「ミレニアム(?)な冬合宿」
1999年冬合宿(南八ヶ岳)

日程:1999年12月29日(水)〜31日(金)
メンバー:村野、神谷(記)

12月29日(水)晴れ<広河原沢三ルンゼ>
 「今までの山で一番怖かった。
と村野さんをして言わしめたのが、広河原沢三ルンゼ終了間近の壁。
 本来ならば、難なく突破できるような壁なのだろう。『Rock&Snow1999年冬号 八ヶ岳研究p.37』には「・・・80度くらいの急傾斜の滝の右側(ミックスの斜面)を泥にバイルを打ちこみよじ登る。これが終了すれば三ルンゼもほとんど終了だ。・・・」とある。たいして問題にはしていないような書き方だ。たぶん、氷や雪の状態でかなり感じが変わってくるのだろう。少なくとも我々が行ったときには、そんなに簡単に登れるような状態ではなかった。
 我々は、直前の滝を登り切り、ほとんど三ルンゼも終わったような感覚で、ザイルをザックにしまっていた。終了点も近いだろうと考えながら、結構な急斜面を膝下ほどのラッセルで進んで来ると、問題の壁が突然現れた。見た目にはノーザイルで登れそうであり、また確保支点を取れそうな箇所も見当たらないため、私が軽く登ってみた。しかし、見た目よりは難しく、ザイルなしではちょっと厳しいかなと感じ、村野さんと交代。村野さんがノーザイルで登った。
 そこは2mくらいの幅の急傾斜の滝で、右側に少しだけ氷が着いていた。しかしその氷はあまり信用できる状態になく、結局左側の岩壁をフリー中心で登らざるを得ないようだ。一歩づつゆっくりと、しかし確実に足を進める村野さん。下から見ているこちらも緊張する。滝の下部(私が待っている場所)も特に安定しているわけではなく、ハーケンが一つ打ってあるのでセルフビレイは取れたものの、斜面上であり、もし村野さんが滑落したら、かなり下の方まで滑っていってしまうことが予想される場所である。もし落ちてきたらどうやって受け止めようかと考えながら、村野さんの様子を見続けた。
 しばらくすると村野さんが一息ついている。滝の中央部にハーケンがあり、少し休む余裕があるようだ。この支点が下から見えていれば、ザイルを使ったかもしれない。ザイルがあればもっと楽に登れたのではないだろうか。しかし、今更もう遅い。今からザイルを出すわけにはいかない。村野さんは息を整えて再び上を目指す。その上もさらに悪そうだ。微妙なバランスを要求される。
 祈るように見つめていると、「ほへぇー。怖ぇー。死ぬかと思ったー。」という声が聞こえた。何とか無事に抜けたようだ。ほっと胸をなで下ろす。ともかく何事もなく登り切れてよかった。さすがは村野さんだ。
 私はというと、上からザイルを降ろしてもらい、確保された状態で登った。岩がもろいのでつかんだ岩がはずれ、何度かひやっとさせられたりして、ザイルの安心感を大きく感じつつ、何とか登り切ることができた。
怖い場所であった。

 その日は朝から快晴。気温もそれほど低くはなかった。八ヶ岳は今年は雪が少ないと聞いていたので、氷は大丈夫なのかと心配しつつアプローチを歩いていた。車は舟山十字路から少し入ったところに停めた。林道の終点までは行けなかったが、歩いてもたいした距離ではなかった。トレースはしっかり付いていたが、氷はそれなりに残っており、久々のアイスクライミングを堪能できた。バイルを打ち込み、アイゼンを蹴り込んでいくというこのアイスクライミングの「自分の力で登っている」という感覚がたまらない。前々日の富士山からの地獄の下りの影響で、ふくらはぎの筋肉が常につりそうな状態なのが苦しいが、このアイスの楽しさで痛みも吹っ飛ぶというものだ。
 2段30mの滝でザイルを付け、村野さんリードで登る。気温が高いせいで融けはじめ、水っぽくなっているところがある。いやな感じだ。滝自体は2段目が斜度がきつく、なかなか手強い。時間をかけつつ、何とか登る。
 この後、膝下程度の軽いラッセルになる。軽いとは言え、富士山で筋肉痛の足にはきつい。一歩一歩両足に鈍痛が走る。休み休みゆっくりじっくりと進む。体力的にここまできついのは、学生時代以来かもしれない。
 そして、冒頭の「恐怖のミックス壁」を抜けて、しばらくすると阿弥陀南稜P4下に出る。
 ほとんど雪のない岩場を抜け、ようやく阿弥陀岳ピークに到着。阿弥陀は何度も登っているが、ここまで充実した阿弥陀は初めてかもしれない。見慣れた阿弥陀のピークだが、いつもと違った景色に見えた。無事にここまで辿り着けたことを村野さんと喜び、しばらくぼうっと休んだ後、予定テンバの行者小屋へと下った。

0:45 車着
2:00 消灯
5:30 起床
7:00 出発
7:15 林道終点
7:30 二股分岐
7:55 中央稜分岐
8:00-10 R1(2050m地点)
8:20-45 R2(右股との分岐)アイゼン着用
9:20-30 R3(2260m分岐)
10:10-20 R4(三ルンゼ出合)
10:50 二段30m滝着
11:20 リード(村野)発
11:55 セカンド(神谷)発
12:25 上部到着
12:45-13:10 R5(二股)
12:45-14:35 「恐怖のミックス壁」
15:10 稜線上着
15:35-16:00 R6(阿弥陀岳ピーク)
16:20 行者小屋着
19:30 消灯

1月30日(木)快晴<三叉峰ルンゼ(敗退)→石尊稜>
 朝は寒かった。ツエルト一枚では、ほとんど外に寝ているのと同じなのではないかと思った。でも、仕方ない。今回は軽量化&継続登攀で、アルパインクライミングの経験しているのだから。
この日は「三叉峰ルンゼ」に向かった。行者小屋から赤岳鉱泉に向かうときにも如実に感じられたのだが、今年は雪が少ない。雪の下から地面がのぞいている場所が、そこかしこにある。
とりあえず、取り付きまで進んでみるが、見た瞬間にあきらめ、だった。核心である大滝の下部がほとんど崩壊しており、いきなりハングアイス状態。一手も手を出すこともできず敗退。あれは相当の「アイスダンサー」でないと無理でしょう。(後日、ICIに張り出してある『アイスクライミング情報』を見たら、「F1は悪いが十分登れる」みたいなことが書いてあった。そうなのか・・・。)
 さて、どうしようかと思ったが、村野さんは、
 「俺はテントで寝てるから、神谷は独りで赤岳にでも行ってくれば・・・。」と寂しいことをおっしゃる。
 いくらなんでもそれはないでしょう、と思ったので、何とか隣の「石尊稜」に二人で行くことにした。
 石尊稜も雪は少なく、ほとんど岩稜のようであった。下部岩壁はノーザイルで登った。慣れないアイゼンでの岩のぼりで、緊張し、かなり怖い思いをした。「アイゼンの前爪を信用する」というのは分かっていても、難しい。
 先行パーティが2人いたので、順番待ちしつつ、ゆっくり進む。11:00ころになり、ようやく日があたり出してきた。暖かくなり、風も穏やかで天気もよく、厳しい冬山にいることを忘れてしまうほどであった。
 上部岩壁ではザイルを付ける。1ピッチをリードしたが、ホールドも多く、下部に比べたら、らくらくな感じがした。ただし、ハーケンボルト類は少ないので、シュリンゲを岩にかけることが多かった。そういう支点の作り方は今まであまりしてこなかったので、いい勉強になった。2ピッチで上部岩壁は終了。稜線上に出た。なかなか手応えのある岩稜だった。
 行者小屋に着くと、暑いくらいの陽射し。眠くなってくる。
 しかし、14:00前には日は稜線に隠れてしまう。すると一気に気温は下がり・・・。再び寒い夜が始まるのだ。

5:00 起床
7:15 出発
8:15 三叉峰ルンゼ取付
8:45 石尊稜取付
9:40-55 R1 (2625m地点)
10:20 上部岩壁着
10:30-11:00 P1
11:00-25 P2
11:30 稜線上着
12:00-12:10 R2(地蔵尾根分岐)
12:40 行者小屋着
19:15 消灯

12月31日(快晴)<阿弥陀岳北稜>
1999年も今日で終わり。ミレニアムな大晦日。でも山にいるとそんなことはほとんど関係ない。周りの大量のテントから夜な夜な大騒ぎが聞こえてくるのが気になるだけ。
 今日は、阿弥陀北稜から、御小屋尾根を通って車に戻る。
 北稜には、先行パーティが4人。少し順番待ちをする。岩自体は2ピッチ。それほど難しい箇所もない。阿弥陀岳に登るのであれば、暗くて寒い中岳沢を登るより、快適な尾根歩きになる北稜の方が楽しいと思った。技術的にも難しくないし、ちょっとしたバリエーション気分だし。
 予定より早く、9:45には阿弥陀岳に到着。今回は三ルンゼ+南稜に続いて、北稜という新しい阿弥陀岳を知った。見知った阿弥陀岳にもまだまだ知らない面がたくさんあること知り、新鮮な気分であった。
 今日も天気がよく、暖かい。御小屋尾根は展望もよく快適。さくさくと下る。途中水場分岐を過ぎ、2165mの平らなところから、赤テープに沿って南に降りる。結構薮っぽいところもあり、滑りやすく、急斜面。何とか降り切ると、広河原沢の最初の二股のところに出た。車まで少し歩いて、おしまい。
 おつかれさまでした。

4:00 起床
7:00 出発
7:30-40 R1 (2495m地点)
8:10-20 R2 (2625m地点)
8:45-9:00 P1
9:00-35 P2
9:45-10:15 R3 (阿弥陀岳ピーク)
10:50-11:00 R4 (水場との分岐)
11:10-20 R5 (下降点分岐 2165m)
12:20 車着




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