<10.随想>   (記:三堀)
アコンカグアの旅―登山紀行―


  旅に今の人生を賭けよう、と大学を中退してしまってから今まで自分は何をやってきたというのだろう。卒業、就職と安定した社会生活を送っている者から見れば、自分にはこれといって彼らの目に適う所業を成したこともなく、旅の行き来を繰り返してきたに過ぎない。
  日本の社会から逃げるために旅に出、旅から逃げるためにチャリダー(自転車旅行者)となり、チャリからも逃げるために山に向かうようになったのかもしれない。でもそんなことより先ず、それらが好きだからやっているのだ。
 好きだからやる。やりたいからやるんだ。好きなことからさえ逃げたら、自分はどうなってしまうのか、考えると怖かった。
 何の迷いもなく旅していた頃ほどには純粋な気持ちで旅できなくなっている自分に、ある時気付いた。それからは旅の内容を考えるようになった。誰よりも素晴らしい旅をしてやるんだと意識して、ただ漫然と旅の時間を過ごすのではなく、確たる目的を持って旅することを考える。
 トレッキングでここを歩く。
 手段として自転車を使う。
 山に登る。
 南米を目指すとき、頭に浮かんだのが自転車の旅、そして最高峰アコンカグアへの登山であった。
 南米、そしてアンデスという響き、魅力的である。
 アコンカグア。ノーマルルートは歩いて登る山である。標高こそ高いが何の登山技術も要らない、根性で登るルートだ。時にはチャリダーさえ旅の途上で登っている。山をやる人間としては少々もの足りない気がした。
誰よりも素晴らしい旅の実践。南米を自転車で旅し、アコンカグアをノーマルルート以外の多少技術を要するルートから登頂すれば自分も満足できるはずだ。
 満足感はどこから得られるのか。自己満足ということばもある。そうした満足は第一に自分の好きなことをやり遂げること、そしてそれに対し他人から評価を受けること、だと思う。人があまりやらないこと、できないことを成し得た時の充実感はそんなところから来るのではないだろうか。
 南米の主目的のひとつとして、アコンカグア登山を企画した。登頂ルートはPolish Glacier Route。これはTeam24の神谷が企画に乗ってきて実現したルート選定であった。氷河はひとりでは立ち入れない。ザイルを結べる相手がいてこその登山となる。

  ノーマルルートではない。バリエイションである。幾許かの気負いと共に1月16日、入山。
 木一本生えていないアンデスの乾いた谷をつめ、三日間かけ通常のBCを置くPlaza Argentinaへ入る。高度順応に一日休養を入れ、5000m地点に我々のBCを建設すべく荷上げをする。こんな高所で辛い思いをして急斜面を登り、登った末に押し潰されんばかりのプレッシャーと共に氷河ルートを登攀しなければならない。どうしてこんな企画を企ててしまったのか。きついのに。もうやめて帰りたいところだが、たとえひとりで来ていたとしてもそんな気持ちを押し殺し、厳しくても上を目指すだろう。それは自分は強いということを、自らと、そして他人に対し示すためなのかもしれない。困難を乗り越えられる男であることを証明したいからかもしれない。やめて帰ることは逃げることだから。
  せめて自らの価値観の中だけでも誇れる何かが欲しい。
 BC(5000m)のテントから東方に目をやると雄大なアンデスの大地が眺められる。赤茶けたたおやかな山並みと、透き通るような青い空。この風景はどうしても旅の憧れの地ムスタンへの空を思い起こさせる。
 ネパールのチベット文化圏。アンナプルナ山域のカグベニの集落から見たあの時の、北の国ムスタンへと続く空。果てにある都ロー・マンタン。その響きにも憧れを抱く。いつかこの足でその大地に踏み入り、この目でその世界を見たい。是非実現させたい。
  やはり自分の旅のフィールドはヒマラヤ周辺なのだろうか。

  C1(5900m)からPolish Glacierのほぼ全体が望める。このところの晴天続きで氷河全体がかなり出ていて、そこいら中クレヴァスだらけだ。考えていた以上に状態が悪いように見える。思ったより氷河は大きく威圧的に立ち上がっている。Polish Glacier Route上に踏み跡は見えない。あまり人は登っていないのだろうか。
 プレッシャーである。
 こんなところに立ち入るのか。立ち入り禁止の札でもかかっていないだろうか。
 どうするべきか分からないまま順応を終えBCへと下る。
 翌日、再び登ってC1泊。Polish Glacierは見るからに氷が堅そうだ。氷河をいくら眺めても登れるのかどうか分からない。登高ルートが見えてこない。テントの周りの水場でさえ雪は凍ってカチカチになっているのだ。氷河上はどんなに堅いのだろう。椎名誠の本を読んで気を紛らわせようとしたが、どうしても不安は募る。
 狭いテント内で神谷と沈黙が続く。互いに今回のこのルートは我々には厳しいと思っているのだろう。
 風がテントをバサバサ揺さぶる。この風も敵だ。風で氷河の表面が磨かれ、蒼氷になっているのかもしれない。
  とにかく翌日試しに登ってみて、状態を確かめてからあとの決定を下すことにする。もし我々の手にあまるようなら、ノーマルルートに転身しようとも考える。海外へ出たなら登山は登頂を目標とすることが多くなる。だから今回も頂上にはこだわりたかった。今の我々の体調ならノーマルルートからの登頂はほぼ確実だった。
 翌日、順化を兼ねた氷河の試登。下部は緩やかな氷原でクレヴァスの危険はない。恐れていたのは蒼氷だが、白い雪の部分はそれほど堅くはなく、アイゼンもよくきく。氷の裂け目の凹凸はジグザグに迂回しつつ、正面の斜面を目指して6000mを越える。見上げた時には多くのクレヴァスが縦横に走っていたが、近づけば深いものもなく、凍って安定しているし、ほとんどが表れている。クレヴァスの中は小氷柱群で、逆にこの凹凸を利用していけば登り易い。急になってきてもこの凹凸が変に階段以上の段状になっていて恐怖感がない。正面の45度はあろうかという急斜面を登り終えたところで降りることにする。風もなく登頂日和りである。アタックがこんな天気なら最高だ。
  この試登でPolish Glacierは登れそうだという手応えを得た。我々自身でやれるんじゃないか。だったらどんなに嬉しいだろう。
 BCまで下って一日休養。再びC1へ登っていよいよアタック態勢に入る。この頃になってそれまでの快晴の毎日から雲が出やすくなってきた。翌日のアタックも雲が出るだろうとの判断から、一日天候の様子を見るためにアタックを延期することにした。それほど荒れているわけではないが、どうせなら晴天の山頂に立ちたい。
 アタック待機の日、テントから憶えるほどにPolish Glacierを眺め続ける。明日我々が登るルートを考えて、目で氷河上にルートラインを何度も引く。午後、やはり雲が出てくる。
 アタック前の緊張感はある。しかし登り出せば登れる自信がある。長時間の高所行動にも耐えられる自信もある。無事このテントに戻ってくる自信もある。あとは出発時の好天を祈る。できることなら山頂での好天も。
 「アコンカグアよ、アンデスの神よ、どうか自分をほんの少しだけこの頂に立たせて下さい。明日、その瞬間のお許しをお与え下さい。」

  夜から朝にかけての好天期を逃さず登るため、夜半12時に起床。というより、一睡もできずに寝袋から出た。
 夜光に威圧的に氷河が立ちはだかる。暗くてルートがよく見えない。ラーメンを腹に入れる。神谷はてきぱきと片付けをする。そんなに早くは出たくない、もっとのんびりしてくれればいいのに、と思うが口には出さない。
  少し待機することにし、コンロに火をつけて暖をとる。蝋燭とコンロの炎を見つめている。

  「ゆっくり行こうか」
 そういってテントの外へ出た。
 快晴。星空。
 その時、東空下方に下弦に近い月が昇り来ているのを見た。微かに氷河を照らし出す。
 「やった」
 月は我々の見方だ。やれる、という予感が体を走る。
 試登時のルートを先ずなぞる。しかし暗くて少々左へ寄りすぎてしまったようだ。右の方が白く、氷より雪であったため、右寄りの意識で上を目指す。Piedra Bandera は近づいてきたが、目印としていたクレーター状セラックの位置が暗くて判別できない。そのうち二段の影となって巨大に迫ってきたのがクレーター状セラックであった。この基部をトラバースし、左上。Piedra Banderaへと這い上がった。ここまで3時間と見ていたが、実際3時間20分。上々である。
 Piedra Banderaは下から見るより大きく立ちはだかり、巨壁となっている。ここを右へまわり込み、上部へと雪壁を登る。ザイルを出すならここかと見ていたが、雪の状態が良く、ザイルなしで登る。アイゼンの前爪とピッケルでガシガシ登る。失敗したらそれこそ奈落の底行きだが、大丈夫という確信がある。
  何だか妙に楽しくなってくる。
 直上し、氷河上部へと抜ける頃、空も明るみだす。各々自由なラインで稜線へとトレースをきざんだ。上へ行くにつれ傾斜も増し、右上していたが稜線へと最後は直上した。
  稜線の向こう側は切れ落ち案外細いリッジとなっていた。高度感もあり少々緊張させられる。慎重にザイルをむすぶ。南壁が切れ落ちている。やがて稜線も太って安心感も出てきた。あとはこのまま稜線を登りつめるだけである。しかし標高は高く、息苦しい。すぐに立ち止まって荒く呼吸をする。ペースは落ち、一歩一歩がこの上なく辛いものとなる。ザイルの先から神谷の苦しさも伝わってくる。でもこの頂上稜線の景色、アンデスの眺めは最高だ。何だか苦しさと今自分がここにいる嬉しさとが複雑に交じり合って涙が溢れてきた。自分で企画して、全て自分でやってきたアコンカグア遠征のその頂上が間近に迫っていると思うと、本当に嬉しい。
 いったいいつ頂上に着くのか分からないほど歩みは遅いが、進み続ければいつか必ず頂に達する時が来る。
  雪稜から徐々に赤茶の岩が現れるようになり、岩の間を抜け、右奥の雪のない岩礫帯が頂上となっていた。
 午前10時。視界絶好。まだ誰もいない。寒風が吹き通り、うちすてられたような山頂であった。
 涙が溢れるでもなく、思ったほど感激的でもない。神谷と握手して抱き合ったが、その感動も強い風が吹き飛ばし去る。同流山岳会旗やタルチョを辛うじて風にはためかせて記念写真を撮った。そして、北の大地へ向かって叫んだ。
  ノーマルルートを下っていると、奴隷のようにうなだれて苦しそうに登る何人もの登高者に会った。Polish Glacierからだというと、数人に「おめでとう」と祝福された。悪い気分じゃない。北面をトラバースしてテントに帰りついてしばらくして氷河上を雲が覆ってきた。雪も舞い出す。天候に恵まれたのは、出発前の祈りが通じたからだろうか。

  旅で住処を留守にしている間、住処での時間は失われてゆく。しかしそこで失われた以上に濃密な時間が、旅の中で流れてゆく。
 旅で何を得たか、とよく訊かれる。いつも答えには惑う。はっきり答えられないのは、得たものなどこれといってないからなのだと思う。ただ言えるのは、旅では感受性が豊かになり、正直になれるということ。そして自然な気持ちで祈れるようになったかもしれない。自分自身を理解し、信じられるようになったかもしれない。これを、自信というのだろうか。
 そうか、得たものは自信、か。悪くない答えだ。



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