく感じることができた。 さて、今回の登攀では、果たして、自由になれたといえるだろうか。 登り終えてみて、自分が事前になんとなくイメージしていたものとは違う感情に支配されていることに気付いた。 ゲレンデでトレーニングして想像していた以上に、「登り返し」という作業が煩雑だった、ということもあるし、逆にあまりにもあっさり登れてしまった、ということもある。 たしかに、何ものにも束縛されず、何を気にする必要もなく、ただ自分自身と向き合って、自由に登れるのは素晴らしいことだったし、今までに味わえなかった充実感を得ることができた。 しかし、これを機会に、ソロをどんどんやって行こう、という気にはなれない。 いくら簡単なルートとは言え、単独のプレッシャーは大きく、精神的に非常に疲れる。 普段はトップで登っていても後ろを振り返って、写真を撮るなどの余裕があるのだが、今回は全くそんなことができなかった。とにかく、一歩一歩確実に登ることを考えていたし、ロープワークを間違えて行き詰らないように気を遣っていた。 同じルートを二度登る、というのは、肉体的な疲労もあるが、精神的な疲労も大きかった。難易度に関わらず、また、二度目はユマーリングとなるにも関わらず、「またここを登るのか」という気にさせられた。 自由を得るための代償として、今までとは別の様々な束縛を感じた。 それは精神的な重圧であり、二度登るという肉体的な疲労でもあった。 やはり、理想はフリーソロか、と思う。フリーソロなら二度登る必要はない。しかし、フリーソロをすることで、今までにない自由を得られるとしたら、その代償として、どれほど大きなものを支払わなくてはならないのだろうか。 フリーソロを続けていては、命がいくつあっても足りないと思う。 冒頭で加藤文太郎の「単独行について」という有名な文章を引用した。『独りで山や谷をさまようときは一木一石にも心を惹かれないものはないのである』とあるが、そこまでの余裕を持つためには、まだまだ修行が必要だ。 南稜を単独で登ったからといって、何か意味があるわけではない。しかし、ロープワークとして、ソロシステムを知っておくことは、何かの役に立つかもしれない。例えば、(可能性は低いが)二人で登っているときに、ロープが切れて、パートナーが墜落して、自分は一人で上部に抜けなくてはならない場合とか。あとは、ランナウトに強くなるとか。 ソロシステムについては、アルパインクライミングホームページの「単独登攀要領」や新☆あぶねえ山屋のページ(故古田氏)の「登山のテクニック」、岩と雪161号の「ビッグウォールやろうぜ」、Rock&Snow18号「ジャックのソロクライミングテクニック」、同20号「その2」等を参考に、日和田山やつづら岩で何度かトレーニングを行った。 ソロイストなどが調達できなかったので、グリグリで代用。ロープは10.5mmシングル。余分なロープを背負うことはせず、ビレイ点に置いて登った。 ちなみに山野井泰史氏は、南稜を高校生のとき15分くらいで登ったそうだ。フリーソロで走るように登れば、15分で終了点までつけるか……。うーむ。 |
「ときどき、だれとも会話せずにひとりですべてを判断しながら行動したいときがある(決して人間嫌いではないが)。 また、自分の能力に疑問を感じたり自信をなくしかけているとき、単独登攀などを行なうと再び力が甦るような気がする。」 『単独行で山に入る(ときの)おもな理由』山野井泰史(「山と溪谷」2004年11月号) |
10月1日(金) 晴れ
4:30 一ノ倉沢出合発
6:10 中央稜取付
6:20 南稜取付
6:50 登攀開始
-7:25 1ピッチ目(17℃)
-7:35 2ピッチ目(17℃)
-7:40 3ピッチ目(17℃)
-7:50 4ピッチ目(17℃)
-8:10 5ピッチ目(17℃)
-8:20 6ピッチ目(18℃)
-9:05 Rest
10:00 国境稜線
11:30 オキの耳
13:00 マチガ沢出合
14:00 一ノ倉沢出合
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