「週刊タニガワ日記(第3回)」
谷川岳 幽ノ沢 中央壁左フェース
2000年7月30日(日)
メンバー:菅原、神谷(記)
「十二ピッチ目だ。私は凹角と稜角の岩の形状を利用し、フリクションをきかせて鋼鉄のようなスラブの登攀を楽しんだ。快適そのものだ。この岩の感触、力強さ、人間としての生きがい、幸福感。これらは実際に岩にからだを接して初めて解することができ、ペンでの表現はとても不可能だ。次のピッチも同じ壁が続いていた。小森もこの壁のよさを十分味わっていた。」 (「わが岩壁」古川純一 中公文庫) |
この3週間、谷川を登り始めてから、山の紀行本を読み直している。「わが岩壁」(古川純一)、「垂直の上と下」(小森康行)、「初登攀行」(松本竜雄)など、すべてクライミングを始めたときにも一度読んだ本だ。その当時はまだ技術的な部分が理解できず、「ここを右にトラバースして、そこでハーケンを打って・・・」という行動の記録を読んでも、イメージがあまり浮かばず、読み飛ばしてしまう部分も多かった。 しかし、自分がそこに書かれているルートを登ることになると、話は別だ。自分がそこを登った、あるいは今度登るとなると、真剣に読まざるを得ない。彼らの息遣いがようやく聞こえてきた。登る前にはイメージを膨らませ、登った後はルートの記憶をたどり、とても面白く読める。幽ノ沢中央壁左ルートの初登は、1955年9月4日のこと。今から45年前だ。古川さんの登ったそのルートを今自分が登っていると思うとゾクゾクしてくる。歴史の深みを感じるようだ。 ただ、ルートは同じようにトレースすることができても、決して同じになれないのが、その当時の彼らの心情である。何かに追われるように必死で谷川に通い、そして初登を目指した彼らの渇えた欲望は、理解することはできない。生まれたときから恵まれた社会に育った自分には、たとえ別の意味での空虚な渇望があったとしても、それは彼らの感じていたものとは違う。戦後の混乱した時代に、それでも山に行った彼らの心中はいかなるものだったのだろうか。 余裕もなく憑かれたように山を目指しそこに満足を求めるのが幸せなのか、余暇の趣味として割り切ってそれなりの充実感を求めるのが幸せなのか、どちらがよいのか私にはわからない。しかし、今自分はここにいるのだから、自分なりに真摯に山と向き合いたいと思う。彼らの足跡を辿っていくうちに見えてくるものもあるかもしれない。
3週連続谷川岳の最後は、幽ノ沢である。「幽」なのだ。 「幽」<ユウ。くらい、かすか。(1)静かで奥深い。(2)奥まってうす暗い。(中略) (6)あの世。めいど。(7)死者>(旺文社国語辞典) 入る前から、「来るな」と言われているようなものだ。「わが岩壁」にも、幽ノ沢の水を飲んだら変な味がした、実は腐乱死体が近くにあったのだ、というエピソードがあった。否応無しに不安は高まる。 前日、谷川ロープウェイ行きの最終バスに乗って、登山センター泊。朝、真っ暗な中を歩き出す。幽ノ沢出合から沢を詰めていくが、まだ暗い。沢はかなりシビアで、ジョギングシューズではちょっとつらい。しばらく進み、大きな雪渓の前で一休みする。この先は明るくなってからではないと危険らしい。 1時間ほど待機、完全に明るくなってから歩き出した。しかし、ここからがこのアプローチの真骨頂であった。幽ノ沢のアプローチは「総合格闘技」である、とこの時悟った。沢のバランス、氷のテクニック、雪山の滑落停止技術、岩のパワー、藪のルートファインディング・・・。今まで数年間培ってきたすべての技術を使って、乗り越えていかないと、岩場まで着かない。なんだか凄い所だ。水線通しに沢をへつっていた次の瞬間には、雪渓の上でバイルを振るっている。雪渓−沢−泥−岩−氷−草付と、目まぐるしく変化していくこの状況。まさに「総合格闘技」。自分の能力を試されているような感じがした。 予想外に時間がかかってしまったが、6時15分、ようやく取付きに着いた。これが幽ノ沢か。一ノ倉とはまったく違うように感じられる。明るくて開放的なのだが、一ノ倉が「岩壁」であるのに対して、幽ノ沢は「岩山」であるように思われた。岩の中に草付が多いのだ。だから稜線上まで岩は岩なのだが「壁」というより「山」のイメージがあった。また、一ノ倉は扇形に岩が視界を覆っているのに対し、幽ノ沢は目の前に映画のスクリーンのように岩がどーんとそびえている様に思えた。ともかく、同じ谷川岳とは思えないほど、一ノ倉と違うと思った。 カールボーデンの下のほうからアンザイレンしていたので、気づいたときには核心部「Zピッチ」に来ていた。右にハングがあって、それをトラバースで乗り越える。初登の記録もここでは苦労した様子が描かれていた。それでも、よくこのカンテを越える気になったなあと思えるほど、厳しいピッチだった。カンテに出てしまえば、確かにルートは開けるのだが、そこまでが岩も脆くきつい。 今回は、極力自分でリードをしていくようにした。しかし、このルートは残置支点が少なく、緊張感が絶えない。いくらやさしいピッチだとしても、ランナウトが長くなると、さすがに不安になる。一つ一つの支点を確実に見つけていくのが、大切だ。また、下から見たときに感じたとおり、草付が多い。快適に岩を登っていたのに、いつのまにか藪こぎになっていることもしばしばだった。草付では足元が泥で滑るので、自然と草を手で掴んで腕の力で登ってしまう。いつもと違う筋肉を使うので、非常に疲れる。リードは緊張するし、怖いのだけど、充実感は大きい。セカンドで上からザイルで繋がっていると、「たとえ落ちたって」という気になってしまうが、リードだとそうは言っていられない。ランナウトが長いこのルートでは特にそうだ。今回は、ルートを少し間違えた箇所もあり、ルートファインディング能力も今後の課題である。
今回、菅原さんから、スカイフックによる人工登攀と、冬の谷川岳に関する強力な誘いを受けた。いよいよ、甘えは許されない世界へ突入か。恐ろしくもあるが、またひとつ新しい世界が見られるのかもしれないという期待もある。さて、どうなるか。
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7月29日(土)晴れ
13:30上野駅発
16:10水上駅着
17:10登山センター着
19:00消灯
7月30日(日)曇り
2:30起床
2:45出発
3:35幽ノ沢出合
4:00-5:00 R1 滝手前で待機(ヘッドランプ脱、ハーネス着)
6:15-6:30 R2(カールボーデン取付き)
6:30-8:00 4P分
8:00-8:40 5P目(Zピッチ)
8:40-9:25 2P分
9:25(外傾テラス)
9:25-11:05 4P分
11:05-11:25 R3終了点(中央稜の頭)
11:50堅炭尾根(一般登山道)
13:05-13:15 R4(茂倉沢)
15:05バス乗車(登山センター)
15:55水上駅着
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