「ドコへ?」  (タイトルと本文は直接関係ありません)
1999年夏合宿日記(北アルプス涸沢BC)

日程:1999年8月7日(土)〜8月11日(木)
メンバー:村野、浅尾、中村、神谷(記)、野口(浅尾、中村は8月10日下山)

長い梅雨だった。週末の度に雨が降っていた。
谷川岳×3回、北岳×1回、沢登り×2回・・・雨天のため中止となった。
だんだん禁断症状が出てきた。
犬の散歩をしている人を見ると、手がむずむずしてくる。
綱を見て、ザイルの感触が手に蘇るのだ。
街でふと「カラテスクール」の看板を見てビクッとする。
「(中央)カンテ(?)」かと思ってしまうのだ。
梅雨明けと夏合宿のみを待ち続ける日々が続いた。

8月7日(土) 上高地〜涸沢
 朝から天気は上々、暑い日が予想される。ようやくこの日がやってきた。
 沢渡から上高地へのタクシーの中から山が見えるだけで、心が踊り出す。
 さすがに夏の上高地は人が多い。でもクライマーはほとんどいない。どうなっているのか。
 何故かは知らぬが、100リットルが一杯になり、あまつさえサブザックは外に出ているという、ばかでかいザックを背負っていざ出発。
 途中横尾の先の屏風岩がよく見えるポイントで、ルートについての講義を受ける。岩が垂直にそそり立っている。あれを登るという現実感が全くない。と言うより人がよじ登るなんて、想像もできない
 私は本当にあそこを登るのか。登れるのか。
 正午をすぎると、山に雲がかかり始める。暑かった日射からも少しは逃れられてホッとする。
涸沢到着。ふと見ると、今日と明日は「涸沢音楽祭」と言うことで、楽団の演奏があるそうだ。狙ってきたわけではないが、ちょっとラッキーかも。
 と言うことで、14:30からのオープニングステージを聞くことにした。
 偶然にも「岩と氷」の高木さんも別パーティで涸沢に来ていた。彼女は演奏の様子をスケッチしていた。さすがイラストレーター。
 その後、涸沢ヒュッテの裏で、人工登攀の練習。野口さんは人工は初めてだそうだが、よく登っていた。
 暗くなってきたので、明日からの本番に備え床につく。

2:30沢渡駐車場着
5:00起床
6:00タクシー乗車
6:20タクシー下車
6:50上高地バスターミナル発
7:30-45R1明神
8:30-45R2徳沢
9:35-10:10R3横尾
10:50-11:00R4屏風岩展望地
12:40(14:00)涸沢着
14:30-15:00涸沢音楽祭
15:00-18:00人工登攀練習
18:00-食事(鰻丼、海草サラダ)
20:20消灯

8月8日(日) 滝谷ドーム北壁(浅尾、神谷)/北穂東稜(村野、中村、野口)
 起きると満天の星空、輝く月。いよいよ本チャンデビューの日だ、と思う。
 この日は、浅尾・神谷がドーム北壁登攀。村野・中村・野口が北穂東稜へ。
 北穂へのルートを登っていると、涸沢からファンファーレが聞こえる。
 「涸沢音楽祭」の一環、日の出のトランペットデュエットだ。何とも劇的な本日の幕開け。
 振り返ると、雲海に浮かぶ富士、八ヶ岳が見える。
 ドーム北壁には他パーティはいなかった。我々の貸し切り。思う存分登れる。
 まず、ドーム北壁左ルートを浅尾さんが人工でリードする。すいすい登っていくので簡単なのかと思いきや、全然そんなことはない。残置ピンはたくさんあるので迷うことはないが、フリーが混じってくるのでいやらしい。下を見るとさすが滝谷、スッパリ切れ落ちていて、奈落の底から悪魔の呼び声が聞こえる。なるべく上へ上へと目指して先を急ぐ。なんとか到着。
 時間があるので、2本目をどうしようかと思案。村野さんが、東稜終了後、登攀組に合流して雲表ルートに行きたいと行っていたことを思い出す。が、村野さんパーティとの無線交信は、東稜に取り付いたとき以来途絶えている。現在どのあたりか分からないので、こちらで先に北西カンテを攻めることに決定。その矢先に村野さんから交信が入る。北穂の頂上に着いたところとのこと。雲表ルートに行きますか?の問いには「くたびれました。」との返答。では、何の気兼ねもなくなったので、北西カンテへGo!
 初めての「本チャン」「リード」「人工」で、大変緊張した。
 やはり、セカンドで登ったときとは全然違う。手が震える。足が震える。今にも落っこちそうだ。
 3分の2くらい来たとき、突然「もう嫌だ」と思った。
 何回あぶみを掛け替えただろうか。いくら登っても先が見えない。この壁は永遠に続いているのではないかと思った。
 ふと下を見てみる。悪魔の呼び声が聞こえた。吸い込まれるような感じがした。
 負けられない。進まなくちゃ。
 上を目指すことしか、自分に残された道はない。とにかく上へ。
 そのあと、また何度あぶみを掛け替えたことか。
 ようやく手が平らな部分にさわった。身体をぐっと引きつける。
 解放。
 もう、あぶみは要らないんだ、その事実がとても自分をほっとさせた。

3:00起床
3:00-4:45食事(餅入りたまご雑炊)
4:45B.C.発
6:50北穂分岐
7:20ドーム下部への取り付き点
8:00ドーム下部(ビレイ支点)
<北穂 滝谷 ドーム北壁 左ルート>
8:20-9:40P1(浅尾リード)
9:40-10:00P2(神谷リード)
10:30ドーム下部(ビレイ支点)
<北穂 滝谷 ドーム北壁 北西カンテ>
11:00-12:40P1(神谷リード)
12:40-13:00P2,3
13:10ドーム頂上発
13:40北穂分岐
14:50B.C.着
16:00-17:00食事(各自レトルト、海草サラダ)
19:00消灯

8月9日(月) 屏風岩東壁雲稜ルート(村野、神谷)/ジャンダルム(浅尾、中村、野口)
 本日は、村野・神谷が屏風岩東壁雲稜ルートへ。浅尾・中村・野口はザイテングラードからジャンダルムへ向かう。
 今日も星空。行程が長いことを考えて、まだ暗いうちに出発する。本谷橋を越え、岩小屋付近で沢をわたってT4尾根へ。T4尾根までも落石が多くもろいので、結構危険である。
いよいよ登攀開始。
 先行パーティが1つ。T4尾根取り付き部にツエルトが一つ。後続も2パーティほどいた。
 そのうち、雲稜を登るのは我々と、もう1パーティのみらしい。
 まず1P目。神谷リードで、左上バンドをテラスへ向かう。下で待ってる(他パーティの)人たちが気になるが、なんとかテラスへ到着。
 2P目。村野リード。ここの凹角が曲者だった。
 左手で突っ張る。右足を挙げる。左足も挙げる。右手を伸ばして身体を引きつける・・・。
 というのは分かるのだが、最後の「右手で引きつける」がどうしてもできない。何度も繰り返すうちに右手がパンプしてきた。何でこんなのができないんだ。ここはまだアプローチだぞ。雲稜ルートにすら入っていない。下を 見ると、後続パーティが1P目を終えて、テラスに入ってきている。あせる。
 ゆっくり腕を休ませて、エイヤッと行くが、どうしても駄目。
 泣きたくなってきた。自分の雲稜はここまでなのか。
 30分くらい奮闘したろうか。上から村野さんが、「プルージックでもいいからあがってこい」とのコール。やむを得ない。降りるわけにも行かないので、口惜しいがプルージックを使う。
 この時点で、全身はすでに疲れ果てていた。
 雲稜の取り付きに着いたときに、先ほどからずっと考えていたことを口に出した。
 「申し訳ありませんが、これ以上は限界です。」
 たかがアプローチのT4尾根でさえ自分の手に余り、プルージックを使うようでは、この先に進むことができるとは思えなかった。この調子で時間がかかったら、(ただでさえ長時間ルートなのに)上までたどり着くことはできないだろう。もし引き返すとしたら、壁に入る前がいい。今しかない、と思った。村野さんには申し訳ないが、「屏風岩」という壁は自分には少し大きすぎたのだ。昨日初めて本チャンルートに行ったような人間は、岩壁を前にして門前払いなのだ。
 村野さんは、ちょっとびっくりしたようにして言った。
 「身体が回復するまでちょっと待ってみよう」
 私もそれに同意して、とりあえず落ち着いて、この全身パンプ状態の回復を待った。
 そして10数分後。
 「とにかく行ってみよう」との村野さんの言葉に支えられ、不安ながらも壁に取り付くことにした。
 その時点で、上まで行けるとはとても思えなかったが、身体も少し回復してきたし、壁を見ているうちに何となく行けるかもしれない、という気になってきていた。
 一抹の不安を残しながらも、いよいよ登攀が始まった。
 まずは村野さんがリードで3P。扇岩テラスまで進む。
 とにかくこの日は暑かった。朝から照りつける日射は容赦なく我々二人を襲う。
 逃げ場のない岩壁。水分を補給する余裕もなく、ただただビレイし、登る。
 「かつては人工登攀の代表的なルートであったが、現在は常識的にそのほとんどがフリーで登られ・・・」とガイドブックにあるが、「常識」なんか知ったこっちゃない。とにかく「人工」である。こっちは必死なんだ。
 扇岩テラスまで来てちょっとほっとする。ようやくザックが下ろせる。水が飲める。
 ここまでなんとか来られたことで余裕が出てきた。この分なら上まで行けるんじゃないかと思えてきた。
 そこで、扇岩テラスからの人工ルートをリードしてみることにした。
 ボルトのリングはほとんどなく、スリングがなんとかぶら下がっているような支点ばかりだが、間隔は狭く、確実に進めば問題ない。ただ、急にフリーが混じるところがあり、そういうのはやはりいやらしい。
本来なら途中で切るところだが、ビレイ支点があまり良くなかったので、一気にその上のトラバースまでのばしてしまう。このトラバースが結構怖い。人工の壁が終わった、と安心できないのが嫌な感じ。
しかし、相変わらず暑い暑い暑い。のどの奥があまりの乾きに張り付いてしまう。身体はもうとろけそうだ。でも、油断禁物。まだ先は長い。
 ここから先はつるべで登る。ルンゼ状スラブもいやらしい部分がある。
 でも迷わず人工を使ってしまう。ここまで来たら、もう躊躇も何もない。フリーにこだわる余裕もない。
 泥と砂のルンゼを抜けるとようやく終了点。
 これで終わりなのだ、という感慨に包まれる。
 やればできるんだ、と思った。結局、T4尾根2P目ほどに難しいところはなかった(というか、その後は全部人工を使ってしまったから)。あそこでやめて、帰らなくて良かったと本当に思う。この長大なルートを登り切ったという想いが、ひしひしと身体に溢れてきた。昨日までの自分とはちょっと違うぞ、と言いたい。
 それにしても、村野さんにはいくら感謝してもしきれません。雲稜を無事登れたのは、本当に村野さんのおかげであると思うのです。

2:30起床
2:30-3:35食事(餅入りラーメン)
3:35B.C.発
5:051ルンゼ押し出し
5:45T4尾根取り付き
7:00雲稜ルート取り付き
10:00扇岩テラス
13:00終了点
14:25屏風の頭
15:45涸沢ヒュッテ
16:30-17:30食事(五目ご飯、海草サラダ)
20:00消灯

8月10日(火) 北尾根4峰松高ルート(村野、神谷、野口)
 今日は実質最終日。浅尾さんと中村さんは都合により1日早く下山。お疲れさまでした。
 残った村野・神谷・野口で松高ルートを目指す。
 アプローチがまず遠かった。五六のコルに乗り上げて、沢を下って尾根を巻いて、悪いルンゼを行く。
 同じルートを藤沢山岳会の四人組が先行していたが、彼らは初めて来るルートで迷い気味だった。村野さんは一度来たことがあるそうで、こちらが先に立って案内するような形になった。そのうち後方から別の二人組も現れた。今日、4峰正面壁方面を狙うのは3組9人と言うことのようだ。
 落石の多い悪いルンゼを抜けると、ようやく壁が見えた。さて、いよいよだ。
 後から来た二人組が松高ルートを行くというので、先に行かせる。こちらは3人だし、時間がかかることが予想される。ちなみに藤沢山岳会は北条=新村ルートを行くそうだ。
 先行する二人を見ているうちに、何かが違うことに気づいた。
 二人が登っているのは、本当に松高ルートか。もしやあれは北条=新村ルートではないのか?
 ルート図を確認する。やはりそうだ。あれは松高ルートではない。ということは・・・。
 すっかりだまされた。あわててバンドを少し下る。しかし、取り付き部分がいまいちはっきりしない。
 仕方がないので、何となくそれっぽい「草付のルンゼ状」部分を登る。が、残置ピンがほとんどなく、ランニングビレイが2-3カ所しかとれない。やはりこれは違うルートなのかもしれない、と不安になる。村野さんも前回ここに来たとき、松高ルートを登ろうとして(間違えて)隣の名もないルートを登ってしまったそうだ。わかりにくいルートなのかもしれない。松高ルートであるという確証もないまま先を進む。
と、気づくと「草混じりフェース」らしきところを登っていた。やはり正しかったのか。それともどこからか合流したのか。
 よく分からないまま、なんとか無事核心たる松高ハングにはたどり着いた。
しかし、ここで野口さんが捕まった。ガイドブックによると「有名な松高ハングは案外小さく、あっさりA0で越えてしまうだろう。」とのことだが、ここのハング部分があぶみを使ってもどうにも登れないようだ。やはりまだあぶみに慣れていないのが問題なのだろうか。何度挑戦しても、あと一歩のところで落ちてしまう。腕の力が入らない、と彼女は言う。でもくじけず何度も何度もチャレンジする。その努力は素晴らしいと思う、が、歯がゆいまでに登れない。
 結局、松高ハングとその上部の凹角部分で2時間半くらいかかってしまう。
ようやく松高テラスに到達するも、ここの出だしもA0。ここまでで時間がかかりすぎていることも考慮し、野口さんを空身にする。
 どうにかこうにか4峰頂上までたどり着くが、すでに日暮れは近い。日没までにせめて五六のコルまで行かないとビバークは避けられない
 急いで4峰から駆け下る・・・つもりだったのだが、そんなに簡単ではなかった。
 ものすごく足場が悪い。浮き石の連続。どうやったって落石は避けられないようなルートだった。心は焦るが、慎重に慎重に足を運ぶ。でも何度も落石を落としてしまった。
 合計で3回はバランスを崩して(滑落して)死にそうになり、5回は(落石で)人を殺しそうになった(と思う)。
 五六のコルに着いたときはほっとした。みんな無事なのが奇跡のようだ。
 ちょうどコルに着いた頃、あたりが真っ暗になった。ヘッドランプなしで行動できるのもここまでのようだ。本当にギリギリセーフという時間だった。
 何故か、北条=新村ルートに行った藤沢山岳会の4人も、同じタイミングの下山だった。詳しく聞かなかったが、あちらのパーティも大変だったようだ。
 そこからもまた長い長い下り。涸沢に着いたのは午後9時前だった。
 長い一日だった。でも無事帰って来られた。よかった。

3:00起床
3:00-4:30食事(餅入りラーメン)
4:30B.C.発
5:30-5:50五六のコル
8:45北条=新村ルート取り付きT1
10:00松高ルート取り付き
15:00松高テラス
17:45四峰
19:00五六のコル
20:45B.C.着
21:00-22:00食事(たらこスパゲティ、コーンスープ)
22:30消灯

8月11日(水) 涸沢〜上高地
5:30起床
5:30-7:45食事(餅入りワンタンメン)、後かたづけ
7:45涸沢発
8:45-55R1本谷橋
10:00-10R2横尾
11:00-10R3徳沢
12:00-10R4明神
13:00上高地



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