「(無題)」
両神山 尾ノ内沢 キギノ沢(敗退)
2001年6月9日(土)〜10日(日)
メンバー:K、M、Y、神谷(記)
(事故報告とも言えず、非常に主観的な文章で、
しかも、内容が微妙であるため、あえて今回は匿名としました。)
あんな怖いものはもう二度と見たくはない。 支点が怖い、岩が怖い、沢が怖い、滝が怖い、ハーケンが怖い、カムが怖い、 ロープが怖い、確保が怖い、なにより墜ちるのが怖い。 ことあるごとにあのシーンが蘇る。落ちる瞬間、落ちた瞬間、そしてあの表情。再び岩を触ることができるだろうか、そんなことさえ思った。岩に触れたとき、全て思い出して、震えが走るような気がする。だったらリードなんてできない。あの恐怖、克服できるだろうか。 両神山キギノ沢第二ゴルジュ第二の滝。最後の大物。(おそらく)未踏。 見た瞬間に威圧され、圧倒的なその存在感に畏怖さえ感じる。登れるとか登れないとかそういう問題じゃない。登る気にすらならない。V字に切れた空。のしかかる巨大なチョックストーン。誰も登っていないのも良く分かる。ルートを考える。ボルト連打にしたって相当な時間がかかるだろう。果たして、あの落ち口までたどり着けるのか。 やれるだけやってやろう。一段目8m二段目20m。とりあえず、一段目にフィックスを張ることにした。そこまでなら行けそうだ。彼女は自ら望んでリードを買って出た。 しかし、滑りそうなのは分かっていた。怖いなあ怖いなあとドキドキしながらロープを握っていた。朝の冷たい滝の水しぶきが顔にかかる。飛沫で、トップをずっと見上げていることはできない。でも、いつ滑るか分からないから、なるべく上を向いて、よく見ていようと思った。いつ滑っても、確保だけはしっかりしなくてはと思っていた。いつでも確保の体勢が取れるよう、なるべくロープは出さずに、張り気味に。中間支点は4つ取ってあった。ハーケン3つ。エイリアン(赤)。取り付きから約8m。あと一手、最後の乗越だ。 瞬間、左足が滑った。緊張が走る。ロープを引いて確保する。止まるだろうと信じていた。それはいつものフリーの感覚だったから。支点の確かなクラシックルートの感覚だったから。しかし、確保者である私には何の感触もないまま、みるみるトップが滝を転げ落ちてきた。なんでなんでなんで何で止まらないんだ。4つ目の支点としていたエイリアンが飛んだのは分かった。3つ目のハーケンも飛んだのか。あとは分からない。滑って、滑って……。それは、一瞬だったようにも、スローモーションだったようにも思える。私の目の前に、すぐ目の前1mほどのところに落ちてきた。ロープが足に絡まり、足を上にして落ちてきた。途中で止まると思っていたのに、地面につくまで止まってはくれなかった。落ちたところには台状の岩があった。直径50cmくらいの楕円形をしていた。そこに背中を打ち付ける。空身だったので、背中をまともにぶつけた。そのショックで、ガクンと頭が振られ、後頭部を岩に強打。ボコッという信じられないような音がした。衝撃でメガネがずれる。本人の目の焦点が定まっていない。口は半開きだ。 落ちた瞬間、私は茫然として動けなかった。確保した姿勢で身体が固まってしまっていた。が、急いでATCからロープをはずす。もう、ここでは確保の意味はない。 駆け寄って、身体を支え、名前を叫ぶ、何度か叫ぶ。しかし、「あー」とか「うー」とか言う返事しか返ってこない。まずい、と思った。もしもああだったら、もしもこうだったら……。様々な想像が頭を駆け巡る。どうすればいいんだ。 落ちたのは、滝の水がまともに流れているところ。ともかくここから動かさなくては。水のないところまで行かなくては。見たところ外傷はない。出血をしているところはない。強打した後頭部も見た目は何ともないように感じる。 骨折などして、自分では動けないかと思ったが、痛みに耐えながらも移動は可能なようだ。唯一残った最後の支点(ハーケン)を利用して、ロープをつけた状態で、水の当らないところまで移動させる。背中を中心にあちこちが痛いようだが、人の補助を借りながらも自分の力で動いている。 支点を回収し、手前の15m滝の上にボルトを三本打ち、下降に入ることにした。 落ちてしばらくは、記憶の混乱が見られたようだ。自分が何故ここにいるのかわからないという。徐々に落ち着きは取り戻しつつあるが、どうあれ、頭を強打している以上、一刻も早く下界におろさなくては。早く、早く……。 6月9日(土) 「キギノ沢完全遡行」。はじめに聞いたときはピンと来なかった。ゴルジュ、未踏破、ボルト連打、ユマール…。私には荷が重いのではないかと思った。しかし、その魅惑的な言葉の一つ一つに負け、のこのことメンバーインしてしまった。 出発前、目の前に広げたれた大量のギア類。ボルト20本以上、ハーケン20枚以上、カム、スカイフック、ナッツなどなど。一つ一つがずっしりと重い。緊張が高まる。 あずまやとトイレのある駐車場、そして、吊橋だけが意味不明に立派なアプローチだった。2本目の橋は崩壊しており、そこから先は踏み跡らしきものはほとんどない。たまに「小鹿野山岳会」のプレートがあるが、途中でトレースは途切れる。素直に沢づたいに行ったほうが楽である。 キギノ沢の出合には「県環境保全地域」の看板とケルンがある。手前のスズノ沢の出合が紛らわしい。 結局第一ゴルジュ(「関東周辺の沢」の(3)幅3mくらいのゴルジュ)まではノーロープで到着。5段25m滝は、真ん中で水流を横切ることになり、頭から水をかぶり非常に寒いが、特にロープの必要性は感じなかった。日が当らないゴルジュ帯。今日は、水も冷たく、積極的に水流を浴びたいとは思えない。 第一ゴルジュは、通常、右の崖を高巻くのだが、完全遡行の第一歩は、このゴルジュの正面突破から始まる。まず、第一の滝(8m)をKのリードで行く。いきなり出だしで落ちて、ひやひやしたが、ハーケン、キャメロットなどの人工を駆使して突破。幅が狭いので、両手を伸ばせば、両側の壁に手が届く。 トップがダブルロープで進み、フィックス。セカンドは片方のロープを使って、ユマーリング。クリーニングをしながら、別のロープを一本引いて行き、登りきったらそのロープをフィックス。後続二人がユマーリングしてくる間に、先行二人はダブルロープで先に進むという戦略。 クリーニングにてこずりつつもセカンドをMが行き、三番目に私が登った。ユマールは12月の唐沢岳幕岩大凹角ルート以来2回目である。コツが分からずなかなか苦労する。 第二の滝は10m。真ん中は水流。右を行くか左を行くか。左に残置ハーケンがあるのを見つけて、Kが取り付く。ナッツを使い、人工を交えて一歩ずつ進む。岩が脆く、ハーケンがうまく効かなさそうである。水流をまともに浴びているのをみると、こちらまで寒くなってくる。落ち口まで残り2m。岩角にスリングをかけて、ハーケンを打とうとしていた。そこまでの支点はナッツが主だったので、ここでしっかりしたハーケンが決まれば、こっちも安心だ。しかし、よくあんな岩角に体重を完全に預けられるなあ、大丈夫なものなのだなあ、と思った瞬間、身体が壁から引き剥がされた。あっと思ったときにはグランドフォール。 背中から落ちるが、たまたまエアマットの入ったザックを背負っていたため、骨折等の心配はなさそうだ。しかし、左ひじに裂傷。振っていたハンマーを刺したのか、長さ5cmくらいは切れている。かなり深い。大出血とはならないが、だらだらと流血している。ともかくテーピングで止血。水の当らないところで様子を見るが、何とか行動は可能なようだ。 先ほどの墜落は、スリングをかけた岩角が崩壊し、そのショックでナッツが二本飛んだためのようだ。約8mのグランドフォールとなったのは、確保者が離れすぎていたのも原因のひとつ。とは言え、しぶきがかかり続ける滝下でじっと耐えるのはかなり厳しい。いざというときに、寒さで身体が動かなくなる可能性もある。この状況下、どこで確保するかは難しいと思った。 Kが動けなくなったため、Yが滝に取り付く。右から攻めるようだ。ほぼ垂直の壁。要所要所にカムを決め、人工とフリーでじっくりと突破していった。 第三の滝は8mチョックストーン。左右の壁は、ボルト連打でないと越えられそうにない。Yが偵察したところ、水流のど真ん中にはクラックがあり、カムが決められるし、ホールドになるとのこと。しかし、水はあまりにも冷たい。最初のチャレンジで、水流に半身を突っ込んで、キャメロット#3を一個決めたものの、あまりに寒さに一時退却。 Kが肩車して、そこから登りだし、高さを稼ぐことにした。とはいっても、冷たい水を浴びながらの登攀。かなり厳しそうである。梅雨入りし、昨日、一昨日と雨が降り続いた。その影響で水量も多くなっているのではないかと思う。 キャメロット、エイリアンの人工で、チョックストーンの真下までたどり着いた。そこはちょうど陰になって、水の流れからを少しは防げるようだ。しかし、そこからチョックストーンを乗越すのは並大抵じゃない。水流に果敢に挑んでは、一旦岩陰に戻る。水流は強く、なかなか進めない。そんなことをしているうちに、身体はどんどん冷えていきそうだった。それでも何とかキャメロットを決め、マントリングでチョックストーンを乗越えた。感動的なクライミングだ。全身に鳥肌が立った。なんだかすごいものを見せてもらった。耐えて、耐えて、耐えて、そして一気に乗越す。沢ヤの矜持を見た気分だ。 ユマールを終え、2mの滝を軽く越えたところにテントサイトに適した広い場所があった。今日は、第二ゴルジュ最初の滝にフィックスを張って、ここで幕営と決める。 幕営準備のため、Mをその場に残し、三人でフィックスに向かう。テントサイトにした場所から右の沢よりに高巻いていくのが通常のルートだろう。ちょっとガレっぽいそのルートを横目で見つつ、左の沢に入る。4m、5mの小さな沢を軽く越え、第二ゴルジュ第一の滝は15m。Yが左側クラック沿いをリードする。カムが良く効くし、それほど難しくはないとのこと。ただし、最後のチョックストーンだけは、苦労していたようだ。ハーケン、カム類を利用して、フィックス。時間もないので、下の二人は登らなかった。 唯一、第二の滝を見に行ったYの話では、あの滝は「とても登れる気がしない」とのこと。明日への不安が高まる。ともかく見るだけでも見てみないことには、何とも言いようがない。しかし、Yの話を聞けば聞くほど、それは壮絶な滝らしい。果たして登れるのだろうか。 6月10日(日) 5時45分テントサイト出発。 どうせ最初はユマーリングなので、準備ができたものから随時出発することになった。結果、神谷、K、M、Yの順番でユマールとなる。 第二の滝に到着。それは想像以上だった。とても自分がリードできるようなものではない。どうしても「巻くとしたらどうするか」ということを考えてしまう。 Yは少し遅れているようだ。先行三人で考えて、ともかく一段目に先にフィックスを張ろうということにした。一段目だけなら、行けそうに見えたのだ。下から見る限りでは。 7時10分事故発生。 ユマールで登ってきた15m滝にボルトを三本打つ。その間に、Mの状態も大分良くなったようだ。 自力で歩くことも懸垂下降することもできる。 Mの荷はほとんど空身の状態にし(背中の保護のため、少量の荷は背負ってもらう)、三人で分配。 9時下降開始。 自分で歩けるというというだけで、その先の行動もずいぶん違うものになったと思う。背負って搬出、となったら、その日中に下りられたかどうか。 滝は随時、懸垂下降をする。10回以上は懸垂しただろう。 懸垂下降では手を離してはいけない、とか、足元をちゃんと見ながら歩く、とか、そういうことは問題なくできるように見られた。しかし、少し止まると、目を閉じてしゃがみこんでしまうことが多かった。その他、非常に気分が悪いということ、目をきょろきょろすると平衡感覚がなくなるということ。頭痛がするということ、という三つの症状が出ていたとのこと。 12時40分キギノ沢出合。 ここまでたどり着いて、だいぶほっとできた。Mも食欲があるようで、パンなどを食べていた。 14時50分駐車場着 15時過ぎからバケツをひっくり返したような雨。 もしもこの雨の中、沢筋にいたらひとたまりもなかったであろうと思われる。一気に増水していたので、沢沿いには歩けなくなっていたと思う。これに関しては、本当に運がよかったとしか言いようがない。 秩父病院で検査の結果、左前頭葉に少量の出血が見られるとのこと。右の後頭部をぶつけたので、脳が反対側の頭蓋骨に衝突して、出血したようだ。そのまま救急車で日大板橋病院へ搬送。再検査し、ICUへ。現在は少量だが、出血が増えると障害が残る可能性もある、と言われ不安は募る。 結局13日(水)には退院。若いこともあり、それ以上は悪化しなかったようだ。 Kも日大板橋病院で左ひじの裂傷を見てもらう。6針の縫合。全治2週間以上とのこと。背中は打撲で、骨折等はなかったようだ。 今回の最大の原因はプロテクションが甘かったことだろう。岩が脆いので、ハーケンを打っても効いているとは言いがたかったようだ。支点の意味を考えれば、少なくともグランドフォールはしないだけの位置に、確実に安心できるプロテクションが欲しかった。いくら支点の数を増やしても、一つ一つが信頼の置けないものであるならば、今回のように全てが飛んでしまう可能性もある。たとえ時間がかかったとしても、最後の乗越の前にボルトを打ったほうが良かったのだろう。 とくにこういう、先が見えない開拓的なルートではその必要性が大きいと思った。滑るのは仕方がないと思う。完璧なクライミングは難しい。しかし、たとえ滑ったとしても被害を最小限に抑えるために、支点があって、ロープがあって、ビレイヤーがいるんだと思う。今回はフリーソロだったわけじゃない。 あんな怖いものはもう二度と見たくはない。 墜ちるのを見たくはないし、自分も墜ちたくはない。 そのためには、基礎から出直さなくてはならないと思う。 確実に支点を取ること、支点を確認すること、登攀技術を向上させること。 今までやってきたことを振り返り、再確認し、一からまた安全について考えようと思う。 |
6月9日(土) 曇り
4:30起床
5:30西部秩父駅 車出発
6:15林道終点
6:35駐車場出発
8:20出合
9:15第一ゴルジュ着
10:40
11:45
13:45
16:15第2ゴルジュ着
17:45幕営
21:45消灯
6月10日(日) 曇り 一時 どしゃ降り
3:30起床
5:45出発
6:10第二ゴルジュ下
7:10事故発生
9:00下降開始
12:30−12:50キギノ沢出合
14:50駐車場着
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