ポーランド氷河ルート(Polish Glacier Route)は、アコンカグアの北東斜面のよく目立つ氷河を登るルートであり、アコンカグアで(ノーマルルートに続き)2番目に人気あるルートとなっている。現在ポーランド氷河へのアプローチであるバカス谷を、アコンカグア登頂を目指す全登山者のうち約20%が選択している。登行には、ピッケル、アイゼン、ザイルなどの登攀具を必要とし、クレバス対策など氷河登高技術を持つ適度に経験のあるクライマーにとっては、望ましいルートと言える。
[アコンカグアについて]
アルゼンチン西部メンドーサ州に位置する、標高6959mの山。
南アメリカ大陸最高峰であると同時に、アメリカ大陸最高峰、西半球最高峰、南半球最高峰でもある。
アンデス隆起帯状に噴出した火山体であるが、火口はなく、噴火記録もない。
角閃石安山岩や崩れやすい礫岩からなる。
[アコンカグア登山小史]
(0)1883年ポール・ギュスフェルトが登頂に初挑戦するも6600m地点にて吹雪に阻まれ失敗。
(1)1897年1月14日マティアス・ツールブリッゲン(スイス)初登頂
(2)同年2月13日スチュアート・ヴァインズ、ニコラ・ランティ登頂
(3)1906年1月31日ドクトル・ヘルブリング登頂
(4)1925年M・F・ライアン、C・W・R・マクドナルド、J・コクレイン登頂
(5)1928年デ・ラ・モッテ、J・ラムゼイ・アルマン登頂
(6)1932年ボルヘルス、マース、シュナイダー登頂
(7)1934年3月8日チャボド、S・セレサ、P・ギリオーネ、ニコラ・プンタムラ、パステン登頂
(8)同年同日ナルケヴィッチ・ヨトコ、ダシンスキ、オシェッキ、オストロフスキ登頂
1940年アドリアナ・リンク女性初登頂
1953年早稲田大学遠征隊(関根吉郎隊長)、日本人初登頂
1953年E・ウェルタ、F・ゴドイ、H・バサラ冬期初登頂
1954年フランス隊南壁、初登頂
1968年植村直己、登頂
1981年長谷川恒男、南壁冬期単独初登頂
この8回目の登頂者こそ、ポーランド氷河ルートの初登頂を果たしたポーランド人達である。
[ポーランド氷河登攀]
1934年3月5日上記の4人にカルピニスキ、ドルワスキを加えたポーランド人6人が5500mにキャンプを置き、登山活動を始めた。
3月5日北西面の崖をめざし、5900mにキャンプを張った。
3月6日崖をまわり込み、氷河を登り6300mに高所キャンプを建設した(ピエドラ・バンデラのことか?)。
3月7日カルピニスキとドルワスキは頂上アタックを試みたが、強風のため失敗。
翌8日残る4人がアタックへと出発した。非常な寒さの中8時間をかけ、頂上に達した。奇しくもノーマルルート側のイタリア隊の登頂から6時間後のことだった。二つの遠征隊はお互いのことを全く知らず、イタリア隊が下界に戻ってみると、頂上に置いてきたばかりのはずのイタリア国旗があり、大変驚いたという逸話が残っている。
彼らのポーランド氷河からの初登頂は、時代を遥かに超えたクライミングにより成し遂げられたといわれている。
参考資料
「ACONCAGUA:A CLIMBING GUIDE」R.J.Secor著
「アコンカグア山頂の嵐」チボル・セケリ著
「コンサイス外国山名辞典」
「INSTRUCTIVE HANDOBOOK FOR THE ADMITTION THE PARK」(入山許可証取得時にもらえる小冊子)
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