「週刊タニガワ日記(第1回)」
谷川岳 烏帽子奥壁 中央カンテ

2000年7月16日(日)
メンバー:菅原、武藤、神谷(記)(以上中央カンテ)
村野、石川、三堀(以上中央稜)


「ここで三人は一度顔を合わせ、いよいよ中央カンテの核心部登攀に移った。リスのない壁を慎重に登り、オーバーハングの下の草付きバンドを這いずるようにして左上へとルートを取ると、垂壁に突き当たる。ちょうど「ザイルいっぱい!」の声がかかった。ここには自己確保に耐えうるであろう潅木が一本あるが、オーバーハングのために立つことができない。服部が登ってくる。彼に確保を頼んで垂壁を回りこむと、私が期待していたとおり、草付のない岩だけのダイレクト登攀がそこにまっていた。」
(「垂直の上と下」小森康行 中公文庫)

 初めての「タニガワ」である。緊張している。「タニガワ」と言う言葉は一種独特の響きを持って私には聞こえる。岩のぼりを始めたからには、聖地を巡礼するがごとく、いつかは訪れなくてはならない場所だと思っていた。数多の本がかかれ、幾多の伝説が生まれた、その聖なる場所。かつて若者たちが初登攀をめざし、しのぎを削っていた時代から、既に数十年が過ぎた。本の中に現れる、あの輝かしい谷川の姿はもう存在しないのかもしれない。しかし、それでも谷川には行ってみたい。先人たちの踏み跡をたどることによって、何かが見えるかもしれない。何かを感じられるかもしれない。
 一週間前から緊張し始めた。「タニガワ」と聞くだけで、少し震えて来る。

 3:00。暗闇の中、ヘッドランプを点け、雪渓を黙々と歩く。目の前を照らすわずかな光しか見えない。先の方に菅原さんの明かりが見える。それを目指して、ひたすら上に向かう。右手に見える岩稜の基部に進み、岩稜を更に上に進む。その頃からだんだん明るくなってきた。4:30。中央稜の取付きに着いた時には岩壁が目の前に迫っていた。突然表出したその壁は、まさに圧倒的な迫力でもって、我々の前に姿を現した。のっぺりした掴み所の無さそうな、そして敢然とそそり立っている壁。それこそが「衝立岩」であると、菅原さんから教えられた。あれが「ツイタテ」か・・・。ゾクゾクと背筋に寒いものが走る。今はとても登れそうには思えないが、いつかはあそこにいく日が来るのだろうか。
 見回してみると、周り一面壁だらけ。あっちが滝沢で、そっちが南稜で、裏っ側に幽ノ沢・・・。さすが谷川だ。見渡す限りに岩のルートがあるのか。ドキドキしてきた。こんな凄い世界があったのか。今の実力でこの中のどれだけの場所に行けるのだろうか。そして今後どこまで行けるのだろうか。これが谷川なのか。素晴らしい。と思うのと同時に、ここで命を落とした多くの岳人たちを想い、神妙な気分にもなる。ここは、気を抜くと命を奪われる場所だ。とにかく今は、今回安全に登り切って、無事に降りてこれることを考えよう。
 さて、ここで中央稜メンバー(村野、石川、三堀)と別れ、我々(菅原、武藤、神谷)は、左手にトラバースして中央カンテの取付きへと進む。
 心配された天気も何とかなりそうな感じだ。国境稜線方面はガスがかかっているが、反対側は青空ものぞいている。一時は天気が悪そうなので、谷川はあきらめ三ツ峠へ・・・という話もあったが、思い切って来てよかったと思う。
 5:00。取付きに到着して、ここからが本番だ。本チャンデビューの武藤さんは表情が硬い。だいぶ緊張しているようだ。そういう自分もこれが谷川デビュー。いよいよだ、と思うと緊張は隠しようもない。さっそく菅原さんがリードして行く。すいすいと進んで、あっという間に岩に隠れて見えなくなった。コールがかかり武藤さんが続く。まだ動きに堅さが見える。でも、着実に進み、武藤さんも見えなくなった。そしてそのあとを私が行く。見た目は簡単そうなのだが、岩が脆くホールドが崩れやすい。浮き石が多く、一つ一つ確かめて進まないと、落石してしまいそうだ。見た目よりは厳しく感じた。
 2P目は、濡れていて滑りやすいものの、傾斜は緩く、慎重に行って問題無くクリア。3−4P目、ルート名の通りのカンテを行く。展望も良く天気も良い。岩も乾いていて、グイグイと身体を引き付ける快適なクライム。そして5P目。最初の核心。V−(「日本のクラシックルート」山と渓谷社)のチムニー。身体が奥に入り込んでしまうと苦しそうだ。なるべくチムニーの外側で身体を突っ張って登る。スタンスはしっかりしているので良く見れば十分行ける。武藤さんは厳しそうであったが、A0を使って無事登り切った。
 6P目のフェースを越え、7P目がこのルートの本当の核心部。あぶみを使用するところだ(A1)。ビレイポイントから、いきなり垂壁。菅原さんはA0(あぶみなし)で越えていった。武藤さんもA1で何とか越えた。さて、自分はA0でいけるかな、と思ったが、壁の上の丁度ホールドになるような岩が浮き石になっていて、非常に怖い。ちょっと努力はしてみたが、諦めてあぶみを出す。フェースを左上した所で、今度はハング。ここは当然あぶみ。出口が悪く、少し戸惑う。上か右かと思うが、どっちに行っても足の置き場がない。結構歯ごたえのあるピッチだった。
 その上が「四畳半テラス」であった。ここで大休止をし、後続パーティを一つ先にやる。と、突然大崩落の音が聞こえる。グワラグワラという轟音。白い煙を上げながら断続的に岩が落ちていく。あれは滝沢第三スラブ。登っている人はいないようだが、突然にあんなものが上から落ちてきたらたまったものではない。当たったら即死だろう。自然の恐ろしさをまざまざと見せ付けられた。あんなところ、人が登っちゃいかんと思う。
 岩を彩る緑が眩しい。今日は爽やかな岩のぼりになった。でも菅原さんは緑の谷川は物足りないらしい。「やっぱり谷川は白くないと・・・」とのこと。うーむ、そこまではまだ着いていけません。
 8:00に中央稜パーティと定時無線交信。「泥のルンゼ」とのこと。あちらも順調のようである。
 30分ほど休んで再開。8−9P目は、快適なクライミング。気持ちが良い。所々おやっと思うような難しい場所もあるが、それもまたよし。多少は考える部分も欲しい。最終10P目は、最後がいやらしい。濡れていて非常に滑るし、しかも岩が脆く、ホールドもはっきりしない部分がある。武藤さんは上から「お助けシュリンゲ」を出してもらって登る。なかなか気の抜けない怖い場所だった。
 最後はヤブを抜けて終了。終了点に来ていた中央稜パーティと合流して、一般稜線を目指す。長いヤブを抜け、5ルンゼの頭ではザイルを出しつつ、一ノ倉岳まで登り切る。みんなバテバテ。特に武藤さんはきつそうである。クライミングで力を使い果たしてしまったのだろうか。そのあとにこんなに長い登りが待っているとは思いもしなかっただろう。しかも、ここが本当の終わりではなく、ここからさらに長い下りを越えなくてはならないのだ。

 充実した一日だった。中央カンテは、このメンバーのレベルを考えると丁度良かったのだろう。武藤さんは初めての本チャンで良く頑張っていたように見えた。簡単すぎて物足りないこともなく、難しすぎて登れないということもなかったようだ。満足できたのではないだろうか。私自身もこのルートのレベルには満足できた。でも、次回は是非リードで登りたいと思う。浮き石が多く、岩が脆いので、オールリードは難しいかもしれないが、ある程度なら行けそうに感じた。
 さあ、いよいよ谷川デビューを果たした。これから更にここで経験を積まなければと思う。登るべきルートは見渡す限り、まさに山ほどある。


7月15日(土)晴れ

14:30立川発(車)
17:30湯桧曽駅着
20:00消灯

7月16日(日)晴れ

2:00起床
3:00一ノ倉沢出合駐車場着
3:45岩稜取付き
4:30中央稜取付き(ヘッドランプ脱、靴替え)
5:00中央カンテ取付き
5:00-5:20 1P
5:20-5:40 2P
5:40-6:00 3P
6:00-6:30 4P
6:30-6:55 5P(チムニー)
6:55-7:20 6P
7:20-7:50 7P(A1ハング)
7:50-8:15 R(四畳半テラス)
8:15-8:30 8P
8:30-8:55 9P
8:55-9:25 10P
9:25-9:35 ヤブ
9:35中央カンテ終了点
10:55一ノ倉岳
10:55-11:20 R(一ノ倉岳)
11:55オキノ耳
14:40一ノ倉沢出合駐車場着


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